『かぐや姫の物語』

TOHOシネマズ西新井、スクリーン4前に掲示されたチラシ。

原作:『竹取物語』 / 監督&原案:高畑勲 / 脚本:坂口理子高畑勲 / 製作:氏家齎一郎 / 製作名代:大久保好男 / 企画:鈴木敏夫 / 人物造形&作画設計:田辺修 / 美術監督男鹿和雄 / 作画監督小西賢一 / 撮影監督:中村圭介 / 特任シーン設計:百瀬義行 / 編集:小島俊彦 / 音楽:久石譲 / 主題歌:二階堂和美『いのちの記憶』(ヤマハミュージックコミュニケーションズ) / 声の出演:朝倉あき高良健吾地井武男宮本信子高畑淳子田畑智子立川志の輔上川隆也伊集院光、宇崎竜童、中村七之助橋爪功三宅裕司朝丘雪路仲代達矢 / 制作:星野康二、スタジオジブリ / 配給:東宝

2013年日本作品 / 上映時間:2時間17分

2013年11月23日日本公開

公式サイト : http://www.kaguyahime-monogatari.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2013/12/14)



[粗筋]

 今は昔。

 ある山奥に、竹取の翁(地井武男)と媼(宮本信子)が暮らしていた。翁は山で竹を伐採し、籠などを作って生活の糧にしていた。

 いつものように翁が竹林で精を出していると、にわかに節の輝く竹を見つける。怪しんで近づいてみると、その傍から1本の筍が急激に生長し、その中から掌大の見目麗しい姫君が現れた。翁は天からの授かり物と考え、姫君を掌に載せて連れ帰る。その姫君を媼が捧げ持つと、途端に姫君は人間の赤子の姿になり、激しく泣きじゃくるのだった。

 出逢いも数奇なら、姫君の生長もまた不思議だった。近所の子供たちが覗きに来ると、その目の前で急に身体が大きくなり、僅かのあいだに立ち、言葉を覚える。子供たちは姫君を“タケノコ”だ、と囃したてた。

 気づけば少女の姿になった姫君(朝倉あき)は、捨丸(高良健吾)たち近所の子供に混ざって、野山で遊ぶようになる。同じ頃翁は、竹林で節の輝く竹を繰り返し発見するようになっていた。最初、竹には黄金がぎっしりと詰まっており、やがて生えてきた筍からは、煌びやかな装束が溢れ出してきた。それを目にした翁は、天の意志を悟った、と感じる――姫君は、こんな鄙で育てるべきではない。都で、高貴な姫君として育てるべきなのだ、と。

 準備が整うと、竹取の翁と媼、そして姫君は都へと旅立った。黄金で得た大きな屋敷に居を構えると、翁は相模(高畑淳子)という女を雇い、貴人としての作法を姫に学ばせる。野山で育った姫君はお転婆で、手習いの際にさんざんふざけるわりに吸収は早く、翁の前や、翁が姫君の名付けを依頼した斎部秋田(立川志の輔)の前に出ると、行儀良く振る舞うのだった。

 斎部秋田によって“なよ竹のかぐや姫”と名付けられると、翁は祝いの宴を開き、都のひとびとを招く。宴は三日三晩に亘って続き、翁は歓喜の絶頂にあったが、姫君の心は沈んでいた……



[感想]

 日本最古の物語と言われる『竹取物語』の粗筋は、恐らく日本人なら誰しも知っている。竹から現れ、瞬く間に美しく成長し、求婚する貴人たちに無理難題を押しつけて袖にしたのち、故郷である月に帰っていった“かぐや姫”。SFの原点、とさえ呼ばれるこの有名な物語だが、たぶん何の知識もなく初めて接したとしたら、不思議に思うはずだ――かぐや姫はいったい何をしに地上に降り立ったのか、何を考えて男達を袖にしたのか?

 本篇は、この有名な物語のアウトラインを変えることなく、“かぐや姫”の幼少時代を追加し、都で求婚を受ける彼女のその時々の振る舞い、心情を辿るかたちで膨らませている。

かぐや姫”に特異な設定を付与することなく、作中の出来事は幼少時代を除いて原典をそのまま踏襲している。だから、恐らく原典に深く親しんでいるひとでも――原典の展開や描写をよほど信奉しているひとは別だろうが――違和感なく馴染めるはずだ。そして、頷かされるはずである。

