『もうひとりのシェイクスピア』

TOHOシネマズシャンテ、施設外壁の看板。

原題:“Anonymous” / 監督:ローランド・エメリッヒ / 脚本:ジョン・オーロフ / 製作:ローランド・エメリッヒ、ラリー・フランコ、ロバート・レジャー / 製作総指揮:フォルカー・エンゲル、マルク・ヴァイガート、ジョン・オーロフ / 撮影監督:アンナ・J・フォースター / プロダクション・デザイナー:セバスティアン・クラヴィンケル / 編集:ペーター・R・アダム / 衣装:リジー・クリストル / キャスティング:レオ・デイヴィス、リジー・ホルム / 音楽:トーマス・ワンダー、ハラルド・クローサー / 出演:リス・エヴァンスヴァネッサ・レッドグレーヴジョエリー・リチャードソンデヴィッド・シューリスゼイヴィア・サミュエル、セバスチャン・アルメストロ、レイフ・スポール、エドワード・ホッグ、ジェイミー・キャンベル・バウアー、サム・リード、デレク・ジャコビ / ジェントロポリス・エンタテインメント製作 / 配給:PHANTOM FILM

2011年イギリス、ドイツ合作 / 上映時間:2時間9分 / 日本語字幕:松浦美奈 / 字幕監修:小田島恒志

第84回アカデミー賞衣裳デザイン部門賞候補作品

2012年12月22日日本公開

公式サイト : http://shakespeare-movie.com/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2013/01/28)



[粗筋]

 16世紀末、イギリス。

 大衆に人気を博す劇作家ベンジャミン・ジョンソン(セバスチャン・アルメストロ)の新作の上演中に、憲兵が踏み込んできた。大衆を扇動する内容であるとして、宰相ウィリアム・セシル(デヴィッド・シューリス)が上演を禁じたのだ。戯曲を執筆した自身も投獄され、非情な扱いにベンは落胆する。

 だが、間もなくベンは無罪放免となった。牢獄に使者として現れた男はベンを、主人のもとへと招く。その人物は、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア(リス・エヴァンス)――貴族の中でも最も由緒ある血筋に連なり、セシルにとっては義理の息子に当たる人物でもあった。接点のなかった自分に何故、このような計らいをするのか? 当然の疑問を漏らすベンに、エドワードは紙束を差し出す。それは、エドワード自身が執筆した戯曲であった。

 偶像崇拝に繋がるとして、詩や戯曲の創作を忌み嫌うセシルは、ベンの作品に限らず厳しい監視の眼を張り巡らせている。ましてエドワードは、神から賜った詩才がありながら、義父によって厳しく禁じられている身であった。しかし美に対する情熱は抑えきれず、密かに多くの詩や戯曲を書きためていたのである。エドワードの望みは、自らが執筆した戯曲を、ベンの名で上演することであった。

 原稿を預かったものの、当初ベンは、エドワードの要求に従うつもりなど毛頭なかった。所詮貴族の手すさび、極めて率直な大衆の審美眼に適うとはとうてい思えなかった。それでも結局ベンは、自らの作品を上演する劇団にその戯曲を託す。

 結果は――ベンの予測を遥かに凌駕した。その戯曲、『ヘンリー5世』は観衆を興奮させ、終演と共に劇場は万雷の拍手に満たされた。ベンは戯曲を匿名で上演させていたが、観衆はこの素晴らしい戯曲を執筆した者の登場を要求する。ベンが立ち上がるべきか、躊躇していたそのとき、予想外のことが起きた。出演者のひとりが、自分こそ執筆者である、と名乗り出てしまったのである。

 かくして、不世出の劇作家ウィリアム・シェイクスピア(レイフ・スポール)は誕生した――その名声は間もなく、ベンは無論、エドワードでさえも制御できないものとなっていく……。



[感想]

 こう言っては失礼だが、ローランド・エメリッヒという名前に対して、あまりいい印象を抱いていない日本人はある程度いるのではなかろうか。『インデペンデンス・デイ』や『2012』など、ヒットはしたが映像のインパクト主体で大味な映画ばかり作っている、というイメージもさることながら、日本人にとって愛着のある怪獣映画を『GODZILLA』として、エイリアンもどきのクリーチャーに貶めてしまったことに、未だしこりを残しているひとがいても不思議ではない。だから、そんな監督が、恐らく人類が滅びるまでその名を留めるであろうウィリアム・シェイクスピアを題材に映画を撮った、と言われても、期待はしにくい。

