『旅情(1955)』

TOHOシネマズ日本橋、スクリーン3入口脇に展示された案内ポスター。 旅情 [Blu-ray]

原題:“Summertime” / 原作:アーサー・ローレンツ / 監督:デヴィッド・リーン / 脚色:デヴィッド・リーン、H・E・ベイツ / 製作:イーリャ・ロパート、ロバート・ホワイトヘッド、ウォルター・フリード / アソシエイト・プロデューサー:ノーマン・スペンサー / 撮影監督:ジャック・ヒルドヤード / 美術:ヴィンセント・コルダ / 編集:ピーター・テイラー / 録音:ピーター・ハンドフォード / 音楽:アレッサンドロ・チコチーニ / 出演:キャサリン・ヘプバーン、ロッサノ・プラッツィ、イザ・ミランダ、ダレン・マッガヴィン、マリ・アルドン、マクドナルド・パーク、ジェーン・ローズ、ガイタノ・アウディエロ、アンドレ・モレル、ジェレミー・スペンサー、ヴァージニア・シメオン / 配給:日本ユナイテッド・アーティスツ×松竹 / 映像ソフト発売元:TWIN

1955年イギリス作品 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:?

1955年8月14日日本公開

2012年6月8日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon]

第2回新・午前十時の映画祭(2014/04/05~2015/03/20開催)上映作品

午前十時の映画祭7(2016/04/02~2017/03/24開催)上映作品

TOHOシネマズ日本橋にて初見(2015/01/23)



[粗筋]

 秘書として地道に勤めてきたジェーン・ハドソン(キャサリン・ヘプバーン)は、蓄えを投じて、ヨーロッパ旅行に出かける。各地を歴訪したあと、ジェーンはかねてから憧れを抱いていたヴェニスの地に足を踏み入れた。

 街中を運河が通り、バスも消防も船を用いる光景に興奮し、盛んにカメラを向けながらジェーンは、フィオリーニ夫人(イザ・ミランダ)が営むペンションに赴いた。他の宿泊客と交流はするが、それぞれにパートナーと旅を満喫しており、ジェーンはどこかで出会いを期待しながら、ひとりで、或いは宿の近くに暮らす少年マウロを道案内に、美しい街を散策していた。

 ある日、買い物に出かけたジェーンは、骨董店の窓際に飾られた深紅のゴブレットに目を惹かれる。購入するために立ち入ると、店の主は見覚えのある人物だった。先日、サン・マルコ広場オープンカフェでボーイを呼び止められないジェーンのために声をかけた紳士だったのである。レナート・デ・ロッシ(ロッサノ・プラッツィ)というその店主は、同じものをもう1点求めたジェーンのために、探し出すことを約束する。

 自発的に価格を負けてくれたレナートに、ジェーンはロマンスの気配を感じた。ふたたびサン・マルコ広場で彼を待ったり、再度店を訪ねてみたりしたが、なかなか出会うことが出来ず、ジェーンは失望を味わう。だが、その直後、レナートが宿にやって来た……



[感想]

“ロマンス”という言葉で一括りにすると軽く思えてしまうが、名作と評される“ロマンス”はたいてい、それほど軽々しい作りにはなっていない。本篇はまさしくその好例だろう。

 邦題とヴェニスという舞台の醸しだす雰囲気は非常にロマンチックだが、しかし本篇の主人公ジェーンの心情に寄り添って鑑賞すると、非常に苦い物語だ。自ら有能と言い切るほどに仕事に没頭してきたからか、彼女には旅に同行する恋人も友人もいない。一期一会を期待していることが言動から垣間見えるが、その機会も得られず、積極的に動くことも出来ず、次第に落胆する。

 だから、ようやく巡り会ったロマンスの予感に心を浮き立たせるが、それでもジェーンの行動は消極的だ。最初に出会ったのと同じサン・マルコ広場で彼の到来を待ち、マウロと街を散策する振りで骨董店を訪ねたりするが、それ以上のアピールは出来ない。

 翻って、レナートと想いを通わせたあとは、極端に雰囲気が変わる。それまでは旅先でも動きやすい機能的な服装をしているが、買い物もしていなかったのに衣服を購入、肩や背中を大胆に露出した派手な格好になる。解り易いほどの浮かれっぷりだが、観ようによっては、気恥ずかしさを覚えるほどだ――彼女のはしゃぎようは、まるで十代の少女みを思わせる。

 そしてそれ故に、レナートについて、ある事実が発覚したとき、激しいショックを味わう。だがこれも、客観的に考えると反応として少々幼稚だ。少しでも大人らしい慎重さがあれば、先に確認して然るべきところだろう。60年以上経ったいまの目で眺めると、レナートは如何にもこういう振る舞いをしそうな人物だ。加えて、話を追えば、その言動にも手がかりはある。

 本篇は映像ソフトのパッケージに宣伝文句として記されているように、“大人の恋”の物語として捉えられている。だが、ごく冷静に俯瞰すれば、一般的な“大人の恋”というより、自らの孤独と思春期の少女にも似たロマンスへの憧憬に翻弄される、柔らかく言えば不器用な、遠慮なく言い切れば不格好な振る舞いを晒されているに過ぎない。たとえばジェーンが実在の人物だったとして、この経験を客観的に物語るには時間を要するのではなかろうか――見ようによっては華やかだが、その言動のそこかしこに自らの愚かさや、気取った繕いが露わな“事件”を冷静に綴るには、冷却か熟成の時間が要る。

 本篇終盤の展開は、明らかにジェーン自身の意思に基づいたものだ。ここだけは一見、大人としての分別が働いているようにも映るが、そこで彼女が覗かせる表情にはレナートやヴェニスという美しい街への未練と同時に、反発や復讐心めいたものもちらついている。アメリカでは有能な秘書として地位を獲得し、自立した人間であったはずの自らを激しく魅了し、衝動的な振る舞いをさせたものに対し、“大人の女”という定義を逆手に取って意趣返しを試みたかのようだ。ラストシーン、遠ざかっていくヴェニスの街に向けて大きく手を振るジェーンの、清々しさと未練が同居したかのような表情は、最後の最後に自らの意思で動いたからこその複雑な心境の顕れではなかろうか。

 見方としていささかひねくれているかも知れないが、それが出来るのは、本篇が斯様に一人の女性の感情を生々しく赤裸々に切り取っているからこそだ。慣れ親しんだ土地を離れ、かねてから憧れだった土地を訪れ浮ついた心と、それ故に本来は理性的であると思われるジェーンの感情に流されてしまうさまに、観る者が揺さぶられてしまう。

 繰り返すが、製作されたのはこれを書いているいまから60年以上前だ。その事実に驚愕するほどに、本篇の主題はいまも説得力を損なっていない。これこそ本当の“大人の恋”の物語なのだろう。



関連作品:

戦場にかける橋』/『アラビアのロレンス』/『ドクトル・ジバゴ

アフリカの女王』/『黄昏(1981)

007/カジノ・ロワイヤル』/『ツーリスト』/『ワン チャンス』/『ARIA the AVVENIRE