『生きる』

TOHOシネマズ日本橋、スクリーン6入口に掲示された案内ポスター。 Criterion Collection: Ikiru / [Blu-ray] [Import]

監督:黒澤明 / 脚本:黒澤明橋本忍小国英雄 / 製作:本木莊二郎 / 撮影監督:中井朝一 / 美術:松山崇 / 音楽:早坂文雄 / 出演:志村喬金子信雄、関京子、小堀誠、浦辺粂子南美江小田切みき藤原釜足、山田巳之助、田中春男左卜全千秋実日守新一中村伸郎、阿部九洲男、清水将夫木村功渡辺篤丹阿弥谷津子伊藤雄之助宮口精二加東大介菅井きん / 配給&映像ソフト発売元:東宝

1952年日本作品 / 上映時間:2時間23分

1952年10月9日日本公開

午前十時の映画祭7(2016/04/02〜2017/03/24開催)上映作品

2015年2月18日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|特装版 DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon|北米版Blu-ray Discamazon]

TOHOシネマズ日本橋にて初見(2016/09/26)



[粗筋]

 市役所で市民の悩みや陳情を受け付ける市民課に勤務する渡邊勘治(志村喬)は、およそ30年間、漫然と生きてきた。20年前に妻を亡くし、男手ひとつでひとり息子・光男(金子信雄)を育てることだけに心血を注ぎ、職務の内容など構わなかったのである。

 遅刻も欠勤もなく年を重ねていた渡邊は、しかしあるとき、己が病魔に冒されていることを知る。医者は軽い胃潰瘍と説明したが、その態度も自らの症状も、渡邊が胃癌であることを示していた。

 打ちひしがれた渡邊はその日から職場を無断で休み、下ろした貯金で遊蕩に耽ろうとする。だが、長いこと自らの意志など持たず事務処理をこなすだけで趣味のひとつも持ち合わせなかった渡邊には、遊び方さえ解らなかった。

 欠勤を始めて数日、慣れぬ酒を嗜んでいたとき、知り合った小説家(伊藤雄之助)によって手ほどきを受け、初めて遊びの楽しさを知る。

 さんざん遊び歩き、徹夜明けで家路に就いた渡邊は、自宅傍で部下の小田切とよ(小田切みき)と鉢合わせた。退屈なお役所仕事に辟易したとよは退職を決意したが、そのためには課長の判子が必要であり、なかなか出勤しない渡邊に痺れを切らして、自宅を訪ねてきたのだ。

 自宅に通し、退職願に判をついた渡邊だが、とよの靴下がすり切れているのに気づくと、あとを追って彼女に靴下を買ってやった。すぐに退職願を提出するつもりだったとよに頼み、渡邊は彼女と共に遊び歩く。

 決して下心から出た行動ではなかったが、ちょうど帰宅したとき、在宅していた息子夫婦は渡邊の心境の変化を誤解した。若い女にうつつを抜かして遊び呆けていた、と捉えたのである……



[感想]

 志村喬がブランコを漕ぎながら『ゴンドラの歌』を口ずさむシーンがあまりにも有名な作品だが、あの場面に辿り着くまでの紆余曲折が実に長い。そして、その一連の流れを辿って初めて、あれが名シーンと呼ばれる由縁が理解できる。

 冒頭は、果たしてこれで話が進むのか? と訝るほど凡庸な主人公の姿が描かれる。それが病魔に冒されている、と知らされたところから状況は変わっていくのだが、その様がまた滑稽であり、哀れを誘う。戦前戦後と変わることなく、事務処理に追われ続けてきた男は、自暴自棄になっても無茶をする方法さえ解らない。たまたま出会った作家に手解きされてもどこかピントのずれた行動に及び、精気に満ちた元部下の女性への気の配り方も風変わりだ。現代の人間にも解るほどのとんちんかんな振る舞いは、滑稽ではあるが、それほどに代わり映えのしない日々を過ごしていた、という証左だと思うと哀れを誘う。

