『王様のためのホログラム』

TOHOシネマズシャンテ、施設外壁に掲示された看板。

原題:“A Hologram for the King” / 原作:デイヴ・エガーズ / 監督&脚本:トム・ティクヴァ / 製作:ウーヴェ・ショット、ステファン・アルント、アルカディー・ゴルボヴィッチ、ティム・オヘア、ゲイリー・ゴーツマン / 製作総指揮:スティーヴン・シェアシアン、ガストン・パヴロヴィッチ、クローディア・プリュームフーバー、アイリーン・ゴール、ゲロ・バウクネット、ジム・セイベル、ビル・ジョンソン、シャーヴィン・ピシュヴァー / 撮影監督:フランク・グリーベ / プロダクション・デザイナー:ウリ・ハニッシュ / 編集:アレクサンダー・バーナー / 衣装:ピエール=イヴ・ゲロー / 音楽:ジョニー・クリメック、トム・ティクヴァ / 出演:トム・ハンクス、アレクサンダー・ブラック、サリタ・チョウドリー、シセ・バベット・クヌッセン、ベン・ウィショートム・スケリット / 配給:Pony Canyon

2016年アメリカ作品 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:松浦美奈 / PG12

2017年2月10日日本公開

公式サイト : http://hologram-movie.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2017/2/16)



[粗筋]

 アラン・クレイ(トム・ハンクス)は窮地に立たされていた。もともと大手自転車メーカーで取締役まで務めていたが、開発事業の失策により解任され破産、妻とも別れる羽目になった。娘の学費を得るためにも収入が必要だったアランは、畑違いのIT企業に就職するが、彼に委ねられたプロジェクトは、サウジアラビアの国王に3Dホログラムの技術を売り込むことだった。

 しかしいざ現地入りしたもののいきなり時差ボケに悩まされ、約束の当日、寝過ごしてしまう。目的地のKMETまでのバスは出払っており、やむなくアランは運転手付きで乗用車を借りた。

 やって来た運転手のユセフ(アレクサンダー・ブラック)はアランが急いでいることに気づかず暢気に市街をぶらつき、1時間以上を費やしてようやくKMETに到着すると、代理人の男は現れるが国王の姿はない。先に到着していたアランの技術スタッフは、砂漠にぽつんと建ったオフィスビルではなく、道端に設けられたテントで待ちぼうけを食わされる始末だった。

 依然として体調の回復しないアランは、翌日も寝過ごしてしまう。ふたたびユセフを呼び、1時間以上費やしてKMETに到着するが、相変わらず国王はおろか、この日は1日在籍しているはずの代理人もいない、と言われてしまった。

 翌る日もまったく同じ展開が繰り返され、業を煮やしたアランは、受付の女性の眼を盗んでオフィスエリアに侵入する。そこで出会った、デンマーク人の職員ハンナ(シセ・バベット・クヌッセン)に苦境を訴えるアランだったが――



[感想]

 これはいったいどういう映画なのか、粗筋を読んでもピンと来ない、というひともいるかも知れない。しかしそれも当然だと思う。ちゃんと本篇を鑑賞したうえでこれを書いている私自身、どういう映画なのか? と問われると困惑してしまうのだ。

 ただ、そのハッキリとしない感覚こそ本篇の狙いのひとつ、とくらいは言えそうだ。それは本篇の主人公、アランが置かれている状況に自然とシンクロする。定型に則ったつもりで物語に身を投じてみたら、いきなり想定外の状況に放り出され、気づけばろくすっぽ知らない世界へと投げ込まれている。その動揺、困惑を疑似体験出来るまでに再現している、と捉えるとなかなかの手管なのだが、最初から最後まで困惑させられっぱなし、というのが本篇の場合、意図通りであるが故に混乱を招いているようだ。

 間違いなく本篇は主題のひとつとして、サウジアラビアの独特の文化、社会情勢を採り上げ、西欧的価値観や考え方とのギャップも描こうとしているのだが、その真偽が計りかねるところも困惑の一因だろう。特に、パンフレットに掲載された識者の話によると、実際の側面を切り取っているところもあれば、かなりリスクを伴う描写があることも指摘しており、本篇を実際にサウジアラビアで行動する際の手本にしてしまうのは考えものらしい、と知らされると尚更だ。

 ただ、そうして虚実、現実性と妄想とを入り乱れさせることで、ある程度まで実感的なリアリティを構築しつつも、ファンタジーめいた空気を醸成することには成功している。そこに好みはあるだろうし、ファンタジー性を汲み取れない受け手が出かねない功罪まで考慮すると微妙にも思えるが、それも承知のうえで受け止められるはず、という観客への信頼も籠められているのかも知れない。

 そして、それでもなお、現実にちょっと夢や救いを求めたい気持ちに、本篇はそっと手を差し伸べてくれる。最初に思い描いていた理想とは違えど、結末を迎えたアランに暗さがないことが、観るものにとっては救いだ――道は間違っていても、成し遂げたことに相応しい結末はある、と勇気づけているかのように。

 如何せん、それが誤魔化しや妥協とも解釈出来ることが、本篇を観終わったあとに生まれるモヤモヤとしたものの原因となっているようだ。恐らくはそれこそが意図した通りの表現であり、魅力であればこそ、勧める上では悩ましい。狙い通りに着地させていることは間違いなく評価出来るはずだが、誰しもがそこに評価の基準を置いているわけではないからだ。

 あんまり使いたくない表現ではあるが、たとえ自分の好みと異なっていたとしても、それを許容できるだけの度量がないと、ちょっとお薦めしづらい。そしてそのうえで、少しでもアランの感情や辿った道筋に共感できるなら、とても心地好い作品に思えるはずである。



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