『アナと雪の女王2(吹替・2D)』

TOHOシネマズ西新井、スクリーン9入口前に掲示されたチラシ。

原題:“Frozen II” / 原案:アンデルセン雪の女王』 / 監督:クリス・バックジェニファー・リー / 脚本:ジェニファー・リー / 製作:ピーター・デル・ヴェッコ / 撮影監督:トレイシー・スコット・ビーティ、モヒト・カリアンプール / 編集:ジェフ・ドラハイム / 音楽:クリストフ・ベック / 楽曲:ロバート・ロペス、クリステン・アンダーソン=ロペス / 声の出演:クリステン・ベルイディナ・メンゼル、ジョナサン・グロフ、ジョシュ・ギャッドエヴァン・レイチェル・ウッド、アルフレッド・モリーナ、スターリング・K・ブラウン、マーサ・プリンプトン、ジェイソン・リッター、レイチェル・マシューズ、ジェレミー・シストキアラン・ハインズ、AURORA / 日本語吹替版声の出演:神田沙也加、松たか子原慎一郎、武内駿輔松田賢二、吉田羊、前田一世、余貴美子小林親弘、壹岐紹未、吉見一豊、安崎求 / 配給:Walt Disney Japan

2019年アメリカ作品 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:松浦美奈 / 吹替版翻訳:いずみつかさ

2019年11月22日日本公開

公式サイト : http://disney.jp/anayuki2

TOHOシネマズ西新井にて初見(2020/01/21)



[粗筋]

 エルサ(イディナ・メンゼル松たか子)がアレンデールの女王として国を治めるようになって数年。

 国は平和を謳歌していたが、エルサには気懸かりがあった。しばらく前から彼女にだけ、奇妙な歌声が聴こえるようになっていた。遠くからエルサを呼ぶようなその声に応え魔法を使ったそのとき、アレンデールの照明が消え、暴風が吹き荒れ、大地が鳴動し始めた。アナ(クリステン・ベル/神田沙也加)やオラフ(ジョシュ・ギャッド武内駿輔)、クリストフ(ジョナサン・グロフ/原慎一郎)らの尽力でアレンデールの国民は無事高台に避難することが出来たが、そんな彼らにトロールの長老パビーは「アレンデールの未来が見えない」と警告する。

 この災害はどうやら、魔法の森に棲まう精霊達が何らかの理由で怒っていることが原因らしい。魔法の森のあるノーサルドラは長年アレンデールと敵対関係にあったが、エルサとアナの祖父にあたるルナード国王(ジェレミー・シスト/吉見一豊)の時代に関係が改善した。しかし、友好の証として建設したダムの付近で記念の宴が催されているとき突如として抗争が勃発する。そしてノーサルドラは、当時同行していたアナたち姉妹の父であるアグナル国王(アルフレッド・モリーナ/前田一世)以外のアレンデールの者も含め、霧の中に閉じ込められてしまい、以来なんぴとも立ち入れない場所となっていた。

 きっとそこに、自分だけが魔法の力を与えられた理由が隠されている。そう信じたエルサはひとりでノーサルドラへ赴こうとするが、アナはそれを許さなかった。エルサの力になりたい、と訴えるアナを拒めず、エルサはオラフ、クリストフも伴って旅に出た。

 ノーサルドラの霧は訪れるものを跳ね返すが、エルサの魔法によってその閉ざされた扉を開く。そこで彼女たちが巡り会うのはいったい何なのか――



[感想]

 ディズニー史上に残る大ヒットを遂げたアニメーション作品の続篇である。主題歌がまたたく間にスタンダードと化すほどの人気ぶりに、ディズニーは早い段階から続篇をほのめかしていた。

 ……が、個人的にはあまり好感は持てない決定だった。前作は力を持つ姉と持たない妹、それぞれの感情が交錯しすれ違い、発生したトラブルとも相俟って厄介な事態に陥るが、最後には姉妹の絆で乗り越える。つまり物語の芯にあるものは姉妹の葛藤であり、それが決着してしまったのに、まだ長篇映画を作る必然性が思い浮かばなかった。