 だが、もしそんなイメージだけで避けているのだとしたら、勿体ない――というより、むしろ積極的に観ておくべきだろう。イメージに囚われて判断することの迂闊さを実感するはずだ。

 序盤から、堂々たる歴史ミステリーぶりを示す。どうやら本篇の物語を上演していると思しい舞台での前口上から始まり、舞台からすぐさま時代は16世紀イギリスへと飛ぶ。ベン・ジョンソンが官憲によって追われ捕らわれ、“エドワードの原稿”の在処を追求されるくだりが描かれると、物語は過去へと遡る。ベンとエドワードとの最初の関わりが描かれたかと思うと、ふたたび物語は更に過去へと赴き……という具合に、自在に時系列を交錯させることで、物語の焦点である“シェイクスピア別人説”の背景を、謎めいた手つきで掘り下げていく。

 冒頭で仄めかされ、すぐに明かされる通り――そして私も粗筋で隠すことをしなかったことからも解るように、本篇ではシェイクスピアの“正体”そのものについては伏せようとしていない。正体自体よりも、“何故、エドワードは自らの素性を隠してでも戯曲を発表したのか?”という謎への興味を牽引力として用い、英国王室を軸とした愛憎入り乱れるドラマへと観客を誘っているのだ。

 私自身はこの辺りの歴史には明るくないので判断できなかったが、鑑賞後調べてみると、本篇はかなり丁寧な考証が施されている。エドワードがシェイクスピア戯曲の実作者である、というのも実際に存在する説のひとつで、プロローグ、舞台の前口上を担当するデレク・ジャコビがこの説を支持するひとりなのだという。その真偽はさておき、本当にその通りであればどんなドラマがあったのか? という点を、実在の人物、事件を踏まえつつ、大胆な背景、秘密を絡めて構築している。ベン・ジョンソンもセシル親子もエセックス伯ロバート・デヴリー(サム・リード)やサウサンプトン伯ヘンリー・リズリー(ゼイヴィア・サミュエル)も実在するし、後半で起きる椿事も実際に語られている逸話だというが、自筆の原稿が存在せず、公式の署名も一貫していない、というシェイクスピアの秘密を筆頭に、歴史上語られていない、記録に残されていないであろう、という部分で奔放に想像の翼を羽ばたかせ物語を展開しているのが察せられる。

 読み書きもろくに出来ない役者でしかなかったシェイクスピアの意外な行動が周囲を振り回し、時の女王エリザベス(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)とエドワードとの関係を軸とする王室内での思惑とも複雑に絡みあって、物語は予測不能の奥行きを見せる。そうして終盤に解き明かされる本当の“謎”の圧力には驚かされる。考えようによっては意外ではない、だがかの傑作群を生み出した人物の背後に隠されていた秘密として、これほど納得のいくものはそうそうない。

 人物が歴史に沿っているのと同様に、舞台や衣裳にも行き届いた考証が窺える。演劇に対して熱狂する大衆が概ねみすぼらしい身なりをしており、一方でボックス席に臣下を従えた貴族が優雅に鑑賞している。反対に、宮廷や荘園に招いた芸人たちの芝居を行儀良く眺めていたり、屋内テニスに興じる姿などが盛り込まれ、貴族庶民双方の生活感、価値観を巧みに織りこんで時代の空気を濃密に封じ込めている。ローランド・エメリッヒ監督がこれまでの作品群で培ったVFXの活用法をうまく採り入れ、歴史ドラマの再現に用いているようだ。

 作中、賞賛されるシェイクスピアの作品群の輝かんばかりのフレーズと比べるのはさすがに酷だが、会話やエピソードの構成にも工夫が見られる。たとえば、終盤で明かされる事実を踏まえて、幾つかの会話を振り返ってみると、その大胆さに唸らされるし、一連の出来事を経たあと、最後にエドワードとベンが交わす言葉は、少々剥き出しに過ぎるが、それ故に沁みてくる。

 繰り返すが、もしこれまで彼が撮ったディザスター・ムービーのイメージで本篇を避けてしまったのだとしたら、それはきっと損をしている。評価するか否かは観客それぞれの基準に委ねるが、重量感のある優秀な歴史ミステリーに仕上がっている、その点を否定することは恐らく出来まい。



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