『ロング・グッドバイ』

ロング・グッドバイ [DVD]

原題:“The Long Goodbye” / 原作:レイモンド・チャンドラー / 監督:ロバート・アルトマン / 脚本:リー・ブラケット / 製作:ジェリー・ビック / 製作総指揮:エリオット・カストナー / 共同製作:ロバート・エッゲンワイラー / 撮影監督:ヴィルモス・ジグモンド / 編集:ルー・ロンバルド / 衣装:ケント・ジェームズ、マージョリー・ウォール / 音楽:ジョン・ウィリアムズ / 出演:エリオット・グールド、ニーナ・ヴァン・パランド、スターリング・ヘイドン、ジム・バウトン、ヘンリー・ギブソン、マーク・ライデル、ウォーレン・バーリンジャー、ルターニャ・アルダ、デヴィッド・アーキン、スティーヴン・コイト、アーノルド・シュワルツェネッガーデヴィッド・キャラダイン / 配給:日本ユナイテッド・アーティスツ / 映像ソフト発売元:20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン

1973年アメリカ作品 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:篠原有子

1974年2月23日日本公開

2008年2月22日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

DVD Videoにて初見(2013/01/29)



[粗筋]

 深夜、私――フィリップ・マーロウ(エリオット・グールド)が、たまたま猫に餌を要求され、渋々買い出しをしてきた直後に、テリー・レノックス(ジム・バウトン)は訪ねてきた。ある連中に追われており、メキシコのティファナに逃げたい、という。古い友人の頼みに、私は快く応え、彼を国境まで送り届けた。

 日は変わって、新たに訪れた客人は、刑事だった。昨晩なにをしていたのか、という問いに、テリーを送った部分だけを伏せて話すと、連中は強硬策を採り、私を暴行の名目で逮捕する。取調室で私が聞かされたのは、テリーの妻シルヴィアが撲殺され、テリーがその容疑者に目されている、という話だった。

 あの男が妻を殺すはずがない。そう信じ、友情から彼を送ったことについては口をつぐんでいた私はそのまま拘留されたが、3日後、突如釈放される。捜査に当たったファーマー刑事(スティーヴン・コイト)によれば、メキシコでテリーの屍体が発見されたという。遺書も存在したために、事件はテリーが妻を殺し、そののち自殺した、ということで決着してしまった。

 本当に、テリーの犯行なのだろうか? 訝る私のもとに、仕事の依頼が舞い込んできた。人気作家ロジャー・ウェイド(スターリング・ヘイデン)の妻アイリーン(ニーナ・ヴァン・パランド)が、夫の行方を捜して欲しい、という。奇しくも、ウェイド夫妻の邸宅は、テリーが暮らしていたのと同じマリブ・コロニーの中にある。私はアイリーンの依頼を引き受けながら、テリーたちの身に何が起きたのかを探りはじめた……



[感想]

 レイモンド・チャンドラーとハリウッドはあまり相性が良くない、というイメージが私にはある。初期に脚本家として進出するも間もなく離れてしまった、という事実や、むかし読んだ解説、エッセイの影響、加えて、同じようにハリウッドに挑んで失敗を経験したエラリー・クイーンのことも重なってしまっているのだろう。そもそも作品数が少ないこともあって、チャンドラー作品を映画化したものも少なく、以前は古い映画に接する習慣がほとんどなかったので、なおさらこのイメージが固着してしまっていた感がある。

 だが、本篇は思いのほか上出来だった――というより、「相性が良くない? どこが?」という気分になる秀作だった。

 原作のイメージを正確に再現しているか、と問われれば“否”だ。本篇はフィリップ・マーロウ像もそうだが、トーンがまるで異なる。原作に漂う感傷的なムードはほとんど拭われ、楽園的なロケーションともあいまって、洒脱だが乾いた気配を湛えている。しかし、チャンドラー独自の作品世界として昇華された原作よりも、こちらのほうがいっそハードボイルドらしい、とも言える。

 原作のイメージを重視するひとにとっては噴飯物だろうが、エリオット・グールド演じるマーロウは、程良く個性が立っていて、独特の魅力がある。ところ構わずマッチを擦って煙草に火を着けている筋金入りのチェーン・スモーカー、愚痴をこぼしながらもわざわざ猫のために深夜の買い出しに出かけ、ご近所の頼みにも快く応えてしまうお人好し。人情の厚さ故に、何かから逃走しているらしい友人の情報を警察に提供することを拒み、悲報に疑念を抱いて独自に動く、というのが妙に納得しやすい。

 それ以上に本篇の、原作と異なる結末は、このマーロウ像を敷衍し、映像的に決着をつける、という意味では最善の脚色だっただろう。このマーロウのキャラクターが先にあったのか、脚色の方向性が先にまとまったのかは知らないが、そこにはきちんと考慮が窺える。

 原作の表現力、情感が生み出す物語の膨らみは削ぎ落とされ、本篇で描かれる事件はだいぶ簡略化されてしまっているが、それでもモチーフを活かして、原作とは異なる豊潤な味わいを醸しているのは確かだ。書けなくなった作家が漂わせる悲哀や、犯罪者とマーロウとの奇妙な交流ぶり。本筋には直接絡まないものの、それが最後の展開を補強し、観終わったあとに痛快なような、それでいてやり切れないような、苦い余韻を生み出している。

 ところどころで、中心人物であるマーロウから敢えて距離を置き、会話が聞き取れないような位置から彼らを捉えたり、わざと人物を外し、奥にある波打ち際に焦点を合わせる、といったクセのあるカメラワークがあちこちに見えるが、それが本篇の、主人公をひとりに設定しつつも客観性を感じさせるトーンを作りだしている。こうした一風変わった演出もまた、ハードボイルド――私立探偵小説の多くが備える、出来事に対する一定の距離感を映像としてうまく再現している。

 本篇について、映像ソフトの発売元でも“異色のハードボイルド”と表現している。確かにそうとも言えるのだが、しかしいわゆる私立探偵小説、ハードボイルド小説の持つ独特の味わいを、映画らしく描き出した、という意味では、むしろ正統派のような気がしてならない。



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