『ひとよ』

TOHOシネマズ日本橋、スクリーン3入口脇に掲示されたチラシ。

原作:桑原裕子 / 監督:白石和彌 / 脚本:髙橋泉 / 製作総指揮:佐藤直樹 / 撮影:鍋島淳裕 / 照明:かげつよし / 美術:今村力 / 装飾:多田明日香 / 編集:加藤ひとみ / 衣装:宮本まさ江 / ヘアメイク:有路涼子、石田伸 / 録音:浦田和治 / 音響効果:柴崎憲治 / 音楽:大間々昂 / 出演:佐藤健鈴木亮平松岡茉優、田中裕子、佐々木蔵之介音尾琢真筒井真理子浅利陽介韓英恵MEGUMI、大悟(千鳥) / 企画・制作プロダクション:ROBOT / 製作幹事・配給:日活

2019年日本作品 / 上映時間:2時間3分 / PG12

2019年11月8日日本公開

公式サイト : https://hitoyo-movie.jp/

TOHOシネマズ日本橋にて初見(2019/11/23)



[粗筋]

 その晩、ずぶ濡れで帰ってきた稲村こはる(田中裕子)は、3人の子供たちに向かって、「お父さんを殺した」と告げる。繰り返される暴力に耐えかねての犯行だった。15年後に帰る、と約束すると、こはるは甥である丸井進(音尾琢真)の運転する車に乗って、警察へと赴いた。

 ――そして、15年が過ぎた。

 こはるが殺した夫が経営し、こはるが運転手として勤務していた稲村タクシーは丸井があとを継ぎ、稲丸タクシーと改称して経営を続けている。長男の大樹(鈴木亮平)は地元の電器店の娘・二三子(MEGUMI)と結婚し、雇われ専務となった。長女の園子(松岡茉優)は美容師になる夢が破れたあと、地元のスナックで働き、いまも稲丸多クシー社屋と併設した実家に暮らしている。次男の雄二(佐藤健)だけは実家から距離を置き、東京でフリーライターとして風俗やパチンコの記事を執筆し食いつないでいた。

 こはるは既に刑期を終えていたが、迎えに行った園子たちが次巻を潰している僅かのあいだに出所し、そのまま行方をくらましていた。それから年月が過ぎ、あれから15年が経ったことにきょうだいがふと感慨を覚えたその晩、こはるは帰ってきた。

 覚悟のうえの犯行であったことを理解していた丸井や、子供たちを救う“聖母”だった、という報道に接していた稲丸タクシーの従業員たちは、こはるを快く迎え入れたが、子供たちの心境は複雑だった。

 消えていた時間を埋めるかのように、こはるは前と同じように子供たちと接する。だが、かつての事件は、変わらず稲村家の上に深い影を落としていた――



[感想]

 この物語は、母親が我が子たちを夫の暴力から守るために、大きな罪を犯したところから始まる。もともと家庭内暴力によって傷だらけになっていた家庭はこのときいちど、完全に壊れた。母親は自首する前に、「15年経ったら戻る」と告げ、その約束どおりに帰ってくる。そこから本篇は、家族それぞれの振る舞いや周囲の反応を拾い、ドラマを紡いでいく。

 家族に対して、重傷を負うほどの暴力を振るう父親が、子供たちの未来の妨げになるのは間違いない。ただ、それを決着させるためとは言い条、母が罪を犯したことも事実だ。そして、世間はこうした事件の細部まで汲み取って配慮してくれるわけではない。事情を知る甥の丸井や、彼が引き継いだタクシー会社の従業員たちは、こはるの止むに止まれぬ心情、そして残された子供たちが少なくとも“父の暴力”というものから救われた事実を知っているから、こはるを快く迎え入れる。そして劇中描かれる、事件当時の報道もまた、ある程度はこはるに同情的だったことが窺える。

 だが、それでも殺人は殺人だ。子供たちは、父親を殺された被害者であると同時に、加害者の家族でもある。たとえ如何なる事情があっても、好奇や偏見の目を向ける人間は存在するのだ。子供たちが実際に体験した過酷な現実を、本篇は直接描くことはない。一見、ひとまずは平穏な暮らしを手に入れたかに見える子供たちそれぞれの表情や振る舞い、ときおり口にする心情から漏れてくる。そうして覗き見る子供たちの胸中が、それぞれに痛々しい。

 表面的にはみな平静を装いながらも、稲村家のひとびとは胸のうちで葛藤し、折に触れ軋轢を生じる。まるでパンパンに穀物を詰めこんだ袋のように、僅かな摩擦でも表面が裂け、詰めこまれたものがこぼれてくる。長い年月のあいだに熟成され、変質された感情や本音がそうやってこぼれるさまを、本篇は冷酷に、しかし丁寧に拾い上げていく。

 本篇が露わにしていくのは、家族という共同体の脆さだ。こはるは我が子たちとの絆を信じ犯行に及ぶことで、家族を夫の暴力から解放する。だが、両親が被害者と加害者になることで、子供たちは世間の無遠慮な眼差しに晒された。母が父を殺したという事実とも相俟って、それは3人のきょうだいに異なるかたちで影響を及ぼし、生き方に溝を作っていく。愚直に約束を守り、かつてと同じように――或いは、かつて望んだようにこはるが平穏に振る舞ったとしても、ひとりひとりが異なるかたちで背負った過去はこすれ合い、互いを傷つけてしまう。

 だが、にも拘らず、彼らは次第に“家族”というかたちを取り戻していく。最初は態度を取り繕いながら、次第に本音も露わにしてぶつかり合い、それでいて“他人”を気取ることの出来ない状況に陥っていく。過去に大きな事件を抱えた彼らだが、そんな彼らであっても、折々のやり取り、振る舞いは“家族”としか呼びようがない。

 繰り返される“衝突”を具現化したようなクライマックスが鮮烈だが、実はそれ以上に象徴的なシーンはもう少し前にある。ひと悶着あったあと、申し合わせるでもなくきょうだい3人が中庭の喫煙スペースに集まり、顔を見ることもせずに会話を交わすくだりだ。直前に揉めたが故の微妙な空気が不意にほぐれる、あの雰囲気はまさに“家族”そのものだ。意見が対立しぶつかり合ったあとでも、どこかに気易さがあり、居心地の好さがある。

 平穏であろうと、かたちを崩していようと、家族は家族だ。決して明確に解決はしていないように映る本篇だが、その事実だけは強い光を当てて浮き彫りにする。だからこそ、本篇の終幕は、まるで朝日を浴びたように清々しい。

 仰々しくなにかを主張するわけではない。正しさを押しつけるようなこともない。ただ受け入れて、それでも生きていくひとたちのその姿を、一瞬貴く映しだす、そんな作品である。

 ……ただひとつ気になるのは、クライマックスに奉仕したある人物と、その家族のことだ。あの出来事のあとについては、劇中でまったく触れられていない。果たしてあのひとはどうなったのか、あのひとをあんな行動に走らせた当事者はどうしているのか。出来れば、彼らのその後についても少しぐらい触れて欲しかった――想像に委ねるには、行間が広すぎる。



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