 実際にリリースされた本篇では、前作では明確にされなかった“なぜエルサにだけ力が与えられたのか?”という点に焦点を当てている。もともと隠されていた設定なのか、続篇製作にあたって設定を膨らませていったのか、私に判断する材料はないが、後者だとすればいい着眼だったと思う。まったく別の敵や事件を設定するやり方もあるが、そうすると世界観がブレていく恐れもあった。

 ただ、それ故に、どういうかたちで展開するにせよ、この作品は“姉妹の物語”となってしまう。あえて続篇に足を運ぶような観客は間違いなくそれこそ求めていた物語ではあるが、どうしても作品世界は閉じたものとなる。前作のファンに誠実に、興味深いものにしようとするほど、ある意味では、観客に許されていた自由を制限する内容になってしまうことは、想像がついた。

 そういう見方からすると、本篇は間違いなく観客に誠実に努力を重ねてきたことが窺える。しかしそれ故に、狭い範囲で作られてしまった印象を強めてしまった。

 前作で観客を興奮させ歓喜させた趣向はほぼ漏らさず、かたちを変えて盛り込んでいる。前作でも軸となったエルサの歌唱によるメインテーマ、各キャラクターの思惑が交錯するナンバー、更にクリストフやオラフを中心とした曲と、ミュージカル部分の割り振りはほぼ前作を踏襲している。それぞれにファンがいることを考慮した配分はそつがないが、趣向としての挑戦がなく、良くも悪くも予想通り、と見てしまう。その堅実さも、本篇の閉じた印象をより強調している、と感じた。

 物語的にもその閉じた印象は拭いがたい。前作は誰もが初めて接する物語であるからこそ、どんなキャラクターが多彩に躍動するさまが昂揚感に繋がっていたが、今回初めて現れるのはアナ&エルサの親の世代とノーサルドラのひとびとぐらいで、それほど意外性がない。しかもこれらのなかで、作品の見せ場であるミュージカル・パートを任されているのはエルサたちの母・イドゥナ王妃(エヴァン・レイチェル・ウッド/吉田羊)だけなので、やはり新しさは感じにくい。

 ……と、否定的見解ばかり並べ立てているように映るかも知れないが、しかし先にも記したように、これは前作で作品世界に惹かれたひとびとに真摯に向き合うことを第一に作りあげている。映画としての新たな発展や新機軸を求めると否定的な表現になってしまうが、作品や登場するキャラクターに愛着があるひとびとには充分すぎるほどしっかりと期待に応えているのは間違いない。

 そして、作品として発展は感じにくいが、その限られた枠のなかで物語としてのカタルシスはしっかり生み出しているあたり、脚本の設計に時間を費やすディズニーらしい質の高さを示している。

 評価したいのは、物語の構造に、一種“原罪”めいたものを仕掛け、苦味も加えていることだ。それは決してアナやエルサ自身の罪ではないが、その立ち位置、責任を考えると無視は出来ない。そしてそのうえで、彼女たちは事実と向き合い、理想的なところへ着地させている。前作に強く束縛されながらも、未来の展望を垣間見せる結末へと導いた手際は見事だった。

 世界中に、作品の空間を疑似体験できるテーマパークを設け、ひとびとを非日常の世界へと誘うことを事業として成り立たせているディズニーだからこその、細かなギミックを尊重し、アイテムまでもきちんと練り上げた、理想の続篇に仕上げてきた。守りに入りすぎている、と批判するのは簡単だが、ここまで丁寧に守っていることはむしろ賞賛に値するだろう。

 ――なんか終始底意地の悪い言い回しになってしまった気がするが、こういう見方をしてしまう性分なのでご容赦いただきたい。



関連作品:

アナと雪の女王』/『シュガー・ラッシュ

声をかくす人』/『ラスベガスをぶっつぶせ』/『シュガー・ラッシュ:オンライン』/『ウェイトレス ~おいしい人生のつくりかた』/『ファースト・マン

マスカレード・ホテル』/『七つの会議』/『シン・ゴジラ

スノーホワイト』/『くるみ割り人形と秘密の王国』/『メリー・ポピンズ リターンズ』/『スパイダーマン:スパイダーバース