『とらわれて夏』

TOHOシネマズシャンテ、施設外壁の看板。

原題:“Labor Day” / 原作:ジョイス・メイナード / 監督&脚本:ジェイソン・ライトマン / 製作:ジェイソン・ライトマン、リアンヌ・ハルフォン、ラッセル・スミス、ヘレン・エスタブルック / 製作総指揮:スティーヴン・レイルズ、マーク・ロイバル、マイケル・ビューグ、ジェフリー・クリフォード / 撮影監督:エリック・スティールバーグ / プロダクション・デザイナー:スティーヴ・サクラド / 編集:デイナ・E・グローバーマン / 衣装:ダニー・グリッカー / 音楽:ロルフ・ケント / 音楽監修:ランドール・ポスター / 出演:ケイト・ウィンスレットジョシュ・ブローリン、ガトリン・グリフィス、トビー・マグワイア、トム・リピンスキー、クラーク・グレッグ、ブリード・フレミングマイカ・モンロー、アレクシー・ギルモア、ルーカス・ヘッジス、ジェームズ・ヴァン・ダー・ビーク、ブルック・スミス、J・K・シモンズ、ディラン・ミネット、マイカ・フォウラー / ライト・オブ・ウェイ/ミスター・マッド製作 / 配給:Paramount Japan

2013年アメリカ作品 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:古田由紀子

2014年5月1日日本公開

公式サイト : http://www.torawarete.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2014/06/04)



[粗筋]

 1987年、夏。

 両親の離婚後、僕ことヘンリー(ガトリン・グリフィス)は母のアデル(ケイト・ウィンスレット)と暮らしている。情緒不安定で、鬱病の傾向がある母は、離婚後すっかり鬱ぎこんでしまって、養育費を引き出しに行くのも僕の仕事になっていた。

 8月末、月にいちどあるかないかの買い出しのために、スーパーに赴いて、最初に彼と出会ったのは僕だった。腹部から血を流していた彼は、僕に母の元へと案内させると、車に乗せて欲しい、と頼んだ。母が断ると、それなら無理強いするしかない、と僕の首筋に手を添えた。

 男の指示で、僕たちは彼を乗せて家へと戻った。男はそこでようやく自分の素性を話し出す。彼、フランク(ジョシュ・ブローリン)は今朝方、刑務所から脱獄してきたのだという。盲腸の手術中に監視の目を盗んで逃亡したが、そのときに足を挫き、手術の傷も開いてしまっている。翌日の氏初が出るまでの数時間休ませてくれれば、危害を加えない、とフランクは約束した。

 嘘発見器への対策として、ひとまず母を拘束したが、フランクは手ずから食事を用意し、就寝前には母の縄を解いた。翌日には、鬱屈した生活を続けるあいだにお座なりにされていた車や暖房の故障を修理し、更には僕にキャッチボールの手解きをしてくれた。

 テレビでは彼の脱走が大々的に報じられ、近所でも警戒を呼びかける声が上がっている。けれど僕と母は、彼がいいひとであることを悟り、いつしかその存在を受け入れていた。それどころか、母はフランクに心惹かれていった……



[感想]

 冒頭、ケイト・ウィンスレットのくたびれようにまず驚かされる。もともと役柄事に体格も雰囲気も一変させるタイプの女優ではあるが、本篇の冒頭で見せる、生活にくたびれきった振る舞いは痛々しいほどだ。一緒に生活する息子が、まるで壊れものを扱うかのように接するのもよく理解できる。

 だが、この序盤での憔悴ぶりが強烈であるからこそ、そのあとのドラマの中で見せる彼女の変化が余計に強く印象づけられる。このレベルの変化が表現出来る女優が他にいない、とまでは言わないが、この役柄を表現するのに、彼女のレベルが求められていたのは解る。

