『第9地区』

『第9地区』

原題:“District 9” / 監督:ニール・ブロムカンプ / 脚本:ニール・ブロムカンプ、テリー・タッチェル / 製作:ピーター・ジャクソン、キャロリン・カニンガム / 共同製作:フィリッパ・ボウエン / 製作総指揮:ビル・ブロック、ケン・カミンズ / 共同製作総指揮:ポール・ハンソン、エリオット・ファーワーダ / 撮影監督:トレント・オパロック / 美術:フィリップ・アイヴィ / 編集:ジュリアン・クラーク / 衣装:ディアナ・シリアーズ / 音楽:クリントン・ショーター / 音楽監修:ミッシェル・ベルシャー / 出演:シャルト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ、ジェイソン・コープ、ヴァネッサ・ハイウッド、ナタリー・ボルト、シルヴァン・ストライク、ジョン・サムナー、ウィリアム・アレン・ヤング、グレッグ・メルヴィル=スミス、ニック・ブレイク、ケネス・ンコースィ / ウイングノット・フィルムズ製作 / 配給:Warner Bros.×GAGA

2009年アメリカ、ニュージーランド合作 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG-12

第82回アカデミー賞作品・脚色・編集・視覚部門候補作品

2010年4月10日日本公開

公式サイト : http://d-9.gaga.ne.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2010/04/10)



[粗筋]

 人類と異星人との遭遇は1982年、南アフリカ共和国ヨハネスブルク上空で現実のものとなった。

 しかし現れたままただ滞空し沈黙を続けていた宇宙船に業を煮やし、ドリルを用いて潜入を試みた人類は、それが目的を以て訪れたものではなく、何らかの理由で航行不能となり、地球に漂流してきた“難民”に過ぎないと知り、失望する。

 南アフリカ共和国はこの“難民”をヨハネスブルクの第9地区に置いた仮設住宅に受け入れた。だが、生産能力もない彼らを収容したこの地区は、またたく間にスラム化していった。地球の環境に“難民”たちが順応していくにつれて、彼らは第9地区の周辺に出没し、諍いや殺人を行いはじめる。当然のように周囲の住人たちの感情は悪化し、“難民”たちをその外見が似ていることから“エビ”と呼ぶようになり――いわば、新しい人種問題を引き起こしていったのだ。

 それから27年後、依然として第9地区に居座り続ける“エビ”たちを、新しい居住区を設けた第10地区に移住させる計画が持ち上がる。土地を所有する、という概念がない“エビ”たちの説得、指導する事業は、国際的な軍事企業MNUに委託され、ヨハネスブルク支局エイリアン課に勤務するヴィカス・ファン・デ・メルヴェ(シャルト・コプリー)の指揮のもと、実行に移された。

 共存のため、というのは単なるお題目に過ぎず、MNUの狙いは“エビ”たちの所有する、特殊な兵器の数々である。移住の名目で“エビ ”を第9地区から放逐し、残された兵器を徴収、未だ“エビ”にしか使えないそれらを研究し、技術を独占するのがMNUの目的であった。

 そうした事情をすべて知らされているわけではなかったヴィカスは、陽気に自らの仕事を進めていたが、ある住居を調べているとき、ひとつの奇妙な物質を発見したことで、彼は人類史上類を見ない事件の中心人物になってしまう……

[感想]

 2009年の夏、アメリカを騒がせた1本の映画が存在する。キャストはおろか監督は新人でスタッフもほぼ無名、製作費は同時期の大作の数分の一でしかない。にも拘わらず、ユニークな広告の手法で話題を集め、いざ公開されてみると、並み居る大作を押しのけて週末興収1位を獲得、最終的に1億5千万ドルという興収を稼ぎ出し、更にはアカデミー賞で4部門にノミネートされた他、多くの映画賞でその名前を挙げられるに至った。あまりの話題性に、日本でも公開を願う声は早くから上がっていただけに、まさに待望の上陸である。

 期待があまりに膨れあがりすぎると反動も強いものだが、本篇の場合、どれほど期待値を高くしてもまず裏切られることはないだろう。とにかく、実に丹念に、それでいて大胆に築きあげられた、理想のエンタテインメントと呼んで差し支えないような仕上がりを示している。

 成功の要因は多々あるが、まず発端となるアイディアが優れているのは議論の余地を俟たないだろう。“未知との遭遇”を扱った映画は多々あれど、こういうモンスターに類する外観の異星人が地球に棲みつきコミュニティを形成、しかも20年以上も膠着状態が続いている、などという趣向は極めて稀だ。

