『キッドナップ・ブルース』

監督、脚本、撮影&照明:浅井愼平 / 製作:岡本みね子、佐々木史朗 / 編集:吉岡雅春 / 録音:小島和明 / 音楽:山下洋輔 / 監督補:岩垣保 / スチール:宮沢鬼太郎 / 出演:タモリ一義、大和舞、淀川長治、岡本喜八、山下洋輔、桃井かおり、川谷拓三、竹下景子、内藤陳、佐藤B作、室田日出男、宮本信子、沢渡朔、伊丹十三、渡辺文雄、所ジョージ、米山功、吉行和子、高見恭子、根津甚八、森健一、小松方正 / バーズスタジオ&ATG製作 / 初公開時配給:東宝 / 映像ソフト発売元:KING RECORDS
1982年日本作品 / 上映時間:1時間34分
1982年10月9日日本公開
2019年11月26日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|Blu-ray Disc:amazon]
神保町シアターにて初見(2020/08/20) ※《80年代ノスタルジアII》の1本として


[粗筋]
 バンドマンだが、近頃はパチンコの稼ぎでのらりくらりと生活していた森田一義(タモリ一義)はある日、日頃から面倒を見ている近所の少女・舞(大和舞)から「海が見たい」とせがまれる。森田は舞を自転車の荷台に乗せて海まで出かけていった。
 海をたっぷり眺めたあと、森田と舞は野宿し、そのままふらりと旅に出た。滞在した宿で、森田は舞にちゃんと母親(桃井かおり)に連絡するように促すが、舞は誰と一緒にいるのか、曖昧に説明をして切ってしまった。
 東京に引き返すでもなく、ただ自転車を漕ぎ続けた森田は、やがて警察によって指名手配されてしまう。しかし、それに気づきながらも、森田はパチンコで首尾良く稼いだときには旅館に宿泊し、あてのない旅を続けるのだった……。


神保町シアターロビー壁面に掲示された、『キッドナップ・ブルース』含む企画上映《80年代ノスタルジアII》の場面写真。
神保町シアターロビー壁面に掲示された、『キッドナップ・ブルース』含む企画上映《80年代ノスタルジアII》の場面写真。


