『カンフースタントマン 龍虎武師』

新宿武蔵野館、エレベーター向かいに掲示された『カンフースタントマン 龍虎武師』ポスター。
新宿武蔵野館、エレベーター向かいに掲示された『カンフースタントマン 龍虎武師』ポスター。

原題:“龍虎武師” / 英題:“Kung-Fu Stuntmen” / 監督:ウェイ・ジェンツー / 出演:サモ・ハン、ユエン・ウーピン、ドニー・イェン、ユン・ワー、チン・カーロッ、ブルース・リャン、マース、ツイ・ハーク、アンドリュー・ラウ、エリック・ツァン、トン・ワイ、ユー・スーユエン / アーカイヴ出演:ラウ・カーリョン、ラム・チェンイン / 配給:ALBATROS FILM
2021年中国、香港合作 / 上映時間:1時間32分 / 日本語字幕:城誠子 / 字幕監修:谷垣健治
2023年1月6日日本公開
公式サイト : https://kungfu-stuntman.com/
新宿武蔵野館にて初見(2023/1/6)


[粗筋]
 香港のカンフー・アクション映画の歴史は、日本による中国の支配などから逃れた人びとの移住によって種子が播かれた。
 渡ってきた京劇の団員達は伝統を守るべく、幼少期から厳しい訓練を受け、その技術に磨きをかけてきたが、香港では京劇を鑑賞する習慣は根付かなかった。公演が減り、収入源を失っていった京劇の若い子弟は、映画業界に活路を求めた。
 京劇の厳しい修行を経てきた彼らは、新しいジャンルを求めていた映画業界から重宝された。狭い国土ゆえ、撮影に厳しい制約を受ける香港においては、肉体を活用したアクションが映画の題材として好まれたのも幸いする。
 この香港アクションに更なる革命をもたらしたのが、ブルース・リーである。香港で本物の武術を学んだのち、スターダムを志してハリウッドに渡った彼は香港に、京劇出身者の型に嵌まった振付ではなく、迫力と重量感のあるリアルなアクションを持ち込んだ。ブルース・リーはそれまでになかった方法論で、香港の観客を瞠目させ、熱狂させる。
 だが、この熱狂はブルース・リーの早すぎる死によって急ブレーキを余儀なくされる。ハリウッドとの契約を残したまま彼が逝ったのち、香港では数年に亘り、アート映画しか撮られなかった。結果、多くのスタントマンが職を失ってしまう。
 この状況を打破したのは、ラウ・カーリョンとサモ・ハンである。ラウ・カーリョンは少林寺の流れを汲む洪家拳の後継者であり、当てることを厭わない“本物”のカンフーを映画に採り入れる。一方、サモ・ハンは中国戯劇学院で京劇を学び、そののちに若くしてスタントマンへと転身したが、その大きな体格ゆえに“代役”としての出番がなかったことから、武術指導、そして俳優としての道に活路を求めた。『少林寺怒りの鉄拳』で、コミカルな動きを採り入れたことを始め、カンフーに囚われずアクションの可能性を広げ、やがて香港映画全体の牽引役としてその存在感を増していく。
 決定的だったのは、サモ・ハンの同門であったジャッキー・チェンの登場である。既に多くの作品に出演しながらも芽が出ずにいた彼にコメディ演技の資質を見出したユエン・ウーピンが起用して撮影した『スネーキーモンキー/蛇拳』、そして続く『ドランクモンキー/酔拳』の2作が爆発的なヒットを遂げると、既に地位を確立していたサモ・ハンと連携を取り、また競い合いながら、香港のアクション映画を最盛期へと導いていく。
 しかし、この隆盛は決して、サモ・ハンやジャッキーら、スターだけで築いたものではなかった。その影には、数多くの危険な撮影に挑んできた、多くの無名のスタントマンたちの存在があったのだ――


新宿武蔵野館、ロビーの一角に展示された『カンフースタントマン 龍虎武師』関連の映画ポスターなど。
新宿武蔵野館、ロビーの一角に展示された『カンフースタントマン 龍虎武師』関連の映画ポスターなど。


