『日本橋』

日本橋三井ホール、ロビーから日本橋方面を望む。

原作:泉鏡花 / 監督:市川崑 / 脚本:和田夏十 / 製作:永田雅一 / 企画:土井逸雄 / 撮影:渡辺公夫 / 美術:柴田篤二 / 編集:中静達治 / 衣装:上田茂太郎、原定一 / 特殊撮影:的場徹 / 助監督:増村保造 / 音楽:宅孝二 / 出演:淡島千景山本富士子若尾文子、品川隆二、柳永二郎船越英二、杉寛、岸輝子浦辺粂子沢村貞子平井岐代子、潮万太郎、伊東光一、高村栄一、伊達正、小原利之、川口浩、杉田康、早川雄二、中田勉、岸秀夫、青山敬二 / 配給:大映 / 映像ソフト発売元:角川映画

1956年日本作品 / 上映時間:1時間51分

1956年10月1日日本公開

2007年9月28日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

第25回東京国際映画祭日本橋で日本映画を観よう”にて上映

COREDO室町 日本橋三井ホールにて初見(2012/10/23)



[粗筋]

 日本橋の芸者小屋・稲葉家は細い路地の奥にある屋敷に移転した。そこは幽霊が出るともっぱらの噂だったが、稲葉家の女将・お孝(淡島千景)は拘泥しない。それよりは、かつて彼女が深い仲になった五十嵐伝吉(柳永二郎)が未だにお孝に執着し、しばしば顔を現すことの方が悩みだった。

 お孝にはひとり、強い商売敵がいる。日本橋界隈でもその美貌が知られた滝の家の清葉(山本富士子)である――対抗心が強いあまりか、お孝は清葉が袖にした男をやがて自分の客にしてしまう傾向があった。伝吉もそんなひとりであったのだ。

 その頃清葉には、極めて親密な客があった。医学生であるその男、葛木晋三(品川隆二)は自分たちの生活のために行方をくらましてしまった姉を捜し歩いており、清葉の風貌が姉と瓜二つであったために、彼女に近づいたのだ。いつしか姉代わりではなく、女性としての清葉に想いを寄せるようになった葛木は、待合の一室で彼女に心情を告白する。しかし清葉には、恩義のある旦那があった。仮に他の男に想いを抱いたとしても、それを隠して生きるのが、芸者としての定めだという。

 別れの杯を交わしたあと、葛木は未練を断ち切るため、姉を捜すための頼りとして携えていた雛人形を川に投げ捨てた。だが、それを巡回中の笠原巡査(船越英二)に見咎められる。詳しい事情を話すことが億劫で適当な理由を並べた葛木は却って笠原巡査の不審を招き、危うく捕縛されそうになったところへ、たまたま居合わせたお孝が機転を利かせ、事無きを得る。

 お孝への恩義と、折しも恋に破れた直後であったことから、葛木はほだされるようにお孝と一夜を共にした。ふたたびお孝は、清葉に捨てられた客と親密になったのである……



[感想]

 日本橋で日本映画を観る、しかもまさに『日本橋』というタイトルの作品を、という企画自体に惹かれ、しかも個人的に出来る限り観ておきたいと考えている市川崑監督作品であったから鑑賞を決めた、という経緯だったため、実は全くと言っていいほど知識のない状態だった。日本橋の置き屋が舞台、ということぐらいは知っていたが、本当にその程度のもので、ある意味ドキドキしながらの鑑賞だった。

 本質的には、まさに終始“芸者”の話である。自ら置き屋を構え、一家の主となった芸者に、彼女と因縁のある男女を絡め、芸事に生きる女たちの悲哀を描いている。しかも本篇の中で描かれる人間関係の縺れは、まさに芸者たちならでは、と言っていい。旦那――いわゆるパトロンがいる、という立場だが、仕事として恋愛を匂わせるような関係を築く芸者は、しばしば過剰な執着を受けることがある一方で、自身も深みに嵌まってしまうことがある。芸者としての誇りで毅然と一線を引こうとしても、それで収まらないのが人間の業というものだ。そうして紡がれた複雑な関係性がもたらす愛憎が、本篇の面白さである。

 しかし、同時に本篇を特徴的なものにしているのは、そこに極めて洗練された“怪談”のエッセンスを加えていることだ。

 怪談というものを、ただただおどろおどろしいものと捉えていると、本篇にはそうした印象を抱かないだろう。冒頭にいきなり、お孝が店を構えた路地裏の家が“幽霊屋敷”である、ということに曰くありげに言及するが、以後、その点を掘り下げたような描写はほとんど見受けられない。ただ終始、一連の出来事の背景に、怪異の影がほのかに揺曳し、因縁のようなものを感じさせる。

 本篇の登場人物に、いわゆる悪人はいない。ひたすらにひたむきな清葉はもとより、見方によっては“悪女”のようにも取れるお孝も、彼女自身の目線に近い本篇の描き方からは、その情の深さが沁みるように伝わってくる。いささか頭の固い葛木も、だがその生真面目さは言動に如実だし、このくらいの時代を舞台にした映画ではしばしば傲岸な言動ゆえに憎まれ役になりがちな警官も、本篇の終盤においては実に繊細な気遣いを見せる。いちばんの憎まれ役である伝吉にしても、その背景には同情を禁じ得ない。それでも、縺れあった人間関係故に生まれる悲劇と、最後に示す人々の情が、苦くも暖かな余韻を残す。

 そして、その嫋々たる余韻を、決して直接的には描かれない“怪異”のエッセンスが味わいを添えている。作中、稲葉家の入る以前の家でどんな事件があったのかは解らないが、その際の悲劇を匂わせる些細な台詞や、静かに不穏さを漂わせる構図や芝居の沈黙、そうしたものが漂わせる気配が、お孝たちを巻き込む事態が宿命的――さながら因果であったかのように感じさせる。だから、これは往年の日本橋を舞台にした人情噺であるのと同時に、やはり非常に洗練された“怪談”である、と思うのだ。



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