『めめめのくらげ』

TOHOシネマズ六本木ヒルズ、エントランス周辺に特別に施されたデコレーション。

監督、原案、キャラクターデザイン&エグゼクティヴ・プロデューサー:村上隆 / 脚本:継田淳西村喜廣 / プロデューサー:西村喜廣、笠原ちあき、福井真奈 / ラインプロデューサー:内山亮 / アクション監督:カラサワイサオ / 監督補&編集:西村喜廣 / 撮影:長野泰隆 / 美術:福田宣 / 特殊メイク:石野大雅 / VFXスーパーヴァイザー:鹿角剛司 / VFXディレクター:水石徹 / 照明:児玉淳 / 録音:良井真一 / 出演:末岡拓人、浅見姫香窪田正孝染谷将太、塩澤英真、池永亜美黒沢あすか津田寛治鶴田真由斎藤工 / 声の出演:矢島晶子桑島法子 / 配給:GAGA

2013年日本作品 / 上映時間:1時間40分

2013年4月26日日本公開

公式サイト : http://mememe.gaga.ne.jp/

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2013/04/26)



[粗筋]

 先の震災で父・辰男(津田寛治)を失った草壁正志(末岡拓人)は、母・静子(鶴田真由)の郷里へと親子ふたりで転居した。心の傷を癒し、新しい暮らしを築こうとしたのである。

 引っ越し早々、正志は不思議なものと巡り逢った。まだ荷解きも済んでいない新居に侵入して、チーかまを食べ荒らした、クラゲのような頭をしたその生き物に、正志は“くらげ坊”(矢島晶子)という名前をつけて可愛がる。

 翌る日、リュックにくらげ坊を入れて登校した正志は、教室の有様に驚いた。生徒たちの多くが、不思議な生き物と、それに命令を送るための端末を握りしめていたのだ。同級生の天宮咲(浅見姫香)に「あなたもフレンドを持ってるの?」と問われ、正志は困惑する……。

 同じ頃、正志の叔父である幸塚直人(斎藤工)が務めている大学の研究室で、奇妙な実験が行われていた。実は、子供たちの飼い慣らす“フレンド”が、この研究室に身を寄せる男達の企みでばらまかれていたのである……



[感想]

 世界的に活躍するアーティスト村上隆が10年近い構想を経て初めて完成させた長篇映画である。もともとストーリー性のあるものより、絵画や立体などで表現をしてきたひとだからなのかも知れないが、率直に言えばストーリーが酷い。ここまで破綻しているのは、最近は珍しいように思う。

 問題は、全篇を通して行動や展開に裏打ちがされていないことが大きい。それがどういう流れから始まったのか、また作中の理屈に照らし合わせて妥当なのか、という判断が不明瞭な描写があまりに多いのだ。物語の過程で主人公・正志に対して同級生たちがいじめのような行動に及ぶが、あそこまで急速に暴力的になっていく理由が解らない。転校生が“フレンド”を持って生意気だ、ぐらいの心情はありがちだが、それにしてもあの過剰ぶりには描く側の悪意、無神経をこそむしろ感じてしまう。

 正志に味方することになる同級生・咲の行動には更に謎が多い。大人には存在を知られてはいけないはずの“フレンド”――しかも彼女のものは異質なほど大柄なのに、それをあんな人目につきそうなところで散歩させる心理は、生真面目そうに描かれる彼女のキャラクターと比較していまひとつバランスが取れない。終盤、大きな出来事に際しては、「友達が喧嘩するのはイヤ」という言い方で制止に赴くが、もしそれが本音なら、恐らく他の機会でも彼女は同様の言動をしているはずだし、同級生たちがそれに対して抱く感想などがあるはずだ。本篇はそういう点を一切描いていない、というより恐らくはまったく考慮していないので、個々の行動が浮いてしまっている。

 こうした伏線の不足、裏打ちの乏しさは、もっと根本的なところや、クライマックスの展開においても顕わになっている。たとえば、最終的に子供たちのなかでは正志に次いで重要な役割を果たす少年が本当に後半に入って唐突に登場する不自然さがある。ゲームの達人で、他の少年たちの“フレンド”をあっさりと蹴散らしてしまうほどだが、これほど強ければやはり直前に言及や描写があって然るべきだ。彼の立場についても、色々と深い事情を仄めかす描写はあるが、そもそもそれ以前に平素の言動がないままいきなりクライマックスに起用されるので、まるで作中にいきなりスーパーマンを投入したかのようだ。

