『マザーレス・ブルックリン』

新宿ピカデリー、スクリーン3入口脇のデジタルサイネージに表示されたポスター・ヴィジュアル。
原題:“Motherless Brooklyn” / 原作:ジョナサン・レセム / 監督&脚本:エドワード・ノートン / 製作:マイケル・バーダーマン、ビル・マイグリオレ、エドワード・ノートン、ジジ・プリツカー、レイチェル・シェーン / 製作総指揮:エイドリアン・アルペロヴィック、スー・クロール、ダニエル・ナドラー、ブライアン・ナイランヤン・シェース、ロバート・F・スミス / 撮影監督:ディック・ポープ / プロダクション・デザイナー:ベス・ミックル / 編集:ジョー・クロッツ / 衣装:エイミー・ロス / キャスティング:アヴィ・カウフマン / 音楽:ダニエル・ペンバートン / 楽曲提供:トム・ヨーク / 出演:エドワード・ノートン、ググ・バサ=ロー、アレック・ボールドウィン、ボビー・カナヴェイル、ウィレム・デフォー、ブルース・ウィリス、イーサン・サプリー、チェリー・ジョーンズ、ダラス・ロバーツ、ジョシュ・パイス、マイケル・ケネス・ウィリアムズ、レスリー・マン、ロバート・ウィズダム、フィッシャー・スティーヴンス / クラス5フィルムズ/MWMスタジオズ製作 / 配給:Warner Bros.
2019年アメリカ作品 / 上映時間:2時間24分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG12
2020年1月10日日本公開
公式サイト : http://motherlessbrooklyn.jp/
新宿ピカデリーにて初見(2020/01/30)

[粗筋]
 僕、ライオネル・エスログ(エドワード・ノートン)の頭のなかはぶっ壊れている。いつも断片化したフレーズが溢れかえり、急に口をついて出るのが抑えられない。でもその代わりに、見聞きしたことを決して忘れない記憶力を持っている僕を買ってくれたのが、ボスのフランク・ミナ(ブルース・ウィリス)だった。彼は僕を含めた4人を孤児院から引き取り、自身の探偵事務所で調査員として雇ってくれた。
 その日、フランクはいつもと様子が違っていた。僕とギルバート・コニー(イーサン・サプリー)を見張りに置いて、会合のためにとあるビルへと赴いた。フランクの指示で室内の会話を盗聴していた僕は、彼の異様な緊張に気づく。会合は険悪に展開し、階下に下ろされたフランクは車に乗せられ連れ去られた。これもフランクに指示された通り、僕とコニーは尾行を試みたけれど、一瞬行方を見失った隙に、フランクは撃たれてしまう。
 同僚たちは雇い主を失ったことで、どうやって事務所を維持していくか、に頭を悩ませていたけれど、僕はフランクを<殺した犯人をどうしても突き止めたかった。ひとまず経営を受け継ぐことになったトニー・ヴェルモンテ(ボビー・カナヴェイル)の指示で、僕は調査を続けることになった。
 フランクが最期に遺した言葉を手懸かりに僕が探り出したのは、モーゼス・ランドルフ(アレック・ボールドウィン)という男。ニューヨークの都市開発を手懸けるこの男は、スラムとまで呼べない低所得者層の生活するエリアまでも再開発の名のもとに立ち退きを押し進めており、ギャビー・ホロウィッツ(チェリー・ジョーンズ)らが活発に反対運動を押し進めている。僕は、ホロウィッツの側近である弁護士ローラ・ローズ(ググ・バサ=ロー)がフランクの立ち回り先に現れたことを知り、彼女の周囲を探ることにした――

