『風に立つライオン』

TOHOシネマズスカラ座、ホール壁面に飾られた大看板。

原作:さだまさし(幻冬舎・刊) / 企画:大沢たかお / 監督:三池崇史 / 脚本:斉藤ひろし / 製作:中山良夫、市川南、見城徹、山中力、藪下継也、奥野敏聡、柏木登、松田陽三、品川泰一 / エグゼクティヴ・プロデューサー:門屋大輔 / プロデューサー:藤村直人、坂美佐子、前田茂司 / アソシエイトプロデューサー:北島直明 / ゼネラルプロデューサー:奥田誠治 / 撮影:北信康 / 照明:渡部嘉 / 美術:林田裕至 / 装飾:坂本朗 / 編集:山下健治 / スタイリスト:前田勇弥 / VFXスーパーヴァイザー:太田垣香織 / 録音:中村淳 / 音響効果:柴崎憲治 / 助監督:原田健太郎、倉橋龍介 / 音楽:遠藤浩二 / 出演:大沢たかお石原さとみ真木よう子萩原聖人鈴木亮平藤谷文子、中村久美、山崎一石橋蓮司 / 配給:東宝

2015年日本作品 / 上映時間:2時間19分

2015年3月14日日本公開

公式サイト : http://kaze-lion.com/

TOHOシネマズスカラ座にて初見(2015/03/14)



[粗筋]

 長崎大学医学部に所属する島田航一郎(大沢たかお)がケニア・ナクールにある熱帯医学研究所に赴任したのは1987年のことだった。成田から発つ飛行機に乗り遅れ、3日も遅刻した彼に、研究所所長の中山(石橋蓮司)は当初不安を抱いたが、手術の腕があり、何事にも熱心な航一郎を程なく認めるようになる。

 航一郎の様子に変化が現れたのは、ロキチョキオにある赤十字戦傷病院に派遣されてからのことである。内戦のただ中にある国境付近から担ぎ込まれる患者は銃弾や地雷によって傷を負った者であり、命を守るために切断処置を施すのがほとんどだった。任期は僅か1ヶ月だったが、ナクールに戻ったあとの航一郎は抜け殻のようになっていた。

 見かねた中山は、航一郎をマサイランドに連れていった。原住民のひとびととの交流を経て久々に明るい笑顔を取り戻した航一郎だったが、そこで彼が中山に訴えたのは、「もういちどロキチョキオに派遣して欲しい」という願いだった。

 ふたたび赴任した戦傷病院で、航一郎は以前にも増して積極的に仕事に取り組んだ。インドを経由して新たに派遣された看護婦の草野和歌子(石原さとみ)は、幼い患者たちに汚い日本語を吹き込み、多忙なときは規則を無視して縫合や注射を看護婦に任せてしまう航一郎に当初は反発するが、何よりも患者の命を優先し、自らが傷つくことをも厭わない航一郎の姿勢に、程なく理解を示すようになる。

 内戦は幼い少年たちを兵士として、或いは地雷除去の道具として駆り出し、その未来を奪っている。航一郎は医師の権限を用い、「彼らには心のケアが必要だ」と主張して、担ぎ込まれた少年たちを病院に保護し続けた。航一郎の人懐っこさに惹かれた少年たちは自然と彼に打ち解けていく。

 だがひとりだけ、どうしても心を開こうとしない少年がいた。恐怖を感じさせないよう麻薬を打たれた上で、兵士として駆り出されていたその少年、ンドゥングにも、しかし航一郎は積極的にアプローチを重ねるのだった……。



[感想]

 一般のかたにとってはどうかは解らないが、さだまさしファンにとって、本篇の端緒となった曲『風に立つライオン』は非常に馴染み深い。長尺で、歌うと言うよりは語りかけるような独特な旋律、『Amazing Grace』のメロディを採り入れたオーケストラが編む、アフリカの空気を濃密に称えた演奏。ファンを対象とした人気投票では確実に上位に食い込んでくる、ファンが認める代表曲である。交流のある医師のエピソードをモチーフとした歌詞の内容は反響を呼び、この曲に感化されて医療の世界に身を投じ、国境を越えた活動に出ているひともいるほどで、もはやさだまさし本人の手を離れて影響を与え続けている1曲に成長している。

 本作で主演した大沢たかおも、この曲の世界観に惹かれ、映画化することを望んで、さだまさしに原作となる小説の執筆を依頼したのだという。だが、歌のなかでほぼ完結してしまった主題をどう小説に移すか、でかなり苦心したらしい。曲自体が既に20年以上も前の作品であり、しかも詩のなかで言及したケニアと現代のケニアではまるで状況が異なる。突破口となるアイディアを得てようやく小説を完成させるまでにも、かなりの時間を費やしたそうだ。

