『ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して』

シアター・イメージフォーラム、施設外壁に掲示されたポスター。 ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して [DVD]

原題:“Jimmy P.” / 原作:ジョルジュ・ドゥヴルー / 監督:アルノー・デプレシャン / 脚本:アルノー・デプレシャン、ケント・ジョーンズ、ジュリー・ペール / 撮影監督:ステファーヌ・フォンテーヌ / プロダクション・デザイナー:デイナ・ゴールドマン / 編集:ロランス・ブリオー / 衣装:デヴィッド・C・ロビンソン / キャスティング:アヴィ・カウフマン / サウンド:ジェイミー・スカープッツァ、シルヴァイン・マルブラン、ニコラ・カンタン、ステファーヌ・ティエボー / 音楽:ハワード・ショア / 出演:ベニチオ・デル・トロマチュー・アマルリックジーナ・マッキー、ラリー・パイン、ジョセフ・クロス、エリヤ・バスキン、ゲイリー・ファーマー、ミシェル・アッパム、ジェニファー・ポデムスキー、マイケル・グレイアイズ、A・マルティネス / 配給:コピアポア・フィルム / 映像ソフト発売元:コムストック・グループ

2013年フランス作品 / 上映時間:1時間57分 / 日本語字幕:寺尾次郎

2015年1月10日日本公開

2015年6月10日映像ソフト日本盤発売 [DVD Video:amazon]

公式サイト : http://kokoronokakera.com/ ※閉鎖済

シアター・イメージフォーラムにて初見(2015/01/10)



[粗筋]

 第二次世界大戦のさなか、戦場で頭蓋を損傷し除隊したジミー・ピカード(ベニチオ・デル・トロ)は終戦後、鉄道員の職を辞し、幼少時から母親代わりに自分を育ててくれた姉がアイオワ州ワイオミングで営む農場に身を寄せていた。だが、ときおり目の前に光がちらつく現象と激しい頭痛に悩まされ、1948年に医師の診察を受ける。

 現地の病院では病名は特定されず、ジミーは姉に付き添われ、はるばるカンザス州のトピカへと赴く。様々な検査を受けた結果、頭蓋の負傷が脳に影響を及ぼした痕跡はなく、ジミーは分裂症の可能性が高い、と判断された。

 しかし病院は、ジミーがインディアンであることに懸念を抱く。もしかしたら彼ら独自の生活様式による原因があるのかも知れない。そのために、インディアンの生活や慣習について精通した人類学者のジョルジュ・ドゥヴルー(マチュー・アマルリック)を招聘する。ドゥヴルーは精神分析医として勤務する口を求めていたが、地元のフランスでもアメリカでも認可が下りず、ブルックリンのバーを根城にとぐろを巻いていた。

 ドゥヴルーが汽車でトピカに向かうそのあいだに、一般病棟に入院していたジミーは、夜に病院を抜け出し、鎮静剤の効いた状態で酒を呑んで昏睡状態に陥ったことから、一時拘束され、その後閉鎖病棟に収容される。

 ドゥヴルーがトピカに到着すると、ジミーはドゥヴルーとの1日1時間の面談を義務づけられる。ジミーの異常が身体的外傷ではなく、過去の経験によるものだと推察したドゥヴルーは、彼の生活環境や、日々の睡眠時に見る夢を聞き取り、原因を探ろうと試みた――



[感想]

 粗筋の中で“インディアン”という、現在は用いることのない呼称をしているのは、劇中の表現に倣っている。恐らく製作者もまた、この当時にはまだ“ネイティヴ・アメリカン”という呼び方が存在しなかったからこそ、あえて用いている、と考えられたので、粗筋を書く上で踏襲することにした。

 しかしこの作品の勘所は、当時はまだ色濃く残っていたであろう差別意識そのものではない。むしろ、異民族に対して平等であれ、少数民族に対して寛容であれ、という姿勢が却って観察眼を曇らせる、と指摘している。