 加えて、その素材を掘り下げ、差別問題と結びつけているのが炯眼である。確かに、こういう状況で漂着した異星人が地球の人間を武力、意思の力で圧倒することは考えられないし、そうなればその外観、あまりに野蛮な行動は差別の対象となりうる。考えれば決して不自然な点はない、だがそこに着目し掘り下げた、という一点だけでも本篇は優れている。監督の出身地であったという必然性もあったようだが、舞台にかつて“アパルトヘイト”という世界的に最も悪評の高い差別政策を実施し、現実に未だその影響から免れていない南アフリカヨハネスブルクを選んだのも優れた着眼点だ。

 そして、その卓越した着眼を、プロットの上でも語り口の上でも存分に活かしているのだから、詰まらないはずがない。背景をまずドキュメンタリー形式で綴り、事件に突入するとひたすらに予想を超える展開を繰り返す。

 決して欠点がないわけではない。むしろツッコミどころと呼ぶべき部分が少なからず見いだせる。エイリアンの生態や武器についてかなり細かく設定を組み立てている一方で、引っ掛かる描写がところどころに見受けられる。個人的に気になったのは終盤、ある理由で強烈な衝撃波が発生、近隣のビルの窓を吹き飛ばす、という描写があるが、それほどの衝撃波のなかを平然とヘリコプターが飛んでいるのはさすがに不自然に見えた。また、粗筋のあとあたりから始まる事件において、重要な位置づけにある“物体”が、まったく異なるふたつの事象に関わっていることに、どうしても御都合主義の印象が拭えない。

 フェイク・ドキュメンタリー手法に愛着のある私には、その趣向を充分に掘り下げていないのも惜しまれてならない。本格的に危機が始まると、主人公であるヴィカスや、事態に深く関わる異星人クリストファー(ジェイソン・コープ)などを通常のドラマと同じようなアングルで撮影している。ハンディ・カメラを多用しているので画面の印象に大幅の違いはないが、やはり作品全体の立ち位置に狂いが生じているのがどうしても引っ掛かった。

 だが本篇には、そうしたあからさまな欠点を強く意識させないほどの牽引力が備わっている。現実の難民問題を反映しつつ、ユーモアをふんだんに織り交ぜた序盤ドキュメンタリー部分は笑わされつつも関心を惹かれるし、主人公の身に起きた異変と周囲の対処の仕方は、ところどころ行きすぎた描写はあるが、意表をつきながらも生々しい。異星人といえど、収入の手段なく棲みついた彼らの居住区がスラム化していくのは自然な流れだし、その周辺でどんなことが起きるか、という過程の積み重ねに説得力があるため、突拍子もないという印象をもたらさないのだ。

 そして、非常に低い予算で制作されているのを実感させながら、VFXの完成度が高い点も好感が持てる。異星人の挙措には少々ぎこちなく滑稽な部分も目立つが、ヨハネスブルク上空に浮かぶ宇宙船、という異様なヴィジュアルなどユニークな絵が随所に盛り込まれ、終盤で繰り広げられる激戦は、馴染み深いB級SF映画の味わいを存分に堪能させてくれる。

 もうひとつ、本篇の出色な点は、主人公がこの上なく俗物である、ということだ。欺瞞に過ぎないことを承知で社の方針に唯々諾々と従い異星人たちに転居を承諾させるくだりの卑屈さや、窮地に追い込まれながらなかなか思いきった行動が出来ず却って事態を悪化させ、いざ動いても大した策を持たない。およそヒーローから程遠い、それどころか人によっては不快感しか抱かない造形だが、彼が遭遇した状況に自分を置いてみれば、恐らく観客の大半がある程度は同情を抱くはずだ。非常事態といえども、凡人が取る行動というのは、この作品の主人公と大差はない。そうして実感的な視座で人物の行動を組み立てたうえ、最後には一種の清々しさを感じさせるところにまで引き上げてしまっているのが素晴らしい。

 傑出した着想に安易に寄りかからず、それを掘り下げ、恐らくある程度は矛盾も不自然さも許容した上で力強いドラマを構築することを選び、見事に成功した稀有な傑作である。もともとスタッフも予算設定もハリウッドの常識の埒外にある、という気楽さも手伝ったからこそ誕生し得た作品であるだけに、監督ら製作者には大いなるプレッシャーをもたらすことにもなっているが、しかし本篇がSF映画ファンのみならず、多くの映画愛好家に語り継がれる作品になっていることは間違いないだろう。

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