『ショコラ(2000)』

TOHOシネマズ日本橋、エレベーター正面に掲示された『ショコラ(2000)』上映当時の午前十時の映画祭13案内ポスター。
TOHOシネマズ日本橋、エレベーター正面に掲示された『ショコラ(2000)』上映当時の午前十時の映画祭13案内ポスター。

原題:“Chocolat” / 原作:ジョアン・ハリス / 監督:ラッセ・ハルストレム / 脚本:ロバート・ネルソン・ジェイコブス / 製作:デヴィッド・ブラウン、キット・ゴールデン、レスリー・ホレラン / 製作総指揮:アラン・C・ブロンクィスト、メリル・ポスター、ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン / 共同製作:マーク・クーパー、ミッシェル・レイモ / 撮影監督:ロジャー・プラット / プロダクション・デザイナー:デヴィッド・グループマン / 編集:アンドリュー・モンドシェイン / 衣装:レネー・アーリック・カルファス / キャスティング:ケリー・バーデン、スザンヌ・クロウリー、ビリー・ホプキンス / 音楽:レイチェル・ポートマン / 出演:ジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップ、ヴィクトワール・ティヴィソル、アルフレッド・モリーナ、ジュディ・デンチ、キャリー=アン・モス、レナ・オリン、ピーター・ストーメア、ヒュー・オコナー、レスリー・キャロン、ジョン・ウッド、オーレリアン・ベアレント・ケーニング / 初公開時配給:Asmik Ace × 松竹 / 映像ソフト日本最新盤発売元:Paramount Japan
2000年アメリカ、イギリス合作 / 上映時間:2時間1分 / 日本語字幕:石田泰子
2001年4月28日日本公開
午前十時の映画祭13(2023/04/07~2024/03/28開催)上映作品
2021年7月21日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD VideoBlu-ray Disc]
公式サイト : http://www.chocolat-jp.com/(((劇場初公開時のもの。2024年現在は既に閉鎖済。)))
丸の内ルーブルにて初見(2001/5/5)
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2024/1/9)


[粗筋]
 1959年、四旬節の断食の頃、フランスの小さな村に、北風と共に母娘は現れた。
 母親のヴィアンヌ(ジュリエット・ビノシュ)はアルマンド(ジュディ・デンチ)という老婦人から店舗を借り、祖母のルーツを南米に持ち、受け継いだ技術でチョコレート菓子を提供する店を開く。
 だがこの行為は、信仰に厚い村の人々から冷ややかな視線を浴びた。こと、村長のレノ伯爵(アルフレッド・モリーナ)は不快感を顕わにした。歴史学者でもあり、村を守ってきたのが神の教えであることを微塵も疑わない伯爵にとって、ヴィアンヌの行動は冒涜に等しい。
 ヴィアンヌは村を覆う空気にはお構いなしに、売り込みを始めた。関心と理解を得るために、時として商品を無償で提供することも厭わない。粗暴な夫セルジュ(ピーター・ストーメア)に虐げられ、発作的に商品を盗んでしまったジョゼフィーヌ(レナ・オリン)も寛容に許すと、ヴィアンヌは娘のアヌーク(ヴィクトワール・ティヴィソル)とともに暮らしている店舗の住居部分にジョゼフィーヌを受け入れ、一緒に店を営むようになった。
 レノ伯爵はセルジュに頼まれ、ジョゼフィーヌを連れ戻すためヴィアンヌの店を訪ねてきた。ジョゼフィーヌが負った傷を見て、セルジュの側に非があることを理解したレノ伯爵だが、信仰に厳格たらんとする村の定めでは、離婚を認めるわけにはいかない。チョコレートの甘い誘惑に屈しない信仰心の素晴らしさを証明するためにも、とレノ伯爵は自にらセルジュを更正させようとする。
 ジョゼフィーヌはセルジュの、かつてなく丁重な謝罪こそ受け入れたが、ヴィアンヌの元で働くようになり生きる力を取り戻したいま、夫の元に戻る気は毛頭なかった。ジョゼフィーヌだけでなく、ヴィアンヌの努力とチョコレートの魔力に影響され、人生に活力を取り戻す者が増えるなか、村に新たな訪問者が現れた――


