『HACHI 約束の犬』

『HACHI 約束の犬』

原題:“Hachiko : A Dog’s Story” / 新藤兼人脚本の映画『ハチ公物語』に基づく / 監督:ラッセ・ハルストレム / 脚本:スティーヴン・P・リンゼイ / 製作:ヴィッキー・シゲクニ・ウォン、ビル・ジョンソン、リチャード・ギア / 製作総指揮:ジム・セイベル、ポール・メイソン、ジェフ・アッバリー、ジュリア・ブラックマン  / 撮影監督:ロン・フォーチュナト / プロダクション・デザイナー:チャド・デットウィラー / 編集:クリスティーナ・ボーデン / 衣装:デボラ・ニューホール / 音楽監修:リズ・ギャラチャー / 音楽:ヤン・A・P・カチュマレク / 出演:リチャード・ギアジョーン・アレンサラ・ローマー、ケリー=ヒロユキ・タガワ、ジェイソン・アレクサンダー、エリック・アヴァリ、ダヴェニア・マクファデン / インフェルノ製作 / 配給:松竹

2009年アメリカ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:戸田奈津子

2009年8月8日日本公開

公式サイト : http://www.hachi-movie.jp/

新宿ピカデリーにて初見(2009/08/08)



[粗筋]

 アメリ東海岸にある小さな街、ベッドリッジ。夕暮れの駅舎に、一匹の犬が彷徨っているのを、パーカー・ウィルソン(リチャード・ギア)が発見した。旧知の駅長カール( ジェイソン・アレクサンダー)に拾得物として預けようとしたが、ひと晩閉じ込めておいて、そのあとは保健所に任せるしかない、と言われ、パーカーはやむなく自宅に連れ帰る。

 パーカー自身、飼うつもりはなかった。パーカーの家にはかつて飼い犬が失踪してしまう、という悲しい記憶があり、妻のケイト(ジョーン・アレン)は二度と犬は飼わない、という意思を示している。しかし、やはり保健所では長期的に預かってもらうことは難しく、結局物置の片隅に寝床を作って住まわせる成り行きになってしまった。

 パーカーは同じ大学で教鞭を執り、日本文化に詳しいケン(ケリー=ヒロユキ・タガワ)から、この犬が“秋田犬”という種類であり、歴史上最も古くから人間とのパートナーシップを築きあげてきた犬種であることを教えられる。嵌められてあった首輪には漢字の“八”という文字があったことから、パーカーはその犬を仮に“ハチ”と呼ぶことにした。

 名前までつけてしまったことにケイトは苦い表情を浮かべるが、既に絆を結びつつある夫と“ハチ”の姿を見ているうちに、気持ちが変わっていった。

 こうして、日本生まれのハチはウィルソン一家の飼い犬となる。無意味な遊びには興じない、従いたい人にだけ従う、と気位の高さと賢さを示すハチは、だが成長するに従って、ウィルソン一家はおろか、ベッドリッジの街の人々を驚かせるような行動に出始めたのだった……

[感想]

 日本人で、ハチ公の物語についてまったく知らない、という人はそんなに多くないだろう。昨今は海外においても絵本などで伝わり、知名度を高めているそうだ。現に、飼い犬に“ハチ”と名付けている人も多く、本篇のプロデューサーであるヴィッキー・シゲクニ・ウォンもハチという名の秋田犬を飼っていた経験があり、それが本篇の製作へと繋がっていった、という背景があるという。

 あの話を、アメリカを舞台にして作り直す、と聞くと、日本人の耳にはとんでもない企画のように思えるが、本質的にこの物語の胆は至ってシンプルだ。如何に日本らしいプロットのように感じられても、ちょっと工夫を凝らすだけでどの国にも根付く、そのくらい普遍的な内容である。だからこそ、製作者たちはこういう形で描くことを選んだのだろう。

