『仁義なき戦い』

TOHOシネマズ日本橋、スクリーン9の前に展示された案内ポスター。 仁義なき戦い [Blu-ray]

原作:飯干晃一 / 監督:深作欣二 / 脚本:笠原和夫 / 企画:俊藤浩滋 / 撮影:吉田貞次 / 照明:中山治雄 / 美術:鈴木孝俊 / 編集:宮本信太郎 / 音楽:津島利章 / 助監督:清水彰 / 出演:菅原文太松方弘樹、梅宮辰夫、金子信雄木村俊恵田中邦衛三上真一郎川地民夫曽根晴美高宮敬二宮城幸生、宇崎尚韶、渡瀬恒彦名和宏、川谷拓三、大前均、池田謙二、伊吹吾郎、山田良樹、遠藤辰雄林彰太郎国一太郎、壬生新太郎、木谷邦臣大木悟郎小松方正 / ナレーション:小池朝雄 / 配給&映像ソフト発売元:東映

1973年日本作品 / 上映時間:1時間39分

1973年1月13日日本公開

2010年7月14日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon]

第2回新・午前十時の映画祭(2014/04/05〜2015/03/20開催)上映作品

TOHOシネマズ日本橋にて初見(2014/04/21)



[粗筋]

 復員直後の広能昌三(菅原文太)はまだ堅気に過ぎなかった。広島県の呉には複数の組が存在し、連日小競り合いを繰り広げていたが、広能にとって縁のない話だった。

 しかしある日、友人が切りつけられる事件が起こり、広能は関係者から預かった拳銃で、切りつけた男を射殺する。拘束された広能だったが、間もなく保釈金が支払われ、彼は釈放される。このときはまだ一介の実業家に過ぎなかった山守義雄(金子信雄)が、身内の仇を討ってくれた広能に報いるために身銭を切ったのだ。以来、広能は身柄を山守の元に預けるようになる。

 間もなく山守は、一家を築く決意を固め、広能をはじめとする若い衆と杯を交わした。山守組は上田組の傘下として少しずつ呉での勢力を拡大していくが、そのなかで土居清(名和宏)を長とする土居組との抗争が激しさを増していった。

 土居組には、収監中に広能と義兄弟の縁を結んだ若杉寛(梅宮辰夫)が在籍しており、揉め事を避けるべく繰り返し便宜を図ってもらっていたが、緊張は急激に高まり、いよいよ退っ引きならない状況に陥った。こういう切羽詰まった状況では、修羅場をくぐった広能以上に腹の決まった人間はいない。広能はふたたび拳銃を掴み、土居清に銃口を向ける。こうして土居組は崩壊、広能はふたたび監獄に送りこまれた。

 広能不在の中、対抗勢力の消滅により、山守組は呉の最大組織に成長していった。だがその代わりに、山守組の若頭・坂井鉄也(松方弘樹)と幹部の新開宇市(三上真一郎)が組の経営を巡って対立するようになる。事なかれ主義に徹し、ふたりの争いも自らの恩義を傘にねじ伏せようとする山守だったが、いつしか部下たちはそんな山守よりも坂井や新開に忠義を誓うようになり、山守組内部での派閥抗争が激化していく。

 やがて坂井は新開宇市とその子分を始末し、派閥争いを制するが、その結果として組内では坂井の発言に重きが置かれ、山守が軽視される風潮が生まれてきた。折しも、講和条約による恩赦で広能が出所を許されると、山守はさっそく広能を招き、坂井の暗殺を請う……



[感想]

 いまでは“ヤクザ映画”と呼ばれるものは、少なくとも劇場用映画ではすっかりお目にかかれなくなった。ビデオパッケージ専用に製作される“Vシネマ”と呼ばれるかたちでは未だ主流であり、かなりの数が発表されているようだが、少数の好事家に支持されているからこそであり、ほとんどのひとにとっては縁遠いものになっているのではなかろうか。かくいう私も、これだけ年がら年中観ているのに、“ヤクザ”がメインとなる映画に接したのはたぶん初めてに近い。

