『白い牛のバラッド』

TOHOシネマズシャンテが入っている建物外壁にあしらわれた『白い牛のバラッド』キーヴィジュアル。
TOHOシネマズシャンテが入っている建物外壁にあしらわれた『白い牛のバラッド』キーヴィジュアル。

英題:“Ballad of a White Cow” / 監督:ベタシュ・サナイハ、マリヤム・モガッダム / 脚本:ベタシュ・サナイハ、マリヤム・モガッダム、メフルダード・クーロシュニヤ / 製作:ゴラムレザ・ムサヴィー、エティエンヌ・ドゥ・リカード / 撮影監督:アミーン・ジャアファリ / 美術&衣裳:アトゥーサー・ガラムファルサイ / 編集:アタ・メフラード、ベタシュ・サナイハ / サウンド:ホセイン・グールチヤン、アブドレザ・ヘイダリ / 助監督:アーラシュ・マシュヴァラト、キヤーラシュ・サナイハ、アフマド・モカリ / 出演:マリヤム・モガッダム、アリレザ・サリファル、ブーリア・ラヒミサム、アーヴィン・フールラウィ、フリド・ゴバディ、リサ・ファルハドプール / 配給:Longride
2020年イラン、フランス合作 / 上映時間:1時間45分 / 日本語字幕:齋藤敦子
2022年2月18日日本公開
公式サイト : https://longride.jp/whitecow/
TOHOシネマズシャンテにて初見(2022/3/3)


[粗筋]
 イランで暮らすミナ(マリヤム・モガッダム)の夫ババクは殺人罪で死刑に処された。そうでなくてもシングルマザーには厳しいイスラム社会で、ミナはひとり娘ビタ(アーヴィン・フールラウィ)を育てるため、牛乳工場に勤務しながら内職も行っている。
 だが、夫の死から1年後、ミナは裁判所から思わぬ報せを受ける。夫の関わった事件に新たな証言があり、真犯人が自供した、と言うのだ。義弟(ブーリヤ・ラヒミサム)と共にその事実を聞かされたミナは、慟哭する。
 誤審を認めた裁判所から、遺族には補償金が下りる、というが、ミナはそれでは気が収まらなかった。死刑を決めた判事からの謝罪を求めるが、裁判所はこの要望には応えようとしない。
 そんなある日、ミナの元をひとりの男性が訪ねてくる。レザ(アリレザ・サリファル)と名乗ったその男は、ミナと結婚する以前からババクと親交があり、生前に金を工面してもらったことがある、という。ババクの代わりに、ミナに金を返したい、というレザの申し出をいちどは拒んだが、けっきょく折れて受け取った。
 しかし、この出来事がきっかけで、ミナはアパートを追い出される羽目になった。シングルマザーの家庭に親族以外の男性が踏み入ることはイスラム社会では好ましいとは考えられていない。レザが出入りしているところを家主に目撃されてしまい、彼女に同情的だった家主の妻から退去を言い渡されてしまった。
 日々の糧を稼ぎながら、判事の謝罪を求める活動をしていたミナは、更に住居探しにも追われることになった。途方に暮れるミナに、救いの手を差し伸べたのはレザだった。彼はミナに格安の物件を紹介してくれたのである。
 補償金やビタの親権をめぐって夫の家族とも関係が悪化し、頼るあてを失いつつあったミナは、次第にレザに信頼を寄せるようになる。だが、レザには、ミナにどうしても告げることの出来ない秘密があった――