 そもそも、事件の黒幕の振る舞いからして不自然だ。まるで怪しんでくれ、と言わんばかりのマント姿に上っ面の悪意をちりばめた言動をしている一方で、行動に筋が通っておらず徹底もしていない。子供たちの操る“フレンド”の背後に彼らは存在するわけだが、実質的にはばらまいているだけで、クライマックスの仕掛け以前に大きな布石を用意した痕跡が作中まったく描かれていない。

 いちばん問題があるのは、正志の叔父・直人の扱いである。中盤で、彼について大きな事件が起きるが、そもそもあんな事態になる理由が謎なら、終盤でどうしてああいう扱いを受けているのか、作中の黒幕にとっては無論のこと、物語のうえでも筋の通った説明はしにくい――感情的な爆発点として設定したかったのは察せられるが、これもそのために必要な裏付けが乏しいので、冷静に考えるほどに違和感が膨らむのだ。そのくせ、終盤での直人の行動を見ていると、そもそも彼の設定にどんな意味があったのか疑問に思える――先に触れた、スーパーマンじみた少年の役割の一部は、本来直人に託されるべきだったのではなかろうか。

 挙げていくときりがないほど、本篇の描写には背景が考慮されていないものがあまりに多い。恐らく最終的に観る側の感情を揺さぶりたいのだろう、というのは解るし、細かいことを考えないひとなら受け入れられるかも知れないが、決して深く考える必要もないところで唐突だったり不自然な感情的変化を起こしてしまっているので、いったんそういうところが引っかかると最後まで乗れない。ツッコミどころを愉しむにしても、そのあざとさが鼻について楽しめないのだ。

 感動を誘おうとする描写のなかで、最も酷いのは終盤のひと幕だ。子供たちの嫌がらせは限度を超え、正志の“フレンド”くらげ坊に対して明白な危害を加える。いったい何をされたのか、正志は具体的なことを知らないが、その害意は途中の発言で明白なのだ。にもかかわらず、クライマックス手前、「ごめんな」のひと言で正志はあっさりと許してしまう。その時点でくらげ坊が何をされ、どのような状態になっているのか確認出来ていないにも拘わらず、だ。非常事態なので細かい会話を交わす余裕がなかったのも事実だろうが、それにしてもこの時点で彼らの胸に去来しているはずの感情が、台詞のやり取りからは一切感じられない。あれでは正志が、くらげ坊に感じていた親しみも所詮は所有物、オモチャに対する愛着程度のように思えてしまう。

 さすがに芸術家だけあって、ヴィジュアルの完成度は高い、と感じるシーンが幾つかある。必然性はさておき、巨大な“フレンド”と咲が散歩する様子は印象的だし、盛大なクライマックスの映像が醸しだす興奮は悪くない。大半が何かしらの劣化コピーのようなキャラクターデザインが多いとはいえ、それらが実写のなかでかなり自然に溶け込んでいるCGの技術は、ハリウッドばかりかアジア圏からも遅れを取りつつある日本の映画としては評価できるレベルだ。水泳の場面の瑞々しさをはじめ、そこだけを切り取ればハッとさせられるシーンも少なくない。だが、そういう描写、場面場面に説得力をもたらすための工夫、技術が圧倒的に不足している。

 全体的に、意匠を盛り込んだ意図、表現したい心情は察せられるのだ。ただ、そのための語り方が悪い意味であざとい。とてもシンプルに、一部だけから表現を受け止めてくれるひとなら、きっと素直に感動も出来るだろうが、掘り下げれば掘り下げるほど、本篇の表現には行きすぎた拙さか、或いはそれを狙ったかのようなあくどさばかりを感じてしまう――さすがに後者は穿ちすぎた、受け止めるこちらの悪意が滲んでしまう捉え方ではあるが、深い意図があった、と想定した場合、ここまで悪意を考慮したくなるのだ。

 キャラクターの愛らしさや、日本の自然を織りこんだ映像、ごく一部の感情をくすぐる描写から本篇を好き、というのは否定しない――センスに優れた俳優・斎藤工の肉体美が思いがけず堪能できる、という点も認める。ただ、この話を観て、あっさりと“感動した”と言ってしまうのは、ちょっと踏み止まって欲しい。本篇の表現には、悪い意味で問題がありすぎる。

 細部には確かにある美点をどれほど好意的に評価しようとしても、トータルでは決していい点数をつけることが出来ない――私には、“駄作”としか言いようのない作品だった。



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