『日の名残り』

TOHOシネマズ日本橋、通路に掲示された案内ポスター。(※『午前十時の映画祭9』当時) 日の名残り [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]

原題:“The Remains of the Day” / 原作:カズオ・イシグロ / 監督:ジェームズ・アイヴォリー / 脚本:ルース・プロワー・ジャブヴァーラ、ハロルド・ピンター / 製作:ジョン・キャリー、イスマイル・マーチャント、マイク・ニコルズ / 製作総指揮:ポール・ブラッドリー / 撮影監督:トニー・ピアース=ロバーツ / プロダクション・デザイナー:ルシアナ・アリージ / 衣裳:ジェニー・ビーヴァン、ジョン・ブライト / 編集:アンドリュー・マーカス / キャスティング:セレスティア・フォックス / 音楽:リチャード・ロビンズ / 出演:アンソニー・ホプキンスエマ・トンプソンジェームズ・フォックスクリストファー・リーヴ、ピーター・ヴォーン、ヒュー・グラント、パトリック・ゴッドフリー、マイケル・ロンズデール / 配給:コロンビア映画 / 映像ソフト発売元:Sony Pictures Entertainment

1993年イギリス、アメリカ合作 / 上映時間:2時間14分 / 日本語字幕:戸田奈津子

1994年3月19日日本公開

午前十時の映画祭9(2018/04/13~2019/03/28開催)上映作品

2017年11月22日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon]

TOHOシネマズ日本橋にて初見(2019/1/10)



[粗筋]

 第二次世界大戦終了から数年、ダーリントン卿(ジェームズ・フォックス)の所有していた邸宅は、相続人の意向によって売却されることになった。当初は解体し石材を売却する方針だったが、アメリカの富豪であり、引退した政治家ルイス(クリストファー・リーヴ)が買い取り、建物は現状を維持することになった。

 多くの使用人も辞めていったが、執事のジェームズ・スティーヴンス(アンソニー・ホプキンス)は引き続き雇用され、邸宅の維持・管理を委ねられた。いずれアメリカから渡ってくるルイスの家族を迎えるため、早急に人手不足を解消することがスティーヴンスの悩みとなったが、ルイスはそんな彼に、きちんと休みを取るように提案する。

 そこでスティーヴンスは主の車を借り、イギリス西岸のクリーヴトンという町を目指した。その旅は、人手不足解消のための試みであると同時に、スティーヴンスにとっての心残りと対峙する決意でもあった。

 時は遡り1920年代、折しも名士が集う宴を前にして騒然としていたダーリントン・ホールに、新たな使用人の候補としてミス・ゲントン(エマ・トンプソン)という女性が訪れる。疑問点についてその都度確認を怠らない彼女は、スティーヴンスにとって扱いづらい人物だったが、しかし使用人としては確かに有能であり、ほどなくミス・ケントンはダーリントン・ホールでの地位を確立していく。

 ダーリントン卿は戦争後のドイツに対する過酷な制裁が新たな戦火をもたらすことを危惧しており、同盟諸国に宥和政策を求めるべく積極的に会合を設けていた。それ故に、既に多くの人員を抱えながらも使用人の仕事は多い。スティーヴンスは既に引退した父のウィリアム・スティーヴンス(ピーター・ヴォーン)を副執事として雇い入れることにした。

 だが、仕事を始めると、スティーヴンス・シニアは掃除道具を置き忘れたり、調度をおかしな場所に移動させたりと、経験からはあり得ない失態が続いた。ミス・ケントンに指摘されても、スティーヴンスは父の尊厳を重んじて副執事の仕事を与え続けたが、主人たちにお茶を運ぶ最中、敷石に躓いて転倒した姿を見て、けっきょく父の仕事内容を見直すことにした。

 そんな折、ダーリントン・ホールにフランスやドイツ、アメリカなどから有力者がこぞって訪れる、盛大なパーティが催されることになった。使用人たちが忙しなく動き回るなか、銀器の清掃をしていたスティーヴンス・シニアが突如、倒れてしまった――



[感想]