[感想]
 ファンタジー……ではないはずなのだが、鑑賞して受ける手触りはファンタジーそのものだ。厳格で閉塞的な集落に何処からともなく現れた異邦人の母子が、チョコレート菓子の専門店を開く。当初は彼女たちを忌避していた住民達が、チョコレートの魔力に魅せられ、次第に集落の雰囲気が変わっていく……というその構造が、まるでおとぎ話に似た佇まいをしているからかも知れない。
 だが、物語そのものはフィクションでも、描かれている事柄、要素には生々しい現実が滲んでいる。地方の集落が示す排他性、根強い男尊女卑思想のために、暴力的な夫に虐げられる妻という構図。信仰に対する敬虔な態度、という免罪符のもとに行われる抑圧が、しばしば人を苦しめることを、本篇は柔らかなトーンながら的確に描き出す。
 そんな中に現れた闖入者であるヴィアンヌとアヌークは、集落のルールに縛られようとしない。有力者であるレノ男爵は紳士的だが高圧的な態度でヴィアンヌに慎むように言うが、ヴィアンヌはお構いなしに行動を起こす。断食の時期であることにも構わず店をオープンさせ、夫に虐げられるジョセフィーヌを自らの店で匿い、彼女に労働と自立の喜びをもたらす。男女としてのは冷めていた夫婦に情熱を蘇らせたりと、集落に根付く抑圧とは対照的な影響を及ぼしていく。
 本篇のユニークなところは、集落の持つこうした排他的な性質を、ただ安易に悪しきものとして描いていない点だ。象徴的なのが、ジョゼフィーヌを虐待していた夫セルジュを、レノ男爵が更正させようとするくだりである。古い慣習に囚われている男爵でもセルジュの振る舞いが褒められたものではないことは理解しているから、セルジュを更正することで、男爵の信じる文化、教養が正しいことを示そうとした。その意識に決して悪意はない。なまじ真剣であるがゆえに、振り回される様は滑稽であり、哀れでもある。
 地方で、ヴィアンヌにも悩みがあり、逡巡がある。なき母親から受け継いだ漂流の血筋が、さながらヴィアンヌを流浪の道に誘うかのように機能している。だが一方で、ヴィアンヌ自身もそれが望ましいと思ってはいない。ひとり娘のアヌークは、流浪の暮らしよりも定住を望んでおり、ヴィアンヌもこの新天地に根付くことを願っているのに、まるで血筋が旅立ちへと誘うかのように、軋轢は続く。
 共同体と異邦人の母子、双方に見られる葛藤に、チョコレートというものの存在が、隠し味と呼ぶにはいささか露骨にコクをもたらしている。ショコラティエとしての技能を武器に各地を渡り歩き、本篇の舞台でもその能力で住民達に溶け込んでいくヴィアンヌだが、それが同時に対立をも招いてしまう。加えて、チョコレートがしばしば禁じられた喜びになることも物語に取り込んでいる。恐らく一連のくだりで、ヴィアンヌの力を借りた本人は後悔していないだろうが、チョコレートというものが醸し出す“蜜の味”を一層引き立てている。一方で、共同体を代表するレノ男爵にしても、住民を着実に懐柔していくチョコレートは、驚異の象徴そのものだ。だからこそ、一見ユーモラスにも感じるクライマックスが成立する。この着地の鮮やかさは絶妙だ。
 面白いのは、本篇の辿る過程が、登場人物たちにとって正解なのか、本当にそれで良かったのか、という割り切れなさを残す点だ。ヴィアンヌやレノ男爵が辿り着いたところで本当に正しかったのか、そもそもヴィアンヌのしたことがこの集落や、彼女が親しくしたひとびとにとっていいことなのか。上の粗筋では触れられなかったが、のちにヴィアンヌと親しくなる、ジョニー・デップ演じるルーが悪人でないことそのものは確かでも、彼の集落での振る舞いが正しかったのかは難しいところだ<。しかし、劇中での悲劇も含め、そうした曖昧な部分が醸し出すビターさが、本篇の味付けを仕上げている。見た目のスイートさ、終幕の幸せでホットな結末に混ざるそうしたビターな味わいと、並べてみればまさに“ショコラ”そのものだ。味覚をそのまま観客に伝えることは適わない映画という媒体で、その味わいをドラマの形で完全に表現しきった、考えようによってはとんでもない作品である。


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