 さだまさしがそこまで苦心して完成させたのは、大沢の依頼から着想を得るまでに発生した東日本大震災の影響もあったようだが、やはり何より大きいのは、折に触れ本気で催促を重ねるほどに楽曲に惚れ込んだ大沢の熱意があったからこそだろう。

 そうしてようやく得た原作を、企画という立ち位置で旗振りをして映画化にこぎ着けた大沢がおろそかにするわけがない――この期待をまったく裏切ることのない、素晴らしい出来映えである。

 書簡や証言の形で物語を築き上げていた原作のイメージを、本篇は比較的ストレートなドラマとして再構築している。初登場のときからどこか飄然として捉えどころがなく、しかし接するほどにその愚直なまでの誠実さが見えてくる主人公・島田航一郎の魅力を、決して説明しすぎることなく、段階的に汲み取っていく。

 同時に本篇は、現代日本とはまるで異なる国際医療協力の現実を、航一郎が味わうのと同様に容赦なく突きつけてくる。運ばれてくる、不安定な政情に翻弄されたひとびと。命を救うためには、患部を切除する……手足を切断することを躊躇っていられない。銃弾を浴び、或いは地雷原を歩かされた子供たちが無数に息絶え、例え助かったとしても再び戦地に赴くしかない。決して語りすぎはしないが、航一郎はそのことに激しい衝撃を受け、影響されている。

 だが、航一郎はその現実に折れるのではなく、歯を食いしばり立ち向かっていった。短期間で済むはずの派遣に自ら志願し再度赴き、子供たちが再び銃を手にせずに済むよう、「彼らはまだ治療の途中だ」と言い張って診療所で保護し続ける。看護師としての一線を守ろうとする和歌子に対し、必要に応じて縫合などの処置を行うよう指示して言い争いになるのも、彼なりの戦い方だった(ちなみに、実際の国際医療ではこの程度の裁量は普通に認められるそうだが、そのくらいはフィクションとして許容できる範囲だろう)。

 本篇は航一郎を主人公としながら、決して彼に近づきすぎない。どの時点か明示はしていないが、関係者に対するインタビューというかたちで抽出した証言を軸に、やや距離を置いたところからその人柄を表現している。だからこそ、当人の使命感や義務感を剥き出しで叩きつける押しつけがましさを感じさせず、しかし誠意や情熱をはっきりと窺わせる語り口に繋がっている。本篇において、原型となった歌のモチーフをもっとも色濃く受け継ぐ秋島貴子(真木よう子)のエピソードは、それ自体決して航一郎の体験する出来事とリンクしないのだが、彼女が辿ることを決めた生き方と、その言動に滲む航一郎からの影響もまた、自然と航一郎の人間像を補強していく。

 考えようによっては最後まで航一郎という人物の本音は窺い知れない語り口ではあるのだが、しかしだからこそ、信念や行動そのものがかたちとなって、或いは思いとなって受け継がれていくことが実感できる。原作をかなり丁寧に踏襲しながらも、大幅にカットしたくだりがあるが、それもまた結果として、原作以上に航一郎の人物の大きさをより強く印象づけている。原作では早々に明かす事実をあえて終盤まで伏せた演出も、航一郎という人物の存在感、与えた影響の大きさを際立たせている。

 本篇の主人公である島田航一郎という医師は実在しない。さだまさしが原点となる楽曲でモデルとした医師は存在するが、歌で描かれるようなロマンスを経験したわけではないし、映画で描かれたような人生を送ったわけでもない。だが、本篇を観たあと、まるで彼が本当にあの地にいたかのような感覚に襲われるはずである。オリジナルの楽曲の発表から実に28年の時を経て、血肉を得た主人公の姿に、いちファンとして感動を禁じ得なかった――そしてたぶん、本篇に影響を受けて、彼と同じ道を志すひとがまた現れるに違いない。

 本篇はわざわざケニアでロケを行い、もうひとつの重要な舞台である秋島貴子の郷里を、原作で描かれているのに近い長崎の地に求めるなど、手間を惜しまずにその空気を再現することにも尽力しているが、これもまた原作の持つ世界観、航一郎を形作った空気を再現するのに貢献すると共に、映画に映像としての力強さももたらしている。こうした点もまた小説、ひいては大本となった楽曲にスタッフ、誰よりも大沢たかおが敬意を払っていたからこそだろう。

 大沢たかおという俳優の熱意が、歌というかたちで提示されたひとりの人物の実像を作り出し、スクリーンに刻みつけた。書いてみれば簡単そうだが、これは驚嘆すべきことである。世間が本篇をどう評価するかは別として、私は本篇が彼にとって生涯の代表作となることを信じて疑わない。



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