『Bubble/バブル』

原題:“Bubble” / 監督:スティーヴン・ソダーバーグ / 脚本:コールマン・ハフ / 製作:グレゴリー・ジェイコブス / 製作総指揮:マーク・キューバン、ジェイソン・カイロット、トッド・ワグナー / 撮影監督:ピーター・アンドリュース(スティーヴン・ソダーバーグ) / 編集:メアリー・アン・バーナード(スティーヴン・ソダーバーグ) / キャスティング:カルメン・キューバ / 音楽:ロバート・ポラード / 出演:デビー・ドーブライナー、ダスティン・アシュリー、ミスティ・ウィルキンス、K・スミス、デッカー・ムーディ、オマー・コーワン、ローリー・L・リー / 初公開時配給&映像ソフト発売元:東北新社
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間14分 / 日本語字幕:?
2010年7月17日日本公開
2011年3月16日映像ソフト日本盤発売(『ガールフレンド・エクスペリエンス』同時収録) [DVD Video:amazon]
DVD Videoにて初見(2020/09/13)


[粗筋]
 マーサ(デビー・ドーブライナー)はある田舎町で、年老いた父と同居している。人形工場で働き、家に帰っても内職で稼ぎながら、病身の父の面倒を看ていた。
 工場と自宅を往復するばかりの生活を送るマーサにとって、親友と呼べる存在はカイル(ダスティン・アシュリー)しかいない。休憩時間を共にして、人形工場のあとも土木作業用機械の工場で清掃の仕事を抱えているカイルのために、しばしば送り迎えをすることもあった。
 代わり映えのしない日常が続いていたある日、思いがけない大量発注で多忙になった工場は、新たに人員を雇い入れた。入ってきたローズ(ミスティ・ウィルキンス)は、マーサが主に担当するエアブラシの技術があったため、マーサと机を並べて作業するようになった。
 勤めるようになってすぐに、ローズはマーサとカイルのあいだに割り込んできた。シングルマザーだが若く美しいローズに魅せられたのか、カイルはすぐにローズと親しくなる。喫煙室で談笑するふたりを、マーサは複雑な想いで見つめていた。
 週末の夜、マーサはローズに請われ、子守を引き受ける。当日、ローズの家を訪ねたマーサは、ローズの用件がカイルとのデートだった、と知ってショックを受ける。
 そいて翌る朝、事件は発覚した――


『Bubble/バブル』本篇映像より引用。
『Bubble/バブル』本篇映像より引用。


[感想]
 この頃のスティーヴン・ソダーバーグ監督は、大きな予算をかけたメジャー作品と、低予算のインディーズ的作品を交互に手懸けるようなローテーションになっていた。本篇を撮影した時期は『オーシャンズ』シリーズに『さらば、ベルリン』、そしてそのあとに前後篇に及ぶ大作『チェ』なども控え、大作が相次いでいた。そこでは充分に発揮出来ない実験精神や、俳優の知名度に印象を束縛されない作品として、本篇を企画したのかも知れない――あくまで推測に過ぎないが。
 しかし、本篇が極端なほど、俳優の知名度などに頼っていないのは紛れもない事実だ。恐らくキャスト一蘭を見ても心当たりのあるひとはいるまい。実質的なメインキャストである3人でさえ、映画のデータベースに本篇以外の作品が記載されていないほどだ――マーサを演じたデビー・ドーブライナーだけは2019年頃に新たな作品がフィルモグラフィーに加わっていたようだが、それでも本篇以降長いこと出演がなかったのだから、本国においても間違いなくイメージはついていないと思われる。
 それほどに無名のキャストを起用したことで、本篇は見事なまでの“凡庸さ”を表現している。さすがに日本人の感覚からするとその働き方、貧しさの様相に違いを感じるが、これがアメリカの地方都市をリアルに描いている、ということは実感できる。
 その印象を強めているのは、撮影場所に滲む濃密な生活感だ。病身の父を看ることを考慮して内職のための作業台が置かれたマーサのリヴィング、整理が行き届いている、というより妙にものの少ないカイルのリヴィング、子供用品が散らばり化粧品などは小さなテーブルに密集したローズの部屋。貧しくて聖慮をする余裕がない、或いは多くのものを買い揃えたりしない、という個々の生活に対する意識が、部屋の様子から窺い知れる。ロケには出演者自身の自宅も用いているそうで、設定が違うためにソファやベッドなどを入れ換えている可能性もあるが、それでも構造や設定を考慮しているのだろう、生活感がただごとではない。
 そうして描き出された“普通の人々”の暮らしに、突如として事件が起こる。
 そこから物語はミステリ風に綴られるが、正直なところ、何が起きたのかは、ほとんどのひとには明白だろう。だから、事件以降の出来事をミステリとして捉えると「かなり物足りない」という評価に落ち着いてしまう恐れがある。
 しかし本篇の衝撃は、凡庸に暮らし、それまで命を危うくするようなトラブルに遭遇しなかったようなひとでさえも、一歩間違えただけで事件の当事者になり得る、というのを突きつけてくることだ。
 事件直前までの経緯は、決して珍しいものではない。あらゆる場所で繰り広げられていそうな人間模様でしかない。しかし、それがちょっとしたことで爆発し、悲劇に発展する。
 興味深いのは、この事件を起こした当事者の振る舞いだ。本篇がミステリ風、と思われてしまうのは、ここで当事者が追及を受けてもさほど動揺を見せないあたりにある。明らかにこの事態を引き起こした、と解るような行動も起こしているのに、当人はそれに無自覚のようにも映る。一般的なミステリやスラーであれば、自らに疑惑がかかるような行動は控えたりしそうなものだが、本篇の当事者にそんな様子はほとんど窺えない。事件のことを忘却して、いちばん関心のあることに、犯行の代価を捧げてしまう。
 ひとは、自分が望まなかった事実、出来事から目を背ける。背けるうちに、本当にそれがなかったことのように振る舞ってしまう。この人物の行動はそういう意味で極めて象徴的だ。この人物ははじめからずっと、ある意味では瀬戸際にいるのに、それを自らの“平穏”として受け入れ、意識から排除していた。そういう心の機能が、事件以降の行動に結びついた、とも考えられる。
 最後の最後にに、その人物は自らの行為にようやく思い至るが、時は既に遅い。かつての日常を想起させるヴィジュアルが、もはやその日常を取り戻すことが出来ない、と突きつけるようで、痛々しい。
 その一方で、日常に留まったひとびとは、消えていった関係者の穴を自然に埋めている。事件を起こした当事者と深く関わったある人物の、最後に見せる邪気のない笑みは、悪意を感じないからこそ微かな寒気を催させる。
 普通に平々凡々と暮らしているだけ、というように見える人間の暗部をテンポよく、ほどよいサスペンスを加味して突きつけ、観る者の心に微かな染みを残す、したたかな作品である。小品だがきっちりとインパクトを作ってしまうあたり、切れ者のソダーバーグ監督らしい。


関連作品:
ガールフレンド・エクスペリエンス
オーシャンズ11』/『オーシャンズ12』/『オーシャンズ13』/『ソラリス(2002)』/『愛の神、エロス』/『さらば、ベルリン』/『チェ 28歳の革命』/『チェ 39歳 別れの手紙』/『インフォーマント!』/『コンテイジョン』/『エージェント・マロリー』/『サイド・エフェクト
東京暮色』/『ヴァンダの部屋』/『彼女が消えた浜辺』/『サバービコン 仮面を被った街』/『15時17分、パリ行き』/『パラサイト 半地下の家族』/『ディック・ロングはなぜ死んだのか?

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