『クロニクル』

TOHOシネマズ西新井、スクリーン1の入口脇に掲示されたチラシ。

原題:“Chronicle” / 監督:ジョシュ・トランク / 原案:ジョシュ・トランクマックス・ランディス / 脚本:マックス・ランディス / 製作:ジョン・デイヴィス、アダム・シュローダー / 製作総指揮:ジェームズ・ドッドソン / 撮影監督:マシュー・ジェンセン / プロダクション・デザイナー:スティーヴン・アルトマン / 編集:エリオット・グリーンバーグ / 音楽監修:アンドレア・フォン・フォースター / 出演:デイン・デハーン、アレックス・ラッセル、マイケル・B・ジョーダン、マイケル・ケリーアシュリー・ヒンショウ / 配給:20世紀フォックス

2012年アメリカ作品 / 上映時間:1時間24分 / 日本語字幕:松崎広幸 / PG12

2013年9月27日日本公開

公式サイト : http://www.foxmovies.jp/chronicle/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2013/09/27)



[粗筋]

 アンドリュー・デトマー(デイン・デハーン)の高校生活は真っ暗だった。シャイで消極的、これといって取り柄のない彼は、当然のようにいじめに遭っている。父親のリチャード(マイケル・ケリー)は消防士だったが、怪我がもとで多額の保険金を得たことをきっかけに職を辞した。そして母のカレンは深刻な病を患い伏せっており、治療には高額な薬が必要だった。父はそれでも職に就かず酒に逃避している。アンドリューにとって、家も学校も、安息を与えてはくれなかった。

 従兄弟で同学年のマット・ギャレッティ(アレックス・ラッセル)はそんな彼を心配し、農場の廃墟で開かれたパーティに連れていく。だが、自分で金を稼いで買ったビデオカメラで日常を撮影することに執着するアンドリューは周囲から気持ち悪がられ、けっきょく居場所を失ってしまった。

 駐車場でいじけていたアンドリューは、同学年のスティーヴ・モンゴメリー(マイケル・B・ジョーダン)に声をかけられた。マットから、彼がカメラを持ち込んでいる、と聞かされたスティーヴが、あるものを撮影して欲しい、と頼みに来たのである。渋々同行したアンドリューが農場の裏手に見たのは、地面に開いた謎の穴だった。何かが急速に抉った、と思しい穴の奥深くまで潜ってみると、緑色に発光する奇妙な鉱物がある。マットとスティーヴは興味津々で観察していたが、やがて奇妙な耳鳴りと衝撃が、彼らを襲った。

 その翌日から、アンドリューたちの世界は一変する。穴から脱したあと、3人の身体には変化が生じていた。手を触れずに、ものを動かすことが出来るようになっていたのだ――



[感想]

 映画ファンのなかには、P.O.V.と呼ばれる撮影手法にすっかり食傷している向きもあるようだ。作中人物が写した、という体裁の映像で構成するもので、『ブレアウィッチ・プロジェクト』により認知され、『パラノーマル・アクティビティ』の大ヒットによって急速に広まった。他にも、映画館で上映できるスペックの機材が入手しやすくなったこと、携帯電話の動画撮影機能が充実するなど、事件の当事者がカメラを持っている、というのが不自然でなくなった、という点も大きいだろうし、限られた予算でも制作が可能であること、状況のリアリティが演出しやすい、など理由は様々挙げられるが、しかしそれゆえに濫用され気味、というのも事実である。

 だが本篇は久々に、優れた着想と呼べるだろう。何せ手法と題材が、絶妙に噛み合っている。

 予告篇の印象は超能力もの、身につけた高校生たちの姿をハンディカメラで捉えた、程度のものだが、しかし実際に本篇を鑑賞するとそれだけではない、というのが早いうちに解るはずだ。

 主人公は不本意な境遇に置かれている。家にも学校にも居場所はなく、心を開く友人もいない。恐らくは自分がヒーローになれる“救い”をネットに求めて、お金に苦しむなかでどうにかカメラを都合した。序盤、ただ客席からグラウンドを撮っているだけで女子から抗議され、男子にカメラを蹴飛ばされる様子は痛々しい。