[感想]
 原作が発表されて20年以上、日本でも比較的早いうちに翻訳され、私の記憶ではいつの時期か、店頭に並ぶ本の帯に“エドワード・ノートン監督で映画化”と打たれていた。先行する『僕たちのアナ・バナナ』が、やや話が長すぎる感はあったが快い余韻の残る佳作だったので、新たな側面を見せてくれるであろう監督第2作を待ちわびていた。
 まさか、20年も開くとは思わなかった。
 普通ここまで時間を費やすと、映画化そのものが廃案になったり、原作権が引き上げられ異なる製作者のもとで仕切り直したりするものなのだが、本篇はよほどエドワード・ノートンが作品に対して愛着を抱いていたか、或いは原作者がノートンを信頼していたのか、ずっと温め続けられていたらしい。
 しかしその結果、パンフレットの記事によると、かなりの脚色が施されたようだ。あいにく原作の翻訳書は日本では絶版状態で、私は目を通せないのだが、共通するのは主人公ライオネルやその周辺人物の設定と序盤の流れくらいのもので、事件の展開も解決もだいぶ異なっているという。それどころか、時代背景も、原作は発表当時に近い1990年代の物語なのだが、映画では1950年代に変更している。
 だから、長く作品を預け、脚色の方向性も承諾済だった原作者はともかく、原作の読者にはまるで別物に映るのかも知れない。だが、原作を読まずに鑑賞したものとしては、まったく違和感はなかった。むしろ、初めからこの時代を背景に、いま作られるべきノワール映画だった、とさえ思う。
 劇中における50年代のブルックリンは、大規模な再開発に揺れている状況だ。景観と生活環境の改善を見込む一方で、低所得者層が暮らしている地域を“スラム”として強引な立ち退きを進めている。富裕層と低所得者の感覚の乖離、という意味では現代にも通じる際立った背景があり、更にその奥にも、未だアメリカの根深い病巣として残る問題を埋め込んである。主題を現代よりも露骨に、極端に描写出来る、という意味では、時代を40年近く巻き戻したのは賢明なアイディアだった、と言える。
 また、やはりこのくらいの時代は、単純に絵になる。現代の主流のような流線型ではなく、重みがありながらも優美なデザインの乗用車、近代的な建物も増える一方で残るくすんだレンガ造りの建物。そこで暮らす人びとの貧しさを風景に匂わせつつも佇まいが美しい。ボスのフランク亡き後でライオネルも踏襲した、帽子にトレンチコートという往年のノワール、私立探偵小説の様式を感じさせる服装も填まっている。
 惜しむらくは、多くの要素を詰め込みすぎて、物語として整頓出来ていない点だ。フランクの死の理由を解き明かすのが大前提なので、捜査の過程で事実が入り乱れていくのは仕方ないが、そこにあまりにも贅沢に様々な趣向を盛り込んでいるので。話が進むほどに、どこを目指しているのか解らなくなる。終盤に至って少しずつ事情が明らかになっていっても全体の整理がつかず、「こんな話だったっけ?」と困惑が残る観客もたぶんいるのではなかろうか。
 しかし、その混乱ぶりが、ある意味ではライオネルという特異なキャラクターと呼応し合って、まるで彼の目に見える世界を疑似体験しているかのような感覚が味わえる、というのも確かだ。衝動的に自らの頭に浮かんだ言葉を口にしてしまうライオネルの頭の中には無数の記憶が残り、手探りしないとその中から物事の繋がりを特定することも出来ない。その迷宮めいた彼の脳内風景と影響し合うかのような物語の展開と極めて直感的な謎解きは、往年のノワールの様式を踏襲しながらも新鮮で刺激的だ。観た人誰もがそんな風に感じられる訳ではなく、投げ出しかねないリスクも大いに冒しているが、試みの意欲と再現性は評価したい。
 優れた俳優が監督を務めた場合の常で、本篇はブルース・ウィリスにアレック・ボールドウィン、ウィレム・デフォーと、重要な役柄に名の通った名優を配して、複雑な物語に芯を通している。そうして堅牢に固められた作品世界で、エドワード・ノートンが風変わりだが愛すべき好人物を、緊張感を持ちつつものびのびと演じている。実のところ本篇のライオネルは内容から推測するとせいぜい30代、企画が公になった当時のノートンなら問題はなかったが、本篇の撮影時には既に50歳近く、さすがにアップになると年齢が覗くが、しかし全体ではあまり違和感がないのは、彼の演技力の為せる技だろう。
 作り手としては、その事件の背景にこの時代ならではの歪みを織り込みつつ、それが現代に至ってもなお地続きである点に着目して欲しいところなのかも知れない。しかしそれ以上に、提出された素材を佇まいの美しい映画に仕上げるべく籠めた情熱が伝わる作品であることが先に立つ。物語には苦みがありつつも、余韻は爽やかだ。

関連作品:
インクレディブル・ハルク
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』/『ミスター・ガラス』/『アリー/スター誕生』/『アントマン』/『アクアマン』/『ウルフ・オブ・ウォールストリート』/『オーシャンズ12』/『ダラス・バイヤーズクラブ』/『ジョーカー』/『ロボコップ(2014)』/『フィリップ、きみを愛してる!』/『ダークナイト ライジング』/『グランド・ブダペスト・ホテル
第三の男』/『深夜の告白』/『チャイナタウン』/『エンゼル・ハート(1987)

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