『8月の家族たち』

TOHOシネマズシャンテ、施設外壁の看板。

原題:“August : Osage County” / 原作戯曲&脚本:トレイシー・レッツ / 監督:ジョン・ウェルズ / 製作:ジョージ・クルーニーグラント・ヘスロヴジーン・ドゥーマニアン、スティーヴ・トラクスラー / 製作総指揮:ボブ・ワインスタインハーヴェイ・ワインスタイン、ロン・バークル、クレア・ラドニック・ポルスタイン / 撮影監督:アドリアーノ・ゴールドマン / プロダクション・デザイナー:デヴィッド・クロップマン / 編集:スティーヴン・ミリオン / 衣装:シンディ・エヴァンス / キャスティング: / 音楽:グスターボ・サンタオラヤ / 音楽監修:デイナ・サン / 出演:メリル・ストリープジュリア・ロバーツユアン・マクレガークリス・クーパーアビゲイル・ブレスリンベネディクト・カンバーバッチジュリエット・ルイス、マーゴ・マーティンデイル、ダーモット・マローニー、ジュリアンヌ・ニコルソン、サム・シェパード、ミスティ・アッパム / 配給:Asmik Ace

2013年アメリカ作品 / 上映時間:2時間1分 / 日本語字幕:松浦美奈

第86回アカデミー賞主演女優&助演女優部門候補作品

2014年4月18日日本公開

公式サイト : http://august.asmik-ace.co.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2014/04/18)



[粗筋]

 オクラホマ州オーセージ郡は、夏場ともなると極度の暑さになる。こと、周りに影の差すところがないウェストン家の暑さは尋常ではなかった。

 そんな8月に、ウェストン家の長女バーバラ(ジュリア・ロバーツ)は突然の知らせを受け、帰郷する。父ベヴァリー(サム・シェパード)が、釣りに行くと言ったまま、忽然と行方をくらましたというのだ。母ヴァイオレット(メリル・ストリープ)はだいぶ前から口腔癌を患い闘病を続けていたが、最近になってベヴァリーは急にネイティヴ・アメリカンのジョナ(ミスティ・アッパム)を家政婦として雇い、ヴァイオレットの送り迎えや身の回りの世話をさせるようになっていた。そのことがバーバラや、オーセージに残っている次女のアイヴィー(ジュリアンヌ・ニコルソン)に嫌な予感をもたらすが、それは間違いではなかった――深夜、保安官がウェストン家を訪ね、近くの池で屍体が上がったことを告げるのだった。

 葬儀に合わせ、ウェストン家には親族が勢揃いした。バーバラの夫ビル(ユアン・マクレガー)と娘のジーン(アビゲイル・ブレスリン)、ヴァイオレットの三女カレン(ジュリエット・ルイス)と婚約者のスティーヴ(ダーモット・マローニー)。ヴァイオレットの妹であるマティ・フェイ(マーゴ・マーティンデイル)とその夫チャールズ(クリス・クーパー)に、ふたりの息子リトル・チャールズ(ベネディクト・カンバーバッチ)もやって来た。

 久々に顔を合わせる者もいれば、まるっきりの新参者も加わっている。揃っての食卓は当初、探るような平穏な会話が交わされていたが、ヴァイオレットは最初からやけに躁状態で、無遠慮だった。彼女は昔から薬物依存が激しく、癌を患っているいまは、医師の処方で中毒性の高い鎮痛剤を過剰に投与し、ハイになりすぎる傾向がある。ヴァイオレットの抑えの効かない唇は、いつしか葬送の済んだばかりの家庭に、容赦なく爆弾を放り始めた――



[感想]

 ユーモアはあるが、潤いはない。舞台となるオーセージ郡の尋常でない熱気に乾燥してしまったかのようで、家族のドラマであるにも拘わらず、そのフレーズからイメージされる人情や暖かみはほとんどない。