 しかし、この痛々しさが明白なので、いざ超能力を身につけたあとの姿がなおさらに活き活きとして映る。奇妙な穴に潜入した際の不穏な映像が終わると、一転してやけにハイテンションで、得た能力をカメラの前でお披露目するアンドリューたち。それまでアンドリューは従兄弟のマットともさほど密な交流はなかったが、秘密を共有したことで、毎日のように行動を共にするようになった。アンドリューとは対照的に社交的で頭も切れるスティーヴとも縁が出来たことで、オタクっぽさは相変わらずだが、自ら前に出よう、という気持ちが窺えるようになる。

 だが、その光芒が激しいからこそ、中盤から後半にかけての展開が悲痛だ。些細な失敗がかつての劣等感を刺激し、救いがたい悲劇に結びついていく。きっかけの出来事は本当にちょっとしたことだし、どこかで引き返すことも不可能ではなかった、とは思う一方で、つまらないことがいつまでも尾を引くのは理解できるし、破滅的ながらも微かに共感してしまう。共感してしまうからこそ、切なく胸に迫るものがある。そうした成り行きは、優れた青春ドラマの趣がある。

 この構図に、ハンディカメラによるP.O.V.という趣向が、完璧に嵌まっているのだ。

 序盤は自分撮りの様子から彼の孤独を如実に描き出し、能力を得たあとは撮影者がマットになったり、能力を用いカメラを浮かせて自分を撮る、といった具合に活発さを描き出す。しかし、途中からマットがアプローチを図るジャーナリスト志望の少女ケイシー(アシュリー・ヒンショウ)によるカメラの映像が紛れ込み、終盤では第三者のものと思しいカメラや携帯電話で撮影された映像が混入、そして最高潮に至ると、もはや作中にカメラが存在しない、神の視点で撮られているのではないか、としか思えない映像が加えられる。

 これを表現の不統一、と捉えるのは早計だろう。はじめはアンドリューひとりの世界でしかなかったものが、彼の能力の成長、干渉する世界の広がりに応じて視点が増えていく。多角的に描くことで、彼自身の立ち位置や心情の変化を表現している。はじめは内省的であったものが、世間に触れ自尊心が芽生えることで感情が外側に向かい、育んだ力が爆発して、周囲に悲劇的な影響を及ぼす。

 切ないのは、序盤から主人公アンドリューの不遇が解っているから、その変化が理解できてしまうことだ。あそこまで行かなくとも解決法があったのでは、耐えることも可能だったはず、と言うのはたやすい。しかし、あの若さで何の蹉跌も味わうことなく、誰も傷つけずに済む解決を導くのは容易ではなかっただろう。そもそも、もともと友人はおらず、ようやく結んだ絆でさえ、惨いかたちで引き裂かれるのだから。

 考えてみると、アンドリューの辿った道筋は『スパイダーマン』を彷彿とさせる。偶然に手に入れた“ギフト”に振り回されながらも、やがてそれを人助けのために用いよう、と決意する。『スパイダーマン』に限らず、良質のヒーローものであれば選ぶ構成だが、本篇は悟りに至る前に、取り返しがつかないほどに振り回されるのである。

 そうした狙いが把握出来ると、本篇の展開はほぼ予定調和と呼べるもので、先読みはしやすい。しかし、過程の描き方には思慮があり、それ故に心に刺さる。きっちりと描いているからこそ、あのラストの苦みが沁みてくるのだ。

 本篇は、超能力、というものを題材にした、秀逸な青春映画である。そして、もしかしたらヒーローになれるかも知れなかった少年の辿った悲劇でもある。痛ましいが、この展開のあとで、苦いが不思議と快い余韻を残すのも巧い。

 意図的であるとはいえ、もう少し採り上げる映像の出所に説得力や解釈のしようがあればより奥行きが出ただろうに、と惜しまれるし、登場人物同士の交流をもうひと匙ほど丹念に描けば、より重みを増しただろうに、とも思える。しかし、その不完全さがあるからこそ、こんなに苦く、しかし愛すべき秀作になったのだろう。

 ちなみに本篇のジョシュ・トランク監督は、これが注目されたことで、『ファンタスティック・フォー』のリブート企画に起用されたようだ。本篇を踏まえたうえで、彼が“ヒーロー”をどのように描くのか――少しばかり不安を抱きつつも、期待したい。



関連作品:

スパイダーマン

アメイジング・スパイダーマン

ファンタスティック・フォー:銀河の危機

キャリー

パラノーマル・アクティビティ

POV 〜呪われたフィルム〜

クローバーフィールド/HAKAISHA

トロール・ハンター

ダイナソー・プロジェクト