[感想]
 ……粗筋、というより、本篇でも語られる香港カンフーアクション映画史の解説めいてしまったが、つまるところ、そうした事情を、サモ・ハン・キンポー、ユエン・ウーピン、ドニー・イェンといった代表的なスターや監督、更には長年にわたって実務面で支えてきた裏方――と言っても、多くはマニアならよく知っている名前ばかりだ――へのインタビューと実際の作品、及びメイキング映像、そしてわずかだがロケ映像も加えて、時系列を辿るのに近いかたちで描いたドキュメンタリーである。
 マニアでなくてもその名や存在は知っているサモ・ハンがのっけから登場し、香港映画に限らず、ある程度映画を観ている人なら聞いたこと、観たことのあるドニー・イェンやユエン・ウーピン、アンドリュー・ラウにツイ・ハークが顔を見せることに興奮させ、香港カンフー映画をより深く味わってきた層にはマースやユン・ワー、エリック・ツァンといった顔ぶれに嬉しくなってしまう。そもそも香港スタント協会が製作に深く携わっているので、これほど贅沢で行き届いた面々が取材に応えてくれたのだろう。
 多くのファンにとっては明白な事実であっても、やはり当事者の口から語られると重み、真実味が違う。京劇の指導者の苦悩から映画界転身への決断、ブルース・リー登場の衝撃と、早すぎる死のもたらした深刻な影響、そして新たな才能たちがもたらした次なる変革と、それ故に過酷さを増した撮影。そうした変化が、当事者の生のエピソードによって綴られていくのはやはり興味深い。
 とりわけ面白いのは、サモ・ハン、ラウ・カーリョン、そしてジャッキー・チェンと繋がっていくことで最盛期を迎えた香港アクション映画の現場の過酷さを伝えるエピソードだ。当日いきなりビルの7階から飛び降りる計画が伝えられるとか、その一方で中心となるスターは多忙すぎて1日おきに異なる現場を渡り歩いていたり。より派手に、より過激に、と先鋭化していくアクション表現ゆえに、撮影は危険性を増し、スタントマンは常に大怪我の可能性と背中合わせになっていく。本篇のインタビュイーの話では、撮影中の事故で再起不能になる人も、命を落とした人もいたらしい。だがそれでも、断ったら最後、それ以上の役割は与えられない、という恐怖から、“NO”と言わない者が多かったという。死の危険もあるスタントを、泣きながらも「やります」と答えた、というエピソードは、実に象徴的だ。
 しかし隆盛は長くは続かない。ちょうど香港の中国返還を境にして、社会情勢は変わり、映画業界も強い影響を受けた。製作環境の変化や、経営多角化の失敗により、黄金時代を支えた映画会社は解散、或いは事業縮小を余儀なくされ、香港さんのアクション映画はその数を大幅に減らしていく。中国で製作される大作には、本場である少林寺の系譜で本物の修業を積んできた武術家が携わることが増え、香港の最盛期を支えたスタントマンは現場を去り、後継者は減っていく。
 こうした大きな変化を象徴するのは、マースである。最盛期のジャッキー・チェンのチームに加わり、特徴的な顔立ちゆえに脇役としても存在感を示した、日本のカンフー映画愛好家にとっても馴染み深い彼が、副業をして糊口をしのいでいた、というエピソードはかなり衝撃的だ。黎明期を支えたショウ・ブラザーズも、ジャッキー・チェンらを擁して隆盛を誇ったゴールデン・ハーヴェストも今は既になく、映画とは関係のない大型施設の建ち並ぶ跡地をマースが辿るくだりの淡々とした描写には、名状しがたい哀感が漂っている。
 その苦境こそがスタント協会も協力の上で本篇を製作させた原動力のようだが、他方で未来への希望もまた織り込まれている。命の危険を伴う撮影は禁忌となりつつある昨今においても、全盛期を知るドニー・イェンやチン・カーロッらは、綿密な計画と安全対策を施しつつ、如何にリアルで力強いアクションを作品に採り入れる努力を重ねている。中国の武術家たちに押されて停滞していた後進の育成にも望みを繋いでいることを示しており、本篇のトーンは最後まで明るい。
 その大怪我と隣り合わせの激しさ、肉体で表現出来る限界のスピード感が売りであった香港流アクションが、今後も命脈を保ちうるか、は神のみぞ知るところだろう――如何に努力を重ねても、回避しようのない社会情勢の変化などの外的要因がジャンルとしての衰退を加速させる可能性は少なからず、ある。だが本篇には、香港映画の名を世界に轟かせた表現を生み出し、それに携わってきた者たちの誇り、矜持が明瞭に刻みこまれている。たとえ将来、香港の正統的なアクション映画が作られなくなったとしても、かつての名作とともに、その軌跡を生の証言として採り上げた本篇は、恐らく残っていくに違いない。