 タイトルロールでもあれジミー・ピカード居留地に暮らし管理されているネイティヴ・アメリカンだが、部族特有の宗教や価値観に囚われているわけではなく、カトリックを信仰している。鉄道員として勤め、戦争においてもアメリカ軍の一員として沖縄戦に臨んだような人物であるから、むしろ精神性や価値観は白人社会に育てられたと言える。

 一方、彼のカウンセリングを任されるジョルジュ・ドゥヴルーは出身こそフランスだが、希望していた精神分析医への道が拓けないことからアメリカに渡り、それでもなお認められずに燻っていた、漂泊する者だった。ネイティヴ・アメリカンに関心を抱き、2年にわたって共同生活を送った、という経験も、もともとの学術的好奇心にもよるのだろうが、制度の中で疎外される人々に自らと近しいものを垣間見て、研究を試みた、とも捉えられる。

 つまりジミーもジョルジュも共に、自らが属する共同体のなかでは異端視される存在だった。だからこそ、ジョルジュは他の者よりもジミーの本質に迫ることが出来、ジミーも心を許し自らの過去を打ち明けるようになっていった。この物語は実在したジョルジュ・ドゥヴルーが書籍として著したジミーの精神分析をもとにしており、冒頭では“事実に基づく物語”ではなく“実話”と明確に謳っている――それでも誇張や映画的な潤色はあるだろうが、この出会いが両者にとって幸運であったことは断言してよさそうだ。

 事実に基づき、過剰に飾っていないせいもあるのだろう、本篇は全体に地味で、際立った波乱がない。また、劇中での精神医学のありようが、いまやほとんど顧みられることのないフロイト心理学に偏った形で描かれており、現代の視点から鑑賞するとあまりにうまく状況が運ぶことに若干の違和感がある。そのあたりで、作品としての評価があまり振るわなかったように思われる。

 ただ、少なくともジミーという人物については、ドゥヴルーの手法が奏功したことは間違いない。そしてそれは、映画の中で描かれる彼らの面談の様子からも確かに窺える。

 面談の中で最も多く語られるのはジミーが夢で見た出来事だが、そのシュールな展開の中に、確かに彼を悩ませていたものの正体は潜んでいた。そして、雑談のようにジョルジュが自らの身辺について語り、それによってジミー自身の過去や心情を少しずつ語らせることで、彼の心を蝕むものの本質を解きほぐしていく。夢診断の手法は今となってはもはや骨董品かも知れないが、それが実を結ぶまでのやり取りには説得力がある。

 この説得力を生んでいる最も大きな要因は、ジミーとジョルジュを演じた俳優にあるだろう。そもそもがフランス出身の俳優であり、ウイットに富んだ言動と、どこか根無し草めいた孤独な哀しさを自然と醸しだすマチュー・アマルリックももちろん素晴らしいが、やはり出色はタイトル・ロールであるベニチオ・デル・トロだ。彼自身はプエルトリコ出身だが、ネイティヴ・アメリカンと言われてもほとんど不自然さを感じない。怒りにも哀しみにも声を荒立てたりすることがない寡黙な人物ながら、その一挙手一投足に強い感情が滲む表現力は圧倒的だ。デル・トロの持つ役者としての色香を存分に引き出し、活かしている。

 物語は最後まで淡々と綴られ、決着に至っても華々しさはない。だが、ジミーとジョルジュ、ふたりの言葉に耳を傾け、彼らの心情に入っていけたなら、その多くを語らない結末がじんわりと沁みてくるはずだ。

 古い精神分析医学の現場を描いた作品ではあるが、それ以前に、真摯な心の交流を描いた作品と言える。決して興味本位や義務的なものではなく、ひたむきに向き合ったからこそ訪れる静かな奇跡だからこそ、観る者も真摯であればあるほど共鳴し、感動を覚えるに違いない――その前の約束事や必要知識が多いうえに姿勢まで問われてしまうのだから、取っつきやすい作品とはとても言えないのも確かだが。



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