『グリーンブック』

TOHOシネマズ日本橋の入っているコレド室町2入口脇に掲示されたポスター。

原題:“Green Book” / 監督:ピーター・ファレリー / 脚本:ニック・ヴァレロンガ、ブライアン・カリー、ピーター・ファレリー / 製作:ジム・バーク、ピーター・ファレリー、ニック・ヴァレロンガ、チャールズ・B・ウェスラー、ニック・ヴァレロンガ / 製作総指揮:スティーヴン・ファーネス、ジョナサン・キング、クワミ・L・パーカー、ジェフ・スコール、ジョン・スロス、オクタヴィア・スペンサー / 撮影監督:ショーン・ポーター / プロダクション・デザイナー:ティム・ガルヴィン / 編集:パトリック・J・ドン・ヴィト / 衣装:ベッツィ・ハイマン / キャスティング:リック・モンゴメリー / 音楽監修:トム・ウルフ、マニシュ・ラヴァル / 音楽:クリス・バワーズ / 出演:ヴィゴ・モーテンセンマハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリーニ / 配給:GAGA

2018年アメリカ作品 / 上映時間:2時間10分 / 日本語字幕:戸田奈津子

第91回アカデミー賞作品、オリジナル脚本、助演男優部門受賞(主演男優、編集部門候補)作品

2019年3月1日日本公開

公式サイト : https://gaga.ne.jp/greenbook/

TOHOシネマズ日本橋にて初見(2019/3/12)



[粗筋]

 1962年、ニューヨークにあるナイトクラブ“コパカバーナ”は改装のため休業に入った。用心棒として勤めていたトニー・“リップ”・ヴァレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)は、他の従業員ともども収入減を失ってしまう。

 だが、前々から口の巧さで交友関係を広げていたトニーのもとに、ほどなく運転手の仕事が舞い込んできた。指定された住所に赴いたトニーは、それがカーネギーホールであることに仰天する。他の候補者らしき連中に続いて部屋に通されたトニーを迎えたのは、ドン・“ドクター”・シャーリー(マハーシャラ・アリ)という黒人のピアニストだった。

 ドクは約2ヶ月、南部を中心とする12箇所に遠征することになっており、その期間の運転手兼ツアー・マネジャーを探しているという。ドクはトニーが妻子持ちであることに難色を示し、対するトニーも、身の回りの世話も仕事内容に含まれる、と聞かされ、「俺は召使いじゃない」と反発する。その場は取りなしたが、去るときには既にトニーは不採用を確信していた。

 しかし、けっきょくドクが選んだのはトニーだった。トニーが突きつけた条件をすべて呑んで、彼を採用する、という。トニーは訝りながらも、依頼を引き受けることにした。

 レコード会社から高級車と、黒人が宿泊できるホテルを紹介した“グリーンブック”を託され、トニーはドクを乗せて旅に出る。果たして何日保つか、と周りに囁かれたこの旅は、だがトニーの心境を大きく変えることになる――



[感想]

 監督、脚本、製作を兼任して携わったピーター・ファレリーは、ずっとコメディに拘り続けてきたひとだ。しかも決して上品とは言いがたい趣向を好んで用いているうえに、意識的に差別もネタに取り込んできた、作り手としてはかなり挑戦的な部類に属している。そういう彼が初めてドラマ作品に挑戦した、という意味でも映画ファンを驚かせ話題となった作品だが、しかしいざ実物に接してみると、撮るべくして撮った作品、としか思えなかった。

 監督と共に脚本を執筆し、製作にも名を連ねたニック・ヴァレロンガの父親のエピソードが本篇のベースとなっているため、時代は1960年代のアメリカに設定されている。奴隷解放宣言からだいぶ時間は経っているが、南部を中心に未だ黒人に対する差別は存在していた。ドクター・シャーリーのように北部や都市部では自立し、財を成したひとも多いが、南部では生活する領域が分けられ、白人と同じトイレを利用することも認められていない。当然のようにホテルも白人と区別され、南部を旅する黒人向けに用意された、利用可能なホテルのガイドが、本篇のタイトルにもなっている“グリーンブック”だった。

