『尾崎豊を探して』

TOHOシネマズ上野、スクリーン5入口脇に掲示されたチラシ。

監督、撮影&編集:佐藤輝 / プロデュース:須藤晃、御領博、福田信 / 出演:尾崎豊 / 制作:テル・ディレクターズ・ファミリィ / 配給:東京テアトルライブ・ビューイング・ジャパン

2019年日本作品 / 上映時間:1時間35分

2020年1月3日日本公開

公式サイト : http://ozakisagashite.jp/

TOHOシネマズ上野にて初見(2020/1/4)



[概要]

 1984年3月15日、尾崎豊は中退した青山学院高等部の卒業式が催されたのと同じ日に、新宿ルイードで初めての単独ライヴを実施した。

 それから8年後、26歳の若さで彼はこの世を去る。決して長いとは言えない音楽活動は、しかし同世代のひとびとに強烈なインパクトを残し、死後30年近く経った現在も影響を留めている。

 尾崎豊とはいったい何者だったのか? デビューライヴに撮影隊を投入し、以来各地のライヴで撮影を敢行、尾崎の生前はPVの撮影も担当した映像作家・佐藤輝は400時間に及ぶ映像素材のなかから、その実像を紐解くことを試みた――



[感想]

 私自身が誤解していたことなので、まずは本篇がドキュメンタリー“ではない”という点を強調しておきたい。

 概要にも記した通り、本篇は監督・佐藤輝が撮影してきた素材を繋ぎあわせ、そこに尾崎豊の実像を描き出そうとした試み、と捉えられる。証言やデータを並べて実証的に尾崎豊像を炙り出すような趣向のものではない。私と同様に、ドキュメンタリーのつもりで臨んでしまうと、求めているものはほぼ提示されない。

 もともとこの監督は実験的な映像で語るタイプだったようで、冒頭から抽象的なイメージ映像が続く。街頭インタビューの模様を織り込み、「尾崎豊を知っていますか?」という問いかけを投げると、おもむろにライブ映像が挿入される。

 厄介なのが、このライブ映像、決して時系列の通りに使用していないらしいのだが、“いつ頃の映像か”を知る手がかりがどこにもない。そうすることで尾崎豊というアーティストが一貫して社会への反発と自由への希求を題材としている、と表現している、とも受け取れるが、ならばなおさら時系列に添った方が解り易い。それを敢えてやっていないことからも、本篇が伝わりやすいドキュメンタリーを指向していないことが窺える。

 それ故に本篇は尾崎豊そのものの、ミュージシャンとしての姿を総括する、というよりは、デビューライブから彼を追ってきた映像作家が、彼なりのスタイルで尾崎豊という人物の実像を探し求めた作品として鑑賞するしかない。

 そもそもドキュメンタリーという手法自体、作り手の意識のバイアスが強くかかりがちであるのに、本篇の作り方は余計に監督自身の体臭が濃密に押し込まれている。率直に言えば、生前の活動の様子を観たい、本当に少しでも真に迫った尾崎豊に触れたい、と考える観客にとっては理想的な作品とは言いがたい。

 また、実験的な作品として捉えても不満はある。挿入されるイメージ映像を使い回しすぎて、早いうちに鬱陶しくなってくる。反復することでリズムを生んだり、より強く印象づける狙いがあった、と解釈してもいささか執拗い。400時間に及ぶ素材から厳選した、と言うのなら、あんな陳腐なイメージを使い回すよりは、撮影の状態が多少悪くても、観客の目に触れる機会の少なかった映像を追加してほしかった。

 観客の目に触れる機会の少なかった映像、という意味で言えば、本篇にも見所はある。たとえば舞台裏で見せる意外な素顔の数々だ。楽曲の尖ったイメージからすると舞台裏でもギラギラした振る舞いをしていそうだが、スタッフに呼ばれたときの返事や遠方から訪ねてきた親類への応対から窺える顔は“誠実な好青年”だ。リハーサル中と思しい場面にて厳しい口調でスタッフを叱責する場面はあるが、舞台裏の表情はおおむね朗らかだ。音楽からは見えにくいこの姿を確認出来るのは貴重だと思う。

 そして、それと裏腹に、ライブ場面で見せるパフォーマンスは、正気を疑うほどに熱い。間奏部分で激しく観客を煽るかと思えば、普通なら暴走するファンを止めるのが役割の警備員が尾崎の方を制止するほどにあさっての方向まで駆け出したりする。終盤に採り上げられた場面では、床に寝転がりながら『15の夜』を熱唱したあと、次の曲が始まっても起き上がれず歌い出しもせず、スタッフによってステージ裏へと担ぎ出されている。こんな出来事がしょっちゅうあったわけではなかろうが、その全精力を叩きつけるようなステージングの危うさを象徴するかのようなひと幕だった。

 映像としてもうひとつ注目すべきは、やはり最初のライブの映像だろう。狭い楽屋でスタッフや親しい人々との純朴そうなやり取りから一転、ステージに立つと観客を狂おしいばかりに煽り、堂々たるパフォーマンスを繰り広げる。そこに漂う、“とんでもない奴が出て来た”という興奮と熱気も感じられる映像はそれだけでも本篇に鑑賞する意義を加えている。

 しかしこの最初のライブにまつわる映像で最も印象深かったのは、ライブが終わり、客も引き上げたあとと思しいステージにいるときの尾崎の表情だ。直前までの狂的なステージングとも、スタッフに対する礼儀正しい振る舞いとも違う、まるでいっさいを拒絶するかのような硬い表情で、遠くを見つめている。

 監督がこの映像を特に採り上げたのは、これが尾崎豊という人物のいちばん本質に近い姿を撮した、と感じたからではなかろうか。共感を招く楽曲と観衆を熱狂させるステージング、裏で見せる人懐っこさや礼儀正しさともまた異なる、他者を信用せずどこかで一線を画そうとするかのような姿。

 繰り返すが、あくまで本篇は佐藤輝監督が、自身の管理下で撮影した映像から抜粋して構築した尾崎豊像であり、監督のイメージというバイアスがかかっているのは間違いない。しかしそんな中に、監督自身が“掴みきれなかった”と語る尾崎豊の深層を垣間見せているのもまた確かだと思う。

 率直に言えば映画として個人的にはあまり高くは評価出来ないし、尾崎豊のライブ映像やドキュメンタリーなどをじっくり堪能したいひとにもお薦めしづらい。だが、尾崎豊という人物の本質に、作り手なりのスタンスで迫ろうとした実験作であり、彼が尾崎豊のPVにも関わってきたことを思えば、やはりファンならば一見の価値はあるだろう。



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