[感想]
 あまり文化に馴染んでいない国の映画を鑑賞するのは、ストーリーや演出とは別の次元の面白さがある。自身の生活圏にはない風習、その背景にある価値観に接することで、知的好奇心が満たされるような興奮が味わえる。とりわけ、背景にイスラム教という、日本人にとっては決して縁の深くない宗教をいただくイランの映画は、個人的に特に関心を持っていて、ときおり輸入される作品をなるべく鑑賞するようにしている――如何せん、決して一般受けはしないので、どうしても映画祭やミニシアターの上映に限られてしまい、なかなか数を鑑賞は出来ないのだが。
 久々に鑑賞することの出来たイラン映画である本篇は、その点で理想的と言えるものだった。なにせ、そうしたイラン独特の文化や価値観が、物語の本質と密接に絡みあっており、読み解くことで自然と理解が深まる内容になっている。
 本篇において興味深いのは、社会における女性の地位とその描き方だ。イスラム教の社会にあって、女性の地位はかなり低く扱われている、という情報くらいはあっても、実際にどのような扱いなのか、は想像しづらい。
 本篇の主人公ミナの境遇は、まさに象徴的とも言える。夫を亡くしたシングルマザー、しかも当初、夫は死刑囚として扱われている。時代が時代なら、生活すらままならなくなりそうだが、さすがに周囲には理解者がいるお陰だろう、カツカツではあるが生活は成り立っている。とはいえ、夫が犯罪者として罰せられたがゆえか、序盤はことさらに慎ましく暮らしているように映る。
 そんな彼女にとって、夫の冤罪の発覚は、救いのようでいて、より悪夢へと導くような事態だった。不充分な捜査で夫を奪われた、と取り返しのつかない状況で知らされただけでも悲惨だが、この事実から雪だるま式に悪化していく流れが、まさにイスラム社会ならでは、と思わずにいられない。日本や西欧諸国でも未だ女性差別は少なからず残っているが、さすがに夫を失った女性のもとに家族以外の男性が出入りした、というだけで住居を追い出されることはあるまい。頼れる相手の少ない彼女を住まわせ続けたアパートの家主や、雇用を続ける勤め先の様子には、まだ女性がひとりで生活を営める環境はあるように映るが、退去勧告されたあとの住居を探す難しさ、周囲の眼の厳しさは、やはり文化の違いを意識させられる。
 文化の違いは繊細な描写にも窺える。具体的な描写こそないものの、本篇には明らかに情を交わした、と思われるひと幕が織り込まれている。女性が肌を露出することを禁じるイスラム社会ならではの、極めて迂遠な表現方法だが、しかしそれゆえに却って異様な生々しさを感じる。実際にイスラム社会で暮らす人びとの目にどのように映るか、は余所者である私には解らないが、本篇の表現は新鮮さと、驚きを感じずにはいられなかった。
 設定はサスペンス的だが、本篇は終始、動きには乏しい。カメラも最小限の動きで、主人公ミナや、物語に深く関わるレザの心情を繊細に表現する。前述した、情交を思わせるくだりの描写も印象的だが、秀逸なのは、ミナがある事実を知らされる場面だ。乗用車のフロントシートを正面から捉えたカメラは、ドアから出た人物を追って横に振られる。そのあいだも続けられる音声によるやり取りがもたらした心境の変化を、カメラはふたたび元の科学に戻ることで、残酷なまでに明瞭なコントラストで描き出す。静かで重い衝撃は、この腰の据わったカメラワークと繊細な芝居に支えられている。
 最後まで予断を許さない物語は、しかしクライマックスに至って、結末を観客に委ねるかのような曖昧な描写で幕を下ろす。あまり深く考えずに物語を受け入れるようなひとは、ことここに至って困惑するのではなかろうか。最後にミナがどうしたのか、それは観るひとによって解釈は分かれる。ただ、そうして結末を曖昧にしたことが、本篇の物語について観客に考察を促す。自分ならどう捉えるか、自分がミナの立場ならばあの場面でどう行動したのか。イスラム社会は特に過酷だが、どこにおいても未だ女性がしばしば生きづらさに苦しめられる傾向にあることまで含めて、想いを馳せずにいられない。
 率直に言えば、あえて謎めかして綴る語り口も、大筋の展開も予想の範囲内であり、観客に委ねられた結末も決して意外ではなかった。だが、イスラム社会の規範の中に収めながら、ギリギリで女性としての生き方を描きだし、国境や宗派を越えて伝えようとした姿勢は尊い。ミナが最後に何をしたかに拘わらず、彼女の姿に代表される、苦難に弄ばれる女性達に救いがあることを祈らずにいられなくなる、そんな作品である。


関連作品:
友だちのうちはどこ?』/『彼女が消えた浜辺』/『別離』/『メルボルン』/『ウォーデン 消えた死刑囚』/『理由(1995)』/『誰も守ってくれない

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