 そんな、黒人にとっては過酷な土地にあえて赴くアーティストと、やむを得ず同行するイタリア系の用心棒のふたり旅、と言うとだいぶ重苦しい話になりそうだが、語り口は思いのほか軽妙だ。随所で差別に起因するトラブルに見舞われるものの、全体を通してのトーンは明るく、爽やかなのである。

 この空気に最も貢献しているのは、主人公であるトニー・ヴァレロンガの人柄だ。イタリア系らしく陽気に人生を謳歌しようとする彼に悲愴感はまったくない。しばしばデタラメを並べ立てて他人の関心を惹く狡さもあるが、根は善良だ。物語が始まった当初は、彼も少なからず差別的な言動があったが、じかに接する際に差別意識を封印し、適度なユーモアに留める節度は持っている。そういうトニーの人物像が、間違いなく作品の軽やかさの土台になっている。

 そしてもうひとつ重要なのは、ドクター・シャーリーという人物の特異な属性だ。最初こそトニーの目には黒人としか映らないが、同行してそのアーティストとしての才能に接したトニーは認識を改める。その気になれば安全な北部で悠々と活動できるにも拘わらず、あえて南部で差別的、批判的な眼差しに晒されながらの演奏旅行に臨んだ彼に、やがては敬意さえ抱くようになる。

 だが、ドクはその才能故に、そもそも多くの黒人達とは生活習慣も教育水準もまるで異なっている。劇中、逆にトニーの方から黒人の文化について諭されるような場面もあるほどだ。そして、そういう人物であるから、南部の色濃い差別についての眼差しもまた繊細になる。本篇は彼が随所で受ける屈辱的な扱いに対して、冷静を装い、表面的には品性を保っているように描いているが、内面の鬱屈も細かにちらつかせる。ある意味で誰よりもマイノリティであるドクの感情が発露する終盤のひと幕は、本篇最大の見せ場であり、象徴的なくだりと言える。

 このふたりの特異なキャラクターが交差する面白さを軸にしながら、本篇は随所で、1960年代アメリカ南部における黒人差別の実情を織り込んでいる。ホテルのみならずバーやレストランでも入店を拒絶され、演者として招待された場所でも、表面的には丁重でも裏では粗末な楽屋しか用意されなかったり、とあくまで黒人として差別される。しかし本篇が絶妙なのは、そういう屈辱的な対応にもドクがあくまで紳士的に接する一方で、ドクへの認識を改めていくにつれて、まるで観客の感情を代弁するかのようにトニーが振る舞う点だ。

 もともと仕事に対しては誠実な節のあるトニーは、南部でドクが差別を受けかねない局面から遠ざけようという配慮が最初から窺える。だが、話が進むにつれ、より積極的にドクを庇うようになる。各所でドクが味わう出来事はしばしば屈辱的なのだが、そこにトニーの対応が加わることで、あるときは苛立ちが緩和し、終盤ではいっそ爽快感すら味わわせてくれる。差別を扱いながらも、観たあとの不快感はあまりない。ふたりの性格付けも様々な出来事も事実に即しているとは言い条、この絶妙な匙加減は、障害や差別を巧みに笑いへと昇華する術を学んできたファレリー監督ならではだろう。

 実際がそうであったように、彼らふたりの旅路が、行く先のひとびとの意識を変えたり、世間に劇的な衝撃をもたらす、ということはない。だが観客は、確かに何かが変わったことを実感するはずだ。決して大きくないけれど、確かに訪れた変化。きっと、差別というものを巡る意識の変化は、こうやってひとりひとりの関係性から生まれていったのだろう、と信じさせ、そして同じような変化を観客にももたらす。

 ドクター・シャーリーを演じ、2度目のアカデミー賞助演男優賞に輝いたマハーシャラ・アリは、ピーター・ファレリーがドラマを撮ったことを意外には思わなかった、とインタビューで語っている。実際、本篇を観ると、確かに意外ではないのだ――ドラマ作品とは言えるものの、程よいユーモアと、繊細な差別問題を巧みな匙加減で描くセンスは、ファレリー兄弟として発揮してきたそのものだ。むしろこの監督が手懸けるべきだった題材なのだろう。出会うべくして出会い、生まれるべくして生まれた傑作なのだと思う。



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