 本篇の“かぐや姫”は、成長が一般の人間よりもかなり早い、という一点を除いて、ごく普通の女性として描かれている。最初、育ったのが山家なので、近所の子供たちと交わるうちにかなりのお転婆になった、という背景は添えられているが、決して我々の常識と隔たったものの考え方をする人間ではない。むしろ、だからこそ自らの特異な境遇に戸惑い、嘆き悲しむ。自分を溺愛する翁が、姫をその佇まいに相応しい高貴な娘に育てようと都に赴くことを決めたときは、慣れ親しんだ子供たちとの別れを惜しみ、姫の名付けの儀を祝う宴のはずが彼女がほったらかしにされていることを嘆き、育った山野を懐かしむ。その都度、自らの立場を悟り、心までも成長する様子は、決して異界の価値観で生きる謎の娘ではなく、少し風変わりなだけの“女の子”そのものだ。

 こうして着実にかぐや姫の辿った奇妙な運命を追っていくから、あの貴公子たちに対する理不尽な要求に至った経緯が納得できる。そして、それがもたらした結果に胸を痛め、クライマックスの離別に至ったことも、非常に頷ける。頷けるから、“かぐや姫”の背負った悲しみが重く深く伝わってくる。あの奇想天外な物語が、ひとりの変わった出自を持つ少女の歓びと悲しみを綴った、美しいドラマに昇華されている。

 この如何にも日本らしい物語を映像化するにあたって、スタッフは水彩画風のタッチをそのままアニメーションにする手法を選んだ。この手法は同じ高畑勲監督の先行作『ホーホケキョ となりの山田くん』で用いられているが、極めて多大な手間を費やし、莫大な予算を必要としたにも拘わらず、同作が思わしくない興収を残すに留まったことで、以降は封印されたような格好になった。実際には、同作に感銘を受けた人物の出資によって本篇に繋がったようだが、完成までには8年を費やしたそうで、やはり非常に厄介な表現を選んだ、と言うほかない。

 しかし、この選択は間違いなく最善だった。白い紙面に筆を走らせた絵がそのまま動き出すに等しい手法は、写実的な映像とは異なる、日本独特の美的感覚を巧みに作品に取り込むことに成功している。山野の優しい光景、都で姫たちが暮らす屋敷の広壮ぶり。平安期あたりの装束、調度もきちんと再現されており、映像のひとつひとつが美しい。

 そして、場面に応じて描線や色調を変え、その時々のかぐや姫を麗しく、実に活き活きと描き出している。宴に集まった男達の心ない言葉に激昂し、飛びだしていった姫のさながら夜叉のような姿。求婚する男達が群がり、屋敷を出るに出られなかった姫が、ようやく花見に出かけられたときのはしゃぐ姿。そしてクライマックス手前、生きる歓びに空を舞う空想的な映像。いずれも通常のシーンとは異なるタッチを用いた、絵画的手法によるアニメーションならではの凄味が光っている。

 ただ、この作品の最も優れたところはむしろ、決して思いきった趣向を用いない、何気ない場面での所作の繊細さだ。序盤、まだ赤子だった姫が無邪気に蛙と戯れる様子に始まる、如何にも生命力に溢れたくだりもさることながら、素晴らしいのは都に出てからである。車の中で初めて目醒めたときの驚きや、都での己の立場を悟ったあとの毅然とした、しかし哀しげな佇まい。特に5人の貴人たちが宝物を持ち込み求婚したり、それぞれの顛末が語られるくだりの表情や仕草の儚さ、切なさは絶品だ。御簾越しに毅然と語りかけながら、その拳が膝の上で震えているあたりなど、この窮地を何とかしのごうとする気丈さや聡明さに、裏腹ないとけなさまでが垣間見える。表現の限りを尽くして、本篇は決して特異な造形ではないかぐや姫の、絶世の美女にして、ふつうの女の子、という人物像をかたちにしてしまった。

 大胆さと繊細さが絶妙に折り重なった本篇が描くのは、あまりに有名なお伽噺の背後で少女が直面していた懊悩を汲み取り、それを生命の讃歌にまで高めている。なぜかぐや姫は地上に降り立ち、なぜ涙しながら月世界へと戻らなければならなかったのか。本篇はイマジネーションでその空白を補い、そこにひとが生まれ、死んでいく悲しみと喜びとを圧縮してしまった。

 公開から既に半月を経て、幸いに本篇は好評を博しているようだが、宜なるかな。果たして費やした費用と労力に見合う成績が収められるのか、私には解らないが、日本の古典文学を最上のかたちで映像にした本篇は、本邦アニメーションの最高峰のひとつとして、いつまでも語られる価値がある、と信じる。



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