『惡の華』

TOHOシネマズ新宿のエレベーター前に掲示されたポスター。

原作:押見修造(講談社・刊) / 監督:井口昇 / 脚本:岡田麿里 / 製作:松井智、板東浩二、小西啓介、小畑良治、新井重人 / プロデューサー:永田芳弘、涌田秀幸 / 撮影:早坂伸 / 照明:田島慎 / 美術:鈴木隆之 / VFX:鹿角剛、大畑智也 / 編集:山本彩加 / 衣装:藤山晃子 / 録音:柳屋文彦 / 音響効果:井上奈津子 / 音楽:福田裕彦 / 主題歌:リーガルリリー『ハナヒカリ』 / 出演:伊藤健太郎玉城ティナ、秋田汐梨、飯豊まりえ、北川美穂、佐久本宝、田中偉登、高橋和也村杉蝉之介松本若菜黒沢あすか、坂井真紀、佐々木すみ江鶴見辰吾 / 企画&制作プロダクション:角川大映スタジオ / 企画&製作幹事:Happinet / 配給:PHANTOM FILM

2019年日本作品 / 上映時間:2時間7分 / PG12

2019年9月27日日本公開

公式サイト : http://akunohana-movie.jp/

TOHOシネマズ新宿にて初見(2019/10/3)



[粗筋]

 春日高男(伊藤健太郎)は3年前の夏に死んだ。あれ以来、ずっと色彩のない毎日をただ漫然と過ごしている。

 その頃、中学生だった春日は、ボードレールの『惡の華』を愛読する文学少年だった。同級生達とくだらない話をしながらも、そんな彼らを心では蔑み、自分とは相容れない存在だ、と思っていた。周りを山に囲まれ、産業が衰退し閉塞感に満ちた町で、燻っている自分をもどかしく感じていた。

 そんな春日にも、憧れる女の子はいる。佐伯奈々子(秋田汐梨)は明るく純真で、学校のマドンナ的存在だった。体育の時間に、体操服姿で躍動する彼女に目を奪われることもあるが、周りに悟られたくなくて、目を逸らしてしまう。

 ある日の帰り道、春日は教室の机に『悪の華』の本を忘れていたことを思い出し、学校に戻った。そのとき春日は、教室のロッカーから佐伯の体操服袋が落ちるのを目にする。気づいたとき、春日は体操服を袋から取り出し、匂いを嗅いでいた――どこかから聞こえてきた物音に驚き、春日は慌てて体操服を鞄にしまい込み、学校から逃げ帰る。

 翌日の教室は大騒ぎとなった。家に持ち帰ってしまったことなど口に出すことも出来ず、春日は佐伯への償いに一生を費やす覚悟を決める。

 帰り道、春日は思わぬ人物の待ち伏せを受ける。テストでの手抜きを叱る教師を“クソムシ”呼ばわりし、クラスの中でもひときわ浮いている生徒、仲村佐和(玉城ティナ)だった。戸惑う春日に、仲村は楽しげに囁く。

「私、見てたんだよ。春日くんが、佐伯さんの体操着盗んだところ」

 慌てて逃げた春日だが、あっさりと捕まってしまった。だが仲村は他言する気はない、という。その代わりに、自分と契約しよう、と言い出した。

 そうして、春日の日常は、仲村佐和に支配された――



[感想]

 国際的に人気の高い井口昇監督だが、私にとってのイメージは、“変態性の高いホラーを撮る怪人”である。『怪談新耳袋』シリーズでは原作にかなりマニアックな色づけを施して異彩を放ち、長篇『怪談新耳袋 異形』でも恐怖をしっかりと表現しつつも突き抜けた狂気で笑いをも誘っていた。他方、その特徴的な風貌を買われてほかの監督作品に役者として招かれることもあり、ゆえにこういうイメージで固まってしまっていた。

 そんな監督が撮った本篇が、意外だったか、と問われると――否、なのである。この名前が出て来たことに驚きはしたが、実際に観てみると、監督自身がパンフレットのなかで語っているとおり、むしろこのひとが撮るべき作品だったとしか思えない。

 本篇を貫くのは、自分自身に抱く“異物感”だ。自分が他人と相容れない、という感覚を持ち、他人の思考や価値観を蔑み、自分だけは違う、と信じこむ。

 その時期を過ぎたものなら解るだろうが、それ自体は多くのひとが抱く感覚だ。ほとんどは現実を知るか、折り合いをつけ世間に合わせて生きていく術を学ぶのだが、それがどうしても耐えられない、或いはそもそも順応するのが難しい、と感じるひともまた少なくない。

