『ベイマックス(3D・吹替・TCX・ATMOS)』

原題:“Big Hero 6” / 原作:スティーヴン・T・シーグル、ダンカン・ルーロー / 監督:ドン・ホール、クリス・ウィリアムズ / 脚本:ロバート・L・ベアード、ダニエル・ガーソン、ジョーダン・ロバーツ / ヘッド・オブ・ストーリー:ジョー・マテオ、ポール・ブリッグス / 製作:ロイ・コンリ / 製作総指揮:ジョン・ラセター / プロダクション・デザイナー:ポール・フェリックス / 編集:ティム・マーテンス / 音楽:ヘンリー・ジャックマン / 声の出演:スコット・アツィット、ライアン・ポッター、T・J・ミラー、ジェイミー・チャン、デイモン・ウェイアンズJr.、ジェネシス・ロドリゲス、ダニエル・ヘニー、マーヤ・ルドルフ、ジェームズ・クロムウェル、アラン・テュディック / 日本語吹替版声の出演:川島得愛、本城雄太郎、小泉孝太郎、菅野美穂、新田英人、浅野真澄、武田幸史、山根舞、金田明夫、森田順平、大木民夫 / 配給&映像ソフト発売元:Walt Disney Japan
2014年アメリカ作品 / 上映時間:1時間49分(併映『愛犬とごちそう』含む) / 日本語字幕:藤澤睦実
2014年12月20日日本公開
2015年4月14日映像ソフト日本盤発売 [:MOVIE NEXAmazon Prime Videoゅ(吹替版)]
公式サイト : http://disney.jp/baymax/]
TOHOシネマズ日本橋にて初見(2015/02/06)


[粗筋]
 ヒロ・ハマダ(ライアン・ポッター/本城雄太郎)は13歳で高校を卒業した天才だが、その後は進学せず職にも就かず、お手製のロボットでのストリート・ファイトで稼いでいる。
 兄のタダシ(ダニエル・ヘニー/小泉孝太郎)はそんな弟を心配し、ある日、自身が通う大学の研究室にヒロを連れていく。はじめは関心のなかったヒロだったが、タダシの仲間たち“科学オタク”が見せる独創的な世界に惹かれ、自分もここに通いたい、という希望を持つ。
 成績優秀なヒロとはいえ、入学し研究室に所属するためには、ロボット工学の権威であるロバート・キャラハン教授(ジェームズ・クロムウェル/金田明夫)に認められる必要がある。ヒロはタダシや、タダシの仲間たちの協力も仰ぎ、大学の発表会に渾身のナノユニットを持ち込んだ。頭に巻いた電極から指示を送ると、イメージしたとおりの構造物をすぐに形成するナノユニットは見事に注目を集め、キャラハン教授はヒロに紹介状を手渡す。
 喜びに浸っていたとき、悲劇は起きた。会場であるイベントホールから突如火の手が上がり、キャラハン教授がまだ避難していない、と聞いたタダシは危険を顧みず建物の中に飛び込んでいく。その矢先に、大爆発が起きた。
 兄と、これから師になるかも知れなかった人物を同時に喪ったショックにうちひしがれたヒロは、折角の紹介状を使うこともなくふさぎ込んでしまう。
 親を早くに喪ったハマダ兄弟の面倒を見ていたキャス(マーヤ・ルドルフ/菅野美穂)の言葉にも生返事しかしなくなったヒロだったが、ある日、そんな彼の前に兄が開発した介護用ロボットのベイマックス(スコット・アツィット/川島得愛)が現れる。ヒロの精神的疲労を感じ取ったベイマックスは、彼の心のケアをするために起動したらしかった。処置に悩むヒロをよそに、ベイマックスは予想外の行動に出た――