 カンフー映画愛好家ならずとも一見の価値がある本篇だが、ひとつ残念な点がある。
 ジャッキー・チェンの証言が得られていない点だ。
 サモ・ハンとともに最盛期の香港映画を牽引し、数多の名作映画、強烈な印象を残すスタントシーンを撮ってきた彼の証言は本来、採り上げられて然るべきだ。登場しないまでも、その撮影に立ち会った人びとの口から、その創意工夫や過酷な現場の様子は語られ、確かな影響を窺わせているが、だからこそその不在が惜しまれる。
 多忙ゆえに証言が出来なかった、という捉え方は、3年に及んだ、という本篇の製作期間を思うとしっくり来ない。
 実は2020年代前後から、香港におけるジャッキー・チェンの求心力は下がっている、という話がある。香港の中国返還以降、ジャッキーはより充実した製作環境を求め、中国の体制に接近したことで、香港での人気が著しく低下しているらしい。事実、ある時期から彼の発言は中国共産党の方針にすり寄った傾向にあって、それが日本でもしばしば報じられているほどだが、中国本土とのあいだに軋轢の絶えない香港においてはより反発が強い、と聞く。
 或いはただの勘ぐりかも知れない。現実として、香港アクション映画におけるジャッキー・チェンの存在は極めて大きく、本篇に出演した人びとの証言だけでも影響の強さは明白だ。真の立役者であるブルース・リーがとうの昔に他界していても、本篇に採り上げられた証言からオーラが滲み出ているように、あえて登場させないことでバランスを取った、とも考えられる。ジャッキーではなく、香港カンフー映画と、それを陰日向で支えたスタントマンたちこそが主役である、と解釈するなら、スターに焦点を当てるのは賢明とは言えない。
 ……しかしいずれにせよ、こういう勘繰りが出来てしまうことを思えば、ほんの僅かでも、直近の発言が欲しかった、と尚更に惜しまれる。ほんの僅かでも、ジャッキーと香港映画界の距離がまだ離れていないことを示して欲しかった。


関連作品:
ドラゴン危機一発』/『ドラゴン 怒りの鉄拳』/『ドラゴンへの道』/『スネーキーモンキー/蛇拳』/『ドランクモンキー/酔拳』/『ヤング・マスター/師弟出馬』/『ドラゴンロード』/『ユン・ピョウinドラ息子カンフー』/『プロジェクトA』/『五福星』/『香港発活劇エクスプレス 大福星』/『ファースト・ミッション』/『プロテクター』/『ポリス・ストーリー/香港国際警察』/『ポリス・ストーリー2/九龍の眼』/『サイクロンZ』/『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地黎明』/『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地争覇』/『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ外伝/アイアン・モンキー』/『導火線 FLASH POINT
スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち

新宿武蔵野館にて実施された初日舞台挨拶のフォトセッションにて撮影。左は谷垣健治氏、右はチン・カーロッ氏。
新宿武蔵野館にて実施された初日舞台挨拶のフォトセッションにて撮影。左は谷垣健治氏、右はチン・カーロッ氏。

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