『超能力研究部の3人』

シネマート新宿のロビーに展示された、出演者3人のサイン入りポスター。

原作:大橋裕之『シティライツ』(講談社・刊) / 監督:山下敦弘 / 脚本:いまおかしんじ、向井庸介 / 企画:秋元康 / プロデューサー:根岸洋之、金森孝宏 / ラインプロデューサー:大日向教史 / 撮影:四宮秀俊 / 美術:今村力 / 照明:大久保礼司 / 装飾:斎藤智昭 / 編集:菊井貴繁 / スタイリスト:高橋さやか / ヘアメイク:有路涼子 / VFXスーパーヴァイザー:立石勝 / 音楽:きだしゅんすけ / 主題歌:乃木坂46君の名は希望』(Sony Music Labels) / 出演:生田絵里花(乃木坂46)、秋元真夏(乃木坂46)、橋本奈々未(乃木坂46)、碓井将大葉山奨之、佐藤宏、泉澤祐希、安藤輪子、森岡龍佐藤みゆき山下敦弘、山本剛史 / 制作プロダクション:マッチポイント / 配給:BS-TBS

2014年日本作品 / 上映時間:1時間59分

2014年12月6日日本公開

公式サイト : http://www.bs-tbs.co.jp/chonoryoku3/

シネマート新宿にて初見(2014/12/13)



[粗筋]

 とある地方にある北石器山高校には“超能力研究部”なるクラブが存在する。所属するのは育子、良子、あずみの3人で、みんな教室ではほとんど目立つことはない。日々、超能力の実在を証明するべく“実験”に明け暮れていた3人はある日、同級生の森がスプーン曲げをしているところを目撃し、彼を無理矢理部に勧誘する。だが森は、超能力を使える理由として、思いがけないことを口にした。彼は“宇宙人”だというのである――

 ――乃木坂46のシングル『君の名は希望』のPV撮影のなかで行われたオーディションにより選ばれた生田絵梨花秋元真夏橋本奈々未の3人が主演する映画『超能力研究部の3人』は、このようなストーリーだった。3人とも演技経験はなく、山本敦弘監督から厳しい言葉を投げつけられ、共演者たちのいらだたしげな表情に気力と自信を奪われながらも、撮影に臨む。

 何事も器用にこなしてしまう生田に、マイペースな秋元。ふたりよりも大人で、控えめに振る舞う橋本……同じグループから選抜された3人だったが、撮影が進むにつれて、それぞれの苦悩を露わにしていった……。



[感想]

 何の予備知識もなく鑑賞しても、それはそれで一興だと思うが、評価をする上でどうしても避けて通れないのでまず言っておくと、本篇はいわゆる“フェイク・ドキュメンタリー”である。さながら、実際に『超能力研究部の3人』という映画が完全に撮られたうえで制作されたメイキング映像のようだが、『超能力研究部の3人』単独での完成品は存在しない。また、作中ではスタッフの中に橋本奈々未と交流のあった人物が含まれていて、その会話も作品に取り込まれているが、こういう知り合い自体もフィクションのようだ。画面に映るスタッフの多くが“役者”であることはエンドロールで明かされるので、最後まで偽りを貫く、という考えで作られたものではない。

 そんな趣向に何の意味がある? とお思いかも知れない。変に凝ったモノを作るよりは、単純明快なフィクションにしてしまったほうがいいように思えるかも知れない。だが私は、この手法を選択したスタッフの判断は正しかった、と思う。この手法が、本篇をアイドル映画のある種の理想型に昇華させているからだ。

 アイドル映画で障害となるのが、アイドルそれぞれが持つルールだ。ファンの側が、そのアイドルにいったい何を求めているのか。ある程度の冒険は必要だが、要求を超えて過激に走ったりすれば、途端にそれまでのファンが離れていく。本篇には秋元真夏に求められたキスシーンの是非を巡って監督と事務所の駆け引きが描かれているが、ここまで極端ではないにしても、似たようなケースがあることは想像に難くない。

 本篇は、そういう出来事のほうをあえて採り上げることで、彼女たちがアイドルである、ということ、そのレッテルの中で“役者”でもあろうとする苦悩をダイレクトに描き出す。まったく作為のないドキュメンタリーだと、彼女らのそうした葛藤が明瞭になる現場を捉えることは出来ず、回想あるいはダイジェストめいた表現になってしまいかねないが、本篇はフェイク・ドキュメンタリーとして、イベントを予め設定することにより、アイドルたちの“素の顔”めいた部分を巧みに切り取っているのである。不慣れな“芝居”を闇雲にさせるよりも巧妙な作戦であり、しかもこの手法なら、少女たちがそれぞれに持つアイドルとしてのキャラクター性や魅力を、役柄という衣に隠してしまうことなくスクリーンに焼き付けられる。唸らされるほどに計算高い