 それ以前は義理人情を重んじていた、こうした任侠ものの方向性を、その暴力性、犯罪性にもきちんと焦点を当てたものに切り替えるきっかけとなった作品であると共に、クエンティン・タランティーノら近年のクライム・ムーヴィーのスタイルを確立した映画監督たちに多大な影響を与えた、という意味でも非常に重要な作品である、という知識は持っていたが、いざ鑑賞してみると、そうした重要性を考慮せずとも、未だに色褪せない面白さ、魅力を擁した傑作であった。

 噂通り、暴力描写、人間の欲望を剥き出しにする展開はかなりの迫力である。製作から40年以上過ぎた今となれば多少は古びてもおかしくないのに、いま観てもそのインパクトにさほど衰えを感じない。それは、流血や暴力の激しさを直接描くことで観客を脅かすのではなく、状況の異様さ、緊迫感をまず観客に体感させ、そのうえで暴力を織りこむことで衝撃を演出しているから、単純な虚仮威し以上の力を備えている。近年でも、印象に残るヴァイオレンス映画、クライム・ムーヴィーはこうしたメリハリを巧く駆使しているものがほとんどであり、本篇はこの段階でほぼ手法を完成させているのが窺える。

 印象づける、という意味で、本篇において特に重要なのが音楽だ。未だにヤクザを題材とした映画、バラエティ番組などで強面の人物が表情や視線で他人を威圧する場面で頻繁に用いられ、本篇についての知識が皆無でも聴いたことのあるフレーズを、犠牲者が出るたびに繰り返し引用する。矢もすると陳腐にもなりかねない手法だが、相次ぐ犠牲、有意に、或いは無為に多くの人間が命を奪われていく無情さが、この演出により鮮烈に印象づけられている。死の情景には泥臭さが滲むのに、その表現は極めてスタイリッシュだ。のちの作品が踏襲していったのもよく理解できる。

 本篇で描かれる極道の男達の振る舞いは、義理人情もないわけではないが、それ以上に欲得ずくであることが明白だ。渡世の義理、を口にしながらも、打算によってあっさりと裏切り、時として杯を交わした相手でさえ見限ることもある。それ故の虚しさが濃密ななかで、だが男達の振る舞いに一種の潔さ、逞しさが見え隠れしており、彼らの行動に対しよほど強い抵抗を覚えるのでなければ、時として痺れるような痛快さを味わえるはずである。

 金と欲に縛られる多くの男達の言動、時として臆病でみっともない振る舞いでさえもある意味印象的に描かれているのが本篇の凄味だが、しかしやはり特筆すべきは菅原文太演じる実質的な主人公・広能昌三の風格の素晴らしさである。最初は堅気だが、必要とあらば拳銃を握りしめ乗り込んでいく気っ風の良さ、周囲が欲得ずくで行動していても自身は義理人情を重んじ、そうするのが解決に早い、とあれば作法が確立されていないなかでも進んで指を詰める肝の太さ。そんな彼だからこそ、派閥抗争が入り乱れ、義理も人情も無に帰したような状況で示すクライマックスの行動がなおさらに凛々しく映る。

 また本篇は、その後に影響を及ぼした暴力描写の泥くさくも洗練されたトーンが特に記憶に残るのは間違いないが、のちの極道、犯罪者を扱った映画では逆にお目にかかれない、組織として完成される前の暴力団の姿や振る舞いが垣間見えるのも興味深いところだ。謝罪の証として指を詰める、というのはヤクザ映画の常識のように思えるが、本篇ではその作法が解らず、聞いた話と直感で執り行うくだりがある。山守が正式に組を立ち上げる際、部下たちと一斉に杯を交わす、というのも既に組織が完成されているのが大前提の作品では確実に見ることのない描写だし、そうして複数の勢力が混在しているからこそ、広能と若杉のように、組を越えた交流があり、それ故のしがらみに囚われているところも面白い。これらの要素は、恐らく実際の出来事に取材しているからこそ出て来た、という部分も大きいだろうが、終戦直後の混沌から始まった犯罪組織の黎明期を扱った、という後世の作品では確保し得ない強みもあってこそだろう。

 のちに作られた作品のイメージや、犯罪組織の行動を美化するような作品は好まない、という理由から本篇を避けている、というひともたぶん少なくないだろう。だが、にも拘わらずタランティーノやその系統に属するクライム・ムーヴィーを観ることはある、愉しめている、というひとは、先入観を捨てて本篇を観ておくといい。支持されるには、それだけの理由、魅力がある、ということは理解できるはずだ。



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