 但し、出所である日本にはきちんと敬意を示した作り方をしている。最たる部分は、中心であるハチという犬を、実話通り秋田犬に設定したことだが、他にもハチがそもそも日本から誰かに贈呈されるはずだった犬と見えて冒頭で山梨から出荷されるシーンが描かれていたり、秋田犬の性質を教えたり、重要な場面で日本語を印象的に用いる日系人の教授を役柄として加えたりと、多くはないが日本に関するモチーフを盛り込んでいるのには好感を抱くはずだ。

 ――とは言い条、その幾つかに日本人として引っかかりを覚えたことには触れておかねばなるまい。まずプロローグ部分にて、どうやらハチは山梨の寺が何らかの理由でアメリカのどこかに贈ったもの、と仄めかすような過程が描かれるが、その最初、鐘を撞く音が妙におかしい。日本に暮らしていれば最悪でも年末年始に耳にする、ごく馴染みのある音だけに、重量感のない音色を聴くと苦笑を禁じ得ない。そしてもうひとつ、日系人で日本文化に造詣のある教授がハチに向かって日本語で語りかけるシーンがあるのだが、ここの音声と俳優の口許が合っていない。一瞬、吹替なのか、と疑うほどに違和感がある。外国映画、ことハリウッド作品で登場人物が日本語を話すとき、声だけ吹替にすることはままあるのだが、この教授を演じるケリー=ヒロユキ・タガワは日本出身の俳優なので、別の声優を起用したとは考えにくい。鐘の問題も含めて、恐らく音響の配慮不足だったと想像できるが、作品の性質上、この辺は日本側で関わったスタッフがチェックを入れて欲しかったところだ。

 しかし、このあたりは本筋を破綻させるような要素ではない。むしろ日本人として感心するのは、秋田犬の特質を作中で語り、それをストーリーの本質に組み込んでいることだ。ボールを拾って飼い主のもとに持ってくる、というあまり意味のない遊びはせず、必要があるときに必要なことをする犬である。主と決めた人物に対して忠実であり続ける。こうして語られた特徴が、ハチの行動を巧みに裏打ちする。だからこそ、その振る舞いが観る側の感動を招くのだ。

 本篇は大筋で、奇を衒っていない。ほぼ基本に忠実な作りだ。ハチと飼い主・パーカーとの出逢いから、絆を築き想い出を作っていき、その過程に上記のような秋田犬の特徴、そして後半に至って意味を為してくる描写を織りこんでいく。必要な描写もあれば無駄な描写もあるが、そうした無駄を効率よく盛り込んでいくことで、終盤のドラマを堅牢に構築していく。

 本篇の何より優れているのは、感動を強制していないことだ。人間があからさまに死を仄めかしたり、献身的な態度を湛えたりして、泣け、泣け、とばかりに感情を押しつけてくることがない。重要な人物の死も、そこから生まれる感情や行動の数々も、最小限に留めている。それどころか、決して悪人や悪党を作らない程度に“悪意”をしばしば採り入れているのが絶妙だ。基本的にコメディ・タッチ、優しさの際立つ本篇の感情表現を、この仄かな“毒”が却ってマイルドにしている。

 動物を中心にした映画では却って珍しい、ハチの目から見た光景を再現しているカットがあるが、これも過剰な説明を抑える役に立つと同時に、あまりにも圧倒的なクライマックスで大きな意味を帯びてくる。――いやむしろ、節度を保った本篇の表現の中で、これこそがある意味いちばん“卑怯”と言えるかも知れない。勘のいい人なら、この手法がどうすれば活きるのか解るはずだ。それを鼻で笑えるなら、本篇はまず素直に愉しめることはないだろうし、想像しただけで涙腺が緩みそうになったなら、劇場に足を運ぶときは決してハンカチを忘れてはならない。

 節度を保ち、決して過剰に感動を求めることもしないからこそ、観ていて感情が溢れ、殺人的なほどに涙腺を刺激する映画である。映画を観て簡単に泣いてしまう、という傾向のある人は、冗談でも何でもなく、涙を拭くものを余分に持っていったほうがいい。

関連作品:

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