 本篇の登場人物はいずれもどこかしら過剰でエキセントリックだが、決して特異ではない。事態を誰よりも掻き回す母親ヴァイオレットには薬物依存が明らかだが、それも珍しくはない――現在の彼女は癌の痛みを抑えるために処方された鎮痛剤の中毒になっている格好だが、あり得る状況なのである。それに明晰な頭脳と冴え渡る舌鋒が加わったがために手の付けどころのない厄介者になっている感はあるが、飛び抜けた奇人、というわけではない。家庭に悩みを抱えるバーバラも、地元を出ずに独身でいるアイヴィーの秘密も、カレンの振る舞いやその恋人の人物像にしても、ありがちと言えるものだ。

 ただ、そうした人物を一堂に集め、思うさま秘密を暴露していけば、そりゃあ殺伐とするし阿鼻叫喚の様相を呈する。その壮絶さは、いっそ滑稽なほどだ。

 ヴァイオレットはいささかエキセントリックなきらいはあれど、他の人物たちの造形、抱える悩みや秘密は観る者にとって身近なものだ。だから、湧き起こる笑いが時として自虐的になり、痛々しくなる。次第に明らかになっていく秘密や人間関係は、あり得ないようなもののようにも思えるが、しかし他人事ではないからこそ本篇は異様なほどに鋭いのだ。

 軸となっているのは、まるでパワーショベルのようなヴァイオレットと、常識人だがそんな彼女に対決しようとするバーバラであり、このふたりをメリル・ストリープジュリア・ロバーツという名女優ふたりなのは当然としても、周囲の人物にも、ある程度映画好きを自認するひとなら唸るような名優揃いである。それは、尺全体と比較すると決して出番も台詞の量も多くはないが、作品全体に対して誰ひとり無駄に出来ないがゆえだ。家族全員から「頼りない男」扱いされているリトル・チャールズでさえ、近年急速に注目を集めつつあるベネディクト・カンバーバッチが起用されて素晴らしい存在感を与えているし、どちらかといえば軽く扱われそうなバーバラとビルの娘にも、幼くしてオスカー・ノミニーになったアビゲイル・ブレスリンが起用されて、如何にも現代的な少女の人物像に奥行きを加えている。この堂々たる面々が、やたらと盛大に繰り広げられる家族の悶着に芯を通している。

 それにしても本篇の終盤の成り行きは惨憺たるものだ。家族のドラマなら、ハッピーエンドとは言わずとも、家族の情や絆が何らかのかたちで浮き彫りとなり、わずかな救いや支えをもたらしそうなものだが、本篇の結末は如何ともし難い――このあと、家族がふたたび顔を揃えることなどまずあり得ない、と感じる。

 だがその一方で、本篇の結末には何故か明るさがある。何もかもぶちまけ、抱えていた秘密や悩みを打ち砕かれて、失うものをすべて失ったあとに、初めて残された自分を見つめなおす登場人物の姿には、不思議な清々しさがあるのだ。

 本篇には、ひとがひとであるが故の業の深さ、それぞれが断絶しているように見えて、どこかで繋がってしまう因縁の深さを感じる。そしてそれと同時に、“家族の絆”など幻想に過ぎないのだ、と囁いているようにも思う。そのくせ本篇は、どれほど壊れても完全には解せない“縁”があることもほんのりと窺える――そのことが救いになっている、とは到底思えないが、情や絆、といったキーワードではあぶり出せない“家族”というものの本質が、本篇には刻みこまれているように思うのだ。

 その凄味を象徴するのはやはり、逞しき母ヴァイオレットだ。作中で彼女が愛するエリック・クラプトンの“Lay Down Sally”を2度目にかけるシーンで流れる虚無的でいて濃密な余韻は、あとあとまで尾を引く。

 観ているあいだはけっこう笑わされ、自然と牽引されてしまうが、終わってみて快いか、と問われたら、積極的には肯定できない。しかし、家族の絆だ、暖かい空間だ、といった描写に胡散臭さを感じてしまうようなひとは、本篇を観ておくべきだろう――そこに浸っていられることもまた、幸せなのだ、ときっと気づかされるから。



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