 しかしそれが、ある段階から一変していくる。序盤の、これでもか、とばかりに主人公の悲哀を描き出すくだりも秀逸だが、圧巻なのはこのあとなのだ。もはや古典と化している作品なので書いてしまうが、観客が思うよりも早い段階で主人公の死は訪れる。しかし、その主人公の葬儀の席で、他の人物の視線や言葉を借りることで、そこに主人公最晩年の姿を蘇らせていく。あのあと、この凡庸だった人物にいったいなにが起きたのか? ということを、どこか推理小説めいた手捌きでほどいていく、その過程はいっそスリリングであると同時に、よりその心情が胸に迫るような感覚を観る側にもたらす。

 このくだりが証明するのは、人間の功績、生き様を認めるのは、当人の意識ではなく、それを目撃し接する第三者だ、ということなのかも知れない。ある段階まではひたすら主人公・渡邊の心情に分け入る描写をしていたのに、しかし周囲は彼の懊悩を知りもしないし、理解しようともしない。だが、彼が自らの死を目前にして果敢に臨んだ行動は、周囲の関心を惹き、死後になって初めて理解されていく。そこには推測、憶測も混じって、決して渡邊の意志の通りには理解されていないのだが、彼の最後の生き様が、はっきりと人々の記憶に爪痕を残しているのが伝わる。

 序盤において渡邊の凡庸さ、余命幾ばくもないと悟った苦悩を描いたことは、この終盤において急速に活きてくる。葬儀の席で、関係者達が口々に語る渡邊の行動の意味が、観客には理解できるのだ。そして、ずっと推測のみで語られるが故に曖昧なままである渡邊の心情が、初めて昇華されるのが、あのブランコのシーンなのだ。雪の中、疲れ果てた男が小声で『ゴンドラの歌』を口ずさみながらブランコを漕ぐ、あのうら寂しい姿に、実は言い知れぬ達成感があることを観客は知っている。間近に迫った死を意識しながらも、満足してそれを迎えようとする姿は、切なくもあまりに美しい。

 渡邊の職業が公務員なので、本篇にはいわゆる“お役所仕事”に対する諷刺も籠められている、と言われる。実際その通りなのだが、しかし恐らく、たとえ役所でなくても、本篇で描かれているような境遇にいれば誰しも渡邊のようになるだろうし、同僚達の立ち居振る舞いも多かれ少なかれ似たようなものになるはずだ。波風立つことを嫌い、事なかれ主義に走るのはさほど不思議なことではない。だが、そんな中で渡邊のような行動を選択したからこそ、その生き方は最後に鮮烈な印象を残す。

“渡邊”という、世間では比較的多い名字を選択したことも象徴的だ。葬儀の場では強く印象を残したが、彼の行動が同僚に決して影響を及ぼしたわけではない。彼の行動は確かに賞賛されるべきものだが、彼の名前と共にその行為を記憶する者はごく稀だろう。だが、それでも確かに渡邊の功績は、子供たちが遊ぶ公園たちにはっきりと残っているのだ。

 観終わったあとで場面場面を振り返ると、それぞれが裕に語りかけてくることに気づくはずである。細やかにちりばめられた心情描写が、何気ないひと幕に多くのメッセージを織り込むがゆえだ。まさに、映画だからこそ可能な語り口と感動とを、本篇はたっぷりと堪能させてくれる。ブランコのシーンだけで語るのは惜しいが、しかしあのシーンの奥深さこそが、本篇を何よりも象徴している、とも言えよう。



関連作品:

姿三四郎』/『羅生門』/『七人の侍』/『赤ひげ

ゴジラ(1954)』/『幕末太陽傳 デジタル修復版』/『日本橋』/『東京物語』/『秋刀魚の味』/『黒蜥蜴』/『三本指の男

グラン・トリノ』/『風に立つライオン