 ごく乱暴に分類すれば、本篇の筋書きは一種のロマンスと言っていいだろう。逃亡犯と人質、という本来は剣呑な関係に、いつしか愛情が生まれていく。前提となるヒロインの境遇に関して丹念に描写しておくことで、急速に、しかし着実に近づいていく両者の心情に説得力が備わっている。直接的な性愛描写はしていないが、その代わりに組み込まれる交歓の表現が素晴らしく印象的だ。

 交歓、という点において、ダンスという古典的な趣向もさることながら、見事なのは料理のシーンである。逃亡犯フランクが優れた料理人であることを序盤で見せたあと、ご近所から貰った桃をパイにする、というくだりで、フランクはアデルとヘンリーふたりに教示しながら仕上げていく。その仕草のエロティックさに、いっそ度胆を抜かれるほどだ。掌を重ね合わせ、力を籠めて果実を押し潰したとき、溢れ出す果汁。財政的な事情からか、空調が用意されていないらしいキッチンでの作業に、剥き出しになった肩や二の腕は汗でしっとりと濡れている。その状態で、アデルの背後から彼女の手を取り、フランクが作り方を指導する姿は、シチュエーションとしては健全なはずなのに、その仕草のひとつひとつに言いようのない艶めかしさが備わっている。その後、本当に身体を重ねていることを仄めかしているが、そちらをはっきりと見せないにも拘わらず、まざまざと“肉体”を感じさせるのは、こうした描写故だ。

 そしてもっと重要なのは、本篇が一貫してアデルの息子ヘンリーの視点で描かれており、どの出来事も基本的には彼が見、体験したものであることだ。当然ながら、彼の目の前でアデルとフランクがあからさまに睦まじくしているようなくだりはないが、息子の眼にはその気配がしっかりと感じられる。恐らく、普通に円満な家庭であったなら、ここまで母親の“性”を意識することなどないだろうが、ほんのちょっと前までのアデルは、端的に言ってしまえば“生きる屍”に近い、枯れ果てた有様だった。それが急速に精気を取り戻し、女性としての色香を取り戻していく。出ていった父に代わり、夫の役割を果たそう、とまで考えていたヘンリーにとって衝撃的であり、喪失感をもたらす出来事でもある。なまじ、フランクが犯罪者でありながら善人であり、ヘンリーにとっても気の合う相手であったから、否定できないのが悩ましい。

 ヘンリーのそうした二律背反を起こす感情が、アデルとフランクのロマンスとねじれながら、ヘンリーの成長を辿る物語としての側面を浮き上がらせていく。フランクを認めながらも、彼がいなくなればふたたび自分が母にとっての“夫”の地位に返り咲ける、という想いが、しばしばヘンリーを誘惑する一方で、ふたりの仲睦まじさが、必然的に“性”に対する関心を呼び起こす。途中で彼が出逢う、無邪気なニンフ、といった趣の少女との交流がそこに控えめに拍車をかける。この緻密な構成が、本篇を“禁じられたロマンス”の単純な類型から大きく隔たった特徴的なものにしているのだ。

 一貫して不穏な予感に彩られ、まるでサスペンスじみた緊張感を宿したまま綴られた物語は、しかし意外なほど優しい結末に落ち着く。それ故に、さほど掘り下げることなく鑑賞してしまえば、微温的な内容に感じられるだろうが、しかし本質はよく練られ、巧妙に構成された物語である。その奥行きがあるからこそ、有り体で作り物じみた美談が快く思えるのだ。『サンキュー・スモーキング』以来、常に質の高い作品を繰りだしてきたジェイソン・ライトマンの手腕は、本篇でもそつなく発揮されている。



関連作品:

サンキュー・スモーキング』/『JUNO/ジュノ』/『マイレージ、マイライフ』/『ジェニファーズ・ボディ』/『ヤング≒アダルト

タイタニック3D』/『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』/『愛を読むひと』/『おとなのけんか』/『トゥルー・グリット』/『メン・イン・ブラック3』/『チェンジリング』/『ネスト』/『マイ・ブラザー』/『アベンジャーズ』/『プリズナーズ

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