 だがその一方で、ちゃんとアイドルたちに“演技”をさせ、しかもその上達さえも辿っているのがまた巧い。本篇には随所に、本番の撮影が始まる前に、仮のセットで行われた稽古の様子が盛り込まれているが、実はこれらのシーンは、本篇がフェイク・ドキュメンタリーである、と彼女たちに伝えないまま撮られたものだという。だから、あの場面では間違いなく彼女たちは“演技”をしている。そして、それをベースにして、作中作に対しても真剣に臨んでいることが、本篇の構成からは窺える。もともと演技未経験の面々であるだけに、決して達者ではないが、しかしちゃんと努力を積み重ね、悩みながら彼女たちなりに“女優”になろうとする様子を、本篇は汲み取っているのである。同じようなことを、普通に嘘なしのメイキングで辿ろうとしてもうまく行くものではない。フェイク・ドキュメンタリーだからこそ可能な趣向なのだ。

 出来事自体には脚本、というより大まかな筋が設定されているようだが、しかし撮影の各所で少女たちが直面するのは、多人数が集うアイドル・グループに所属する女の子ならではの悩みや苦しみだろう。適性について考え、性格の違いから衝突し、自らの立ち位置を思案する。突然出来た撮影の中休みに3人とカメラだけで出かけるくだりは特に印象深い。

 そして、そうした“アイドルとしての物語”が、気づけば作中作と溶け合ってしまう趣向が見事だ。終盤に至ると、いま観ているのが作中作なのか、外枠の出来事なのか解らなくなる。だが、だからこそそこまで突き詰めた彼女たちの努力に感動させられるのだ。フェイクであることを大前提としている作品ならではのカタルシスであり、フェイクだからこその魅力がここには確かにある。

 ……とまあ、私は高く評価しているが、ひとつ微妙に感じたのは、まさに前述した場面、秋元真夏のキスシーンを巡る駆け引きのくだりだ。ここで中心的に描かれるのは、初めてのキスシーンに臨む秋元の葛藤ではなく、監督はじめスタッフと秋元の事務所側との駆け引きなのだが、正直、他の場面を食ってしまうくらいにここのドタバタが面白すぎるのである。異様にキャラの立ちすぎた現場マネージャーとチーフマネージャーに振り回され、監督が過呼吸の症状を起こすくだりなど、本篇中いちばんの名場面とさえ言っていい――アイドル映画として監督はじめ脇役がアイドルを食っていいのか、と思うのだけど。

 とは言い条、アイドルを題材とする映画において、裏方が直面する可能性のあるこうした事態を描くことにも、本篇は意味を与えている。いまを活きるアイドルの実像に近い(と思わせる)姿を垣間見せる、という主題を、本篇はこの上なく見事に表現している。フェイク・ドキュメンタリーという手法を活かした秀作であり、アイドル映画のひとつの理想型、と私は評価したい。



 本篇と似たような趣向は、『シロメ』という作品にて白石晃士監督がももいろクローバー(当時は6人編成)を題材にして試みている。ただしあちらはアイドルたちに最後までこれがフェイクであることを伝えないことで素の反応、彼女たちの“アイドル”としての真剣さを抜き出しているが、本篇は途中からではあるものの“フェイク”と理解させたうえでの“芝居”を記録し、アイドルとして、役者としての覚悟や誠実さまで汲み取っている。果たして本篇のスタッフが意識していたのかは解らないが、『シロメ』をより深化させた趣向になっている、と言えよう。

 奇しくも本篇の公開から間もなく、ももいろクローバーZ主演の新たな映画『幕が上がる』が公開された。『シロメ』では騙されているが故の自然な表情を引き出されていたアイドルたちが、この作品ではワークショップから綿密な演技の勉強、役作りに臨み、純然たるフィクションの世界で魅力を開花させている。似たような趣向で銀幕デビューを飾ったももクロの面々がこの境地に達したのなら、或いは本作で抜擢された乃木坂46の3人にも、そんな次の段階が待ち受けているのかも知れない――スタンスが異なるのだし、話がまるで違う、というのは承知しつつも、最近ちょっと乃木坂46を応援してしまっている身としては、そんな期待を抱きたくなる。



関連作品:

伝染歌』/『シロメ』/『怪談新耳袋 異形』/『劇場版 稲川怪談 かたりべ

歌謡曲だよ、人生は