[感想]
 いまや日本の芸能界で唯一無二の特異な存在感を放つタモリという人物の名前が世間に広く認知されたのは、お昼の生番組『笑っていいとも!』がきっかけだった。最初こそ決して視聴率は振るわなかったが、次第に人気が向上、いつの間にかお昼の定番となり、30年以上にわたって続いた国民的番組となった。司会であるタモリも、ひと目で解る風貌や洒脱な物云い、そして趣味人・知識人としての豊かさな素養も相俟って、『笑っていいとも!』終了後も尊敬を集め、日本人なら知らぬひとのほとんどいない存在となっている。
 本篇はその『笑っていいとも!』スタートとほぼ同時期に封切られているから、つまりは本格的ブレイク直前に撮影された作品である。もともとただの素人だったが、そのサーヴィス精神とユーモアがジャズ・ミュージシャンや赤塚不二夫らの目に留まり、請われて上京した、という特異な来歴を持つ人物だけあって、世間に広く認知される以前から芸能界での交遊は広く知名度も高かった。それ故に、本格的ブレイク前に主演作が存在する、という珍しい状況にも結びついているのだが、またそうした背景があればこそ、80年代のタモリを軸とした交遊録めいた側面も本篇には垣間見える。
 私自身、そこそこ知識は備えているとはいえ、さすがにまだまだ幼かった公開当時のカルチャー、著名人たちについて精通しているわけではなく、解らない人物が多かったのも事実だが、それでも驚くようなひとたちがあちこちでちょこっと顔を出す。序盤、夜も更けた海岸で、放置されたピアノを力強く弾きまくるのが、本篇の音楽も担当しているジャズピアニスト・山下洋輔なのを筆頭に、温泉で急に話しかけてくる文化人らしきひとが内藤陳だったり、廃校と思しい校舎でタモリ演じる森田たちに話しかけるのが竹下景子だったり、と枚挙に暇がない。当時、既に成人しており、テレビや様々なカルチャーに積極的に触れてきたひとなら、恐らく終始楽しめるだろう――もっとも、そんなひとなら、封切り当時に本篇を観てるだろうけれど。
 ただ、映画として時代を超える面白さがあるか、と問われると、正直、かなり疑問を抱く内容である。“キッドナップ”と題名にあるとおり、森田による少女誘拐が物語のきっかけなのだが、一般的な“誘拐”を扱った作品と同じ気分で接すると大いに肩透かしを食らうし、たぶんほとんど満足感はない。
 そもそも森田は、目的意識があって“誘拐”したわけではない。もともと可愛がっていた舞から「海が見たい」と請われ、その要望に応えたことから始まっている。なぜかそのまま、特に当てもない旅を始めて、気づけば誘拐犯として追われる立場になっているが、しかし追う側にも追われる側にも切迫感は皆無だ。森田は堂々と盛り場に顔を出し、懐に余裕が出来れば舞と共に旅館にも泊まる。しかも時に、堂々と「誘拐みたいなもんですね」と言い切ってしまう。あまりにもひと目を気にせず、しかも舞とも友好な関係を築いている森田の姿に、接触するひとびともよもや“誘拐犯”などと考えない、というのも解るのだが、それにしても暢気に過ぎる。それ故に、ひと目を避ける配慮も、追う者から逃れようとする緊迫感も描かれず、他の“誘拐”を扱ったフィクション全般にあるスリルや知的興奮を求めていると、間違いなく期待外れに終わる作りである。
 この作品の魅力はまず、もともと写真家である監督のこだわりとセンスが横溢する映像の数々にある。およそ他の映画ではなかなか観られないシチュエーション、構図が本篇には頻出し、映像のインパクトは極めて強い。前述した、夜の海岸でピアノを弾く山下洋輔をはじめ、林の中でトランペットを吹くタモリと、手前で遊ぶ女の子の奇妙なコントラスト、波打ち際を走る自転車のタイヤを中心にしたショット、葬列を 遠距離とアップで追うくだりなど、忘れがたいシーンが多い。
 そして、ちょこっとだけ顔を見せる豪華な出演者達と森田とのやり取り、そこで披露される人生観などに不思議な味わいがある。自分は農家に向かない、とうそぶく川谷拓三演じる農夫、焚き火をしている森田達の前に現れ韜晦するように人生を語る伊丹十三、きのうまでラーメンを売っていた、と言い張る妙なおでん屋台の渡辺文雄、などなど、それぞれに場面は短く再登場もしないのに、みな不思議と印象に残る。
 それらが物語に必要か? と問われれば大いに疑問なのだが、作品の唯一無二の雰囲気を生み出していることは確かだ。それぞれに80年代、何らかのかたちで知られた著名人達と、言葉を交わすタモリ演じる森田の飄々とした佇まいは、80年代の知識人達のやり取りを覗き見しているような楽しさがある。
 文芸的な作品、抽象的な語り口や印象深い映像で魅せる作品はいまもたびたび作られている。ただ、製作されたその時代の空気を濃密に封じたものには、それ自体で価値がある、と言えるかも知れない。80年代のカルチャーに特化して紡ぎあげられた本篇は、その時代を吟味する楽しさまで含めて文化として昇華した作品、と読み解くべきなのだろう。

 本篇は前述したとおり、ブレイクする以前のタモリを主演に抜擢して撮影されている。当時から芸能人・著名人のあいだで人気があったとは言い条、タモリという人物の幅広い素養を理解しているひとが多かったとは思えないのだが、それにしては驚くほどタモリを象徴するモチーフに満ちている。
 トランペット奏者でもあるジャズ愛好家、という側面はもちろん、即興でそれっぽい歌をでっち上げる手腕、更には鉄道とのシーンまである。終盤、立ち寄るバーで流れているのが、一時期毎年1回は『タモリ倶楽部』に出演するほど親交の深かった井上陽水の曲ばかりだ。
 タモリの趣味嗜好を監督が理解していたからこそ、そういうかたちで活かしたのかも知れないが、始めて主演した本作が今でも《タモリ》という類のないタレントのショーケースとして通用する作りになっている、というのが興味深い。


関連作品:
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