 実に重層的に組み立てられた作品である。

 単純に表面だけを見れば、貴族の生活を影で支える使用人、とりわけ貴族の邸宅の維持管理の責任を担った、執事という存在にスポットを当てた物語となっている。煌びやかな生活ぶりや頻繁に催されるパーティの様子などは様々なフィクションで接することが多いが、そうした暮らしを支える使用人の動向を中心に描いた作品は比較的珍しい。まずはその点から興味を惹かれるはずだ。

 次いで観客の関心を惹くのは、ミス・ケントンという女性の存在である。物語の冒頭、手紙という形で背景を語り、スティーヴンスが心残りを払拭するための旅に発つきっかけをもたらす彼女が、どのようにスティーヴンスに影響を及ぼしていくのか、という点を意識的に追いながら鑑賞することになる。

 もうひとつ目を惹くのは、彼らの主人であるダーリントン卿の思想や、それに基づく動向だ。スティーヴンスから敬意を払われるこの人物は、第一次世界大戦を経て実施されたドイツへの制裁の過酷さが禍根を生じていると考え、同国の貴族や他国の政治かに対して、宥和策を提言している。その考え方自体は確かに高潔だが、しかしその後の歴史を知る者の眼には危うく映る。案の定、時代を下るにつれてナチスが台頭、彼らの不興を買うまいと、ミス・ケントンが迎え入れたユダヤ人の少女を解雇するよう命じたりする。そしてこうした行動は、物語の中における現在のスティーヴンスの境遇、旅の途上での出来事とも結びついていく。戦時中のドイツとその影響下にあった諸国でのドラマは様々な形で描かれているが、本篇のような切り口は他にあまり思い当たらない。

 ざっと分類して、この3つの主題が、本篇は常に折り重なるようにして語られていく。現在と過去とを交互しながら、決してテンポを乱すことなく淡々と綴られていくので、ひとつひとつの描写の意味合いを考えながら観ていないと恐らく途中で退屈する。しかし、吟味しながら鑑賞すれば、極めて豊潤な味わいを堪能出来る。

 3つの主題が折り重なっているため、本篇はいずれがメインなのか判断しがたく、またジャンルとして語りづらい。そのため、いちばん伝えやすい“ロマンス”としてジャンル分けされる傾向にあるようだ。実際、上にリンクを用意したAmazonの商品説明の粗筋でも、スティーヴンスとミス・ケントンのロマンスに焦点を絞っている。

 だがこの作品の深甚さは、実のところ、本当にスティーヴンスとミス・ケントンとのあいだにロマンスと呼べるような感情が存在していたのか、必ずしも明瞭ではない、という点にもある。

 確かに、様々な出来事を前にミス・ケントンが示す態度や情動は、スティーヴンスへの感情の発露と解釈出来なくもない。だが、少なくとも劇中、相手に対して愛情を抱いている、と明言する場面は、スティーヴンスにもミス・ケントンにもない。お互いに、職場において最も信頼を抱いていた相手である、という程度の関係性であるようにも捉えられる。

 しかし、そのように解釈しても、別れの前に噴き出す感情を抑えられないミス・ケントンの姿や、重要なやり取りがあったあとにスティーヴンスが覗かせる表情が匂わせるものはなお色濃い。そこに漂う深い情感は、間違いなく本篇に滋味を加えている。

 私は原作は未読ゆえ断言は出来ないが、どうやら原作はスティーヴンスの視点で綴られており、それ故に視点人物の“思い込み”というバイアスがかかっていることも示唆される表現を用いているようだ。本篇が肝心の部分について触れずじまいなのは、原作のそうした手法を踏襲してのことなのだろう。

 これも原作を踏襲している題名がまた絶妙だ。執事という立ち位置から目撃する、イギリス貴族社会末期の様相を描きつつ、そこに人生を費やした男の郷愁を、決してわざとらしく強調することなく、淡々と綴っている。まさに、夕暮れのひととき、1日を惜しんで沈みゆく太陽を眺めている、そんな作品なのである。本当にあったか否かを突き詰めるのではなく、伸びていく影を慈しむかのような。



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