TOHOシネマズ日本橋、スクリーン8入口脇に掲示されたチラシ。


[感想]
 作品の価値も解釈も、観るひとによってそれぞれ異なる。ごく当然の事実だが、本篇の場合は劇場公開当時、それが宣伝に対する批判、というかたちで現れた。
 本邦では、“ベイマックス”の柔らかな外観と、それに抱擁される主人公のヒロ、という優しいヴィジュアルで、癒やしの要素を前に押しだした宣伝が行われていたが、実際の作品に触れた観客の一部から、“作品の本質とズレている”という批判が噴出した。本篇の魅力はそこではない、というものである。
 実はこの作品、原作はマーヴェル・コミックの1作として刊行されたものだったらしい。発表当時、それほど話題になることもなく、恐らくは好事家にしか知られていない状態で埋もれていたが、マーヴェルの権利をディズニーが獲得、プロデューサーがこの原作を“発掘”した。
 つまり本篇は“ヒーロー映画”なのである。事実、作品の構造は『アイアンマン』や『スパイダーマン』の第1作のような体裁、ヒーロー誕生譚を見事に踏襲している。そもそも原題が“Big Hero 6”なのだから間違えようがない。しかし、そういう側面について日本での広告はまったく言及しておらず、邦題も彼らがヒーローであることよりも、その単語を聞いただけでは素性の解らない固有名詞にされてしまった。これでは本当に本篇を好む層に届かない、というのが多くの批判の根底にある。
 そういう意見も大いに頷けるところではある。実際この作品を、ヒーロー誕生の物語として鑑賞すると、少しずつ体裁を整えていくプロセスに昂揚感があり、スタイルを確立させるクライマックスの爽快感が素晴らしい。
 だがその一方で、必ずしもそういう見方しか出来ない映画、というわけでもないのだ。鍵は、それこそ邦題に採り上げられた“ベイマックス”というキャラクターにある。
 ベイマックスは主人公の兄タダシが開発していた、病気や怪我を負ったひとの手助けをするケアロボットだった。開発者であるタダシの死後、ヒロの苦悩を感知したことで起動したベイマックスは、彼を癒やすため、ヒロの望みに従う。その過程から、ヒロとタダシを介して知り合った友人たちはヒーローになっていくのだが、興味深いのは、この展開においてもベイマックスは一貫して“ケアロボット”というアイデンティティを保ち続けている。結果として、大きなトラブルと対峙するうえで重要な役割を果たすわけだが、その際にもベイマックスは自らの開発理念である、保護対象者の心身のケア、という第一義を損なっていない。
 展開は正しいヒーロー映画だが、ベイマックス、というキャラクターに焦点を合わせれば本篇は、意思がなくプログラムに従って動くロボットが、タダシというかけがえのない家族を失い心に深い傷を負ったヒロを癒やす物語に他ならないのである。そのつもりで鑑賞しても、途中のユーモアやクライマックスの強烈な疾走感、昂揚感は味わえるし、何よりも、事件終盤での描写により強く心を打たれる。ロボットというかたちで遺されたタダシという人物のどこまでも真摯な優しさを感じ取ることも出来るし、あくまでプログラムに過ぎないベイマックスのその愚直な振る舞いに、生命を超越した人間性を感じ取ることも出来る。ベイマックスというかたちで体現されたタダシの信念が、天才的な頭脳を持ちながらも燻っていたヒロを文字通り飛躍的に成長させた、と捉えると、実に感動的なドラマに昇華されるのだ。
 あくまでヒーロー映画として宣伝して欲しかった、というひとの気持ちもよく解る。解るが、そこに囚われることで、(こと日本において)観客の幅を狭めてしまうことを回避するために、“ベイマックス”をタイトルに冠し、そちらに観客の関心を惹きつけようとしたのだろう。その意図を充分に表現し切れていないのなら広告として不適当だが、本篇はヒーロー映画という側面を抜きにしても優秀な作品だ。その意味では、やはりあの宣伝の仕方は間違っていなかったと思う。観た上で、これはやはりヒーロー映画でしかない、と捉えるのは個人の自由ではあるが。

 いまさら語る必要も感じなかったので本論では飛ばしたが、やっぱり最後にひとつ触れておきたい。
 本篇はこれまでのディズニー作品、のみならずマーヴェル作品と並べても、抜きん出て日本の文化に対するリスペクトが濃厚に織り込まれている。主人公の“ヒロ”に兄の“タダシ”からしてあきらかまに日本風だが、彼らの住居や町のデザイン、ロボットバトルの舞台にも細かに日本の文化がちりばめられている。
 日本人の目からすると、不自然な使い方が多い。女性が洋装で簪を挿して和傘を持っている、なんていうのは日本人の感性からするとシュールだし、障子のようなものを衝立にしているのも突飛に映る。
 ただ、本篇はそもそも“日本が舞台”だ、とは謳っていない。恐らくは『鉄腕アトム』や初期のロボットアニメに対するリスペクトが、本篇に日本“風”の舞台を選択させたのだろう。あまり目くじらを立てずに、日本の文化が海外のアーティストに取り込まれて生まれた化学反応を素直に楽しむほうがいい。


関連作品:
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