 本篇における主人公・春日は、“耐えられない”と感じている類だ。ボードレール悪の華』など海外文学を愛好し、くだらない話ばかりしている周囲と相容れない、と思っている。表面的に馬鹿話に乗りはするが、そんな自分にも嫌悪を抱いている。

 ただ、大人の目線から見れば、春日が決して本心から海外文学を理解して味わっているのではない、ということが早くから察せられる。なにせ『悪の華』に対する本人の感覚は“格好いい”である。そこに横たわる意識や時代的背景への考察などは微塵も窺えず、言葉(しかも邦訳)の雰囲気、ひいてはそんな小難しい海外文学を読んでいる自分に陶酔しているだけだ、と見える。文学への取っかかりとして決してそれが悪いわけではないが、自慢し誇るような理解度とは言えない。

 そうと気づかないまま、春日は仲村に支配される。もし春日が、自身の嗜好や性向が決して特異ではない、と気づいていたなら、このあとの仲村とのやり取り、対処は違っていたはずだ。両者にあった思い込み、一種の優越感が、ふたりの特異性を混ぜ合わせ、濃縮していく。

 だが、多くのひとはここまで逸脱はしない、と考えれば、彼らの体験や感情は間違いなく特別なものだ。しかも、普通ならどこかで踏み止まるだろう一線を、彼らは全力で乗り越えようと試みる。だから、奇妙で変態的なのに、不思議な清々しさや爽快感がある。

 原作に接するなり「これは自分だ」と感じるほどに共感した、というだけあって、変態性の描写に手抜きはない。きょうびすっかり廃れたはずのブルマを導入したり、生々しい露出の一歩手前で留まるフェティッシュな描写など、生々しい執着が垣間見える。しかしそこに本気が籠められているから真に迫り、かつ前述した清々しさにも繋がる。彼らに偽りなく共鳴できる監督だからこそ、の手触りだろう。

 ただ、本篇を忘れがたい作品にしている大きな要因は、春日や仲村の突き抜けようとする懸命さばかりでなく、そんな彼らに振り回される佐伯という人物像の的確さにこそある。

 春日から崇拝にも近い憧れを抱かれ、思わぬ経緯から春日と交際にまで発展する佐伯は、当初は理想的なヒロインだった。周囲と良好な関係を築き、少なくとも春日の知る範囲では悪意を振りまいたりもしていない。まさに絵に描いたような“優等生”であり、そうなることの出来ない春日にとって聖域のような存在でもあった。だが、その善良さゆえに春日に接近し、仲村の煽動で交際にまで発展すると、思わぬかたちで影響を受けはじめてしまう。その戸惑いと、仲村という存在が春日に与える影響に気づいてからの焦燥、そして3年後の再会で見せる変化は、鋭くも痛々しい。

 終盤では事実上、悪役となって春日の心を抉るのだが、物語を追っていれば解るとおり、もともと彼女はそういう人間ではなかった。仲村に脅されていたとは言い条、佐伯の心情を顧みず翻弄した春日に間違いなく責任はある。表面では笑みを浮かべながらも、そうやって取り繕うことを学んだ、という事実によって更に深く、春日の心に楔を穿つ。春日と仲村によって狂わされ、最後に強烈な一撃をもたらす彼女の存在は極めて大きく、それだけにこの役柄を主要キャスト中最年少ながら見事に演じきった秋田汐梨には賞賛を送りたい。

 誰にでも存在しうる疎外感や異物感、表裏一体にある選民意識を煮詰まらせた結果、春日は“死”に、そしてプロローグらおける現在、3年後に物語は一段落を迎える。3年前のパートの痛々しくも華々しいクライマックスと比較すると、どうにも地味で、物足りなく映るだろう。だが、これは自分のなかの“異物感”と全力で取っ組み合い、ボロボロになった少年と少女が、折り合いを付ける物語なのだ。得意なイベントで飾るのではなく、地に足をつけ、真摯に向き合うさまで締めくくったシーンでこそ、優しく閉じられるべきなのだろう。

 もっと振り切った変態性を描いて欲しかった、とか、終幕がもっとドラマティックであったほうが、とかいった嫌味はたぶん漏れてしまうだろう。けれど、ある一線を踏み止まってしまうもどかしさも、少年に出来ることの枠内で収まっていることもまた、本篇が特異でありつつ、共感を覚えられる所以に違いない。

 好き嫌いも大きく分かれるだろうが、ステレオタイプではない青春ドラマのひとつの理想型と言える秀作だと思う。この原作とこの監督、そしてキャストが運命的に巡り会い育んだからこその、苦くも甘い果実。



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