『ダークナイト ライジング』

六本木ヒルズに面したメトロハット外壁のディスプレイ。

原題:“The Dark Knight Rises” / 監督:クリストファー・ノーラン / 原案:クリストファー・ノーランデヴィッド・S・ゴイヤー / 脚本:クリストファー・ノーランジョナサン・ノーラン / キャラクター創造:ボブ・ケイン / 製作:エマ・トーマスクリストファー・ノーラン、チャールズ・ローヴェン / 製作総指揮:ベンジャミン・メルニカー、マイケル・E・ウスラン、ケヴィン・デ・ラ・ノイ、トーマス・タル / 撮影監督:ウォーリー・フィスター / プロダクション・デザイナー:ネイサン・クロウリー / 視覚効果監修:ポール・J・フランクリン / 特殊効果監修:クリス・コーボールド / 編集:リー・スミス / 衣装:リンディ・ヘミング / 音楽:ハンス・ジマー / 出演:クリスチャン・ベールマイケル・ケインゲイリー・オールドマンモーガン・フリーマンアン・ハサウェイトム・ハーディマリオン・コティヤールジョセフ・ゴードン=レヴィットキリアン・マーフィ / シンコピー製作 / 配給:Warner Bros.

2012年アメリカ作品 / 上映時間:2時間44分 / 日本語字幕:アンゼたかし / PG12

2012年7月28日日本公開

公式サイト : http://www.darkknightrising.jp/

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2012/07/28) ※公開記念ダークナイト・トリロジー一挙上映イベント



[粗筋]

 ジョーカーとの戦いから8年。ゴッサムではハーヴィ・デントの功績が称えられている。彼の名を刻んだ法が犯罪抑止のために大きな効果を上げ、いまや平和な街となっていた。かつては多くの犯罪組織と戦ってきたゴードン市警本部長(ゲイリー・オールドマン)もいまでは過去の記録を整理するしか仕事がなく、周囲からは引退の声が囁かれるようになっていた。

 かつてバットマンとして、ゴッサムに蔓延る悪党たちに恐怖を植え付け、市民の平和を守ろうとしていたブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)は、バットマンの存在もろとも、その姿をくらましていた。罪を着て追われる立場となっていることに加え、長年に亘るバットマンとしての活動は彼の身体をボロボロにし、杖に頼らねば歩けない状態になっていたのだ。

 再建したウェイン邸で隠遁生活を送る彼のもとに、ひとりの女が現れる。メイドとしてウェイン邸でのパーティに潜入し、母の形見であるネックレスをしまった金庫を荒らして去っていったのだ。ブルースは彼女が去ったあと、何故か金庫に指紋を採取したらしきあとが残っているのを発見する。

 同じ頃、ゴードンは災厄に見舞われていた。彼は川で発見された孤児の遺体について調べていて、近ごろ孤児たちが大勢、仕事があるから、と言って地下水道の奥へと潜りこんでいる事実を知ると、部下とともに潜入を試みた。だが、何者かに捕らえられた挙句、奥へ連れこまれてしまう。首魁らしき奇妙なマスクを着けた男はしかし、ゴードンを捕らえた部下を逆になじり、ゴードンはその隙に水流へ身を投じて難を逃れる。機転の利く新米警官ジョン・ブレイク(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)によって間もなく発見されるが、瀕死の重傷を負ったゴードンはしばし現場を退くことを余儀なくされた。

 ブレイクはその悲劇を、ブルースのもとに伝えに現れた。ブレイクは、ブルースこそがかつて、ゴードンと協力して悪と戦い続けたバットマンであると見抜いていた。ブルースはにわか作りのマスクを被り、かつての戦友を密かに見舞う。ゴードンは“バットマン”に、いまこそ彼の力が必要であることを訴えた。

 ウェイン邸に窃盗に潜りこんだ女、カリーナ・セイル(アン・ハサウェイ)はブルースにこう告げた――“嵐が来る”と。その嵐は、バットマン=ブルースを壮絶に翻弄することとなる……



[感想]

ダークナイト』は間違いなく、映画史にその名を刻む逸品である。既存のキャラクターを圧倒的な悪のアイコンとして君臨させ、駆け引きの中で、従来のヒーロー映画では踏み込むことの出来なかった領域に物語を到達させた。物語の重みは胃に堪えるほどだが、いちど魅せられたら生涯忘れられないほどのインパクトをもたらす。

 だが、それ故に、この作品の続篇を撮る、となったとき、不安を覚える観客は少なくなかっただろうし、スタッフのプレッシャーは並大抵ではなかっただろう。しかも、『ダークナイト』を支えたアイコン、ジョーカーを演じたヒース・レジャーは既にこの世にないのだ。そうして約4年を経て公開された本篇は――判断は人それぞれだが、私はこれ以上ないほど完璧な決着だ、と捉えた。

 単品で鑑賞したとしても、恐らくインパクトは充分すぎるほどにある。隠遁状態のヒーローが状況に促され復活したあとに待ち受ける無惨な事態、その中から本当の意味で“這い上がる”さまの重み、力強さは半端ではない。

 しかし本篇は、やはり『バットマン・ビギンズ』に始まる“ダークナイト・トリロジー”の完結篇として、シリーズ全体を通して鑑賞すると、よりその奥行きと重量が実感出来る。私は本公開前夜から当日早朝にかけて行われたシリーズ全作一挙上映企画にて、『〜ビギンズ』からぶっ通しで鑑賞したのだが、この状態で触れる本篇のカタルシスはただ事ではない。

 冒頭のシークエンスは『ダークナイト』を踏襲するかのような、悪役の奇想天外だが壮絶な犯行の様子を描き出す。続いて描かれるのは、第1作にて焼亡したはずのウェイン邸でのパーティの様子だ。1作目ラストで誓った通り、ほぼ旧来通りと言える豪壮さが蘇る一方で、最初はそこから飛びだしていたはずのブルースが、杖をついた状態で引き籠もっている。そして、前作で背負った“嘘”の重さと、自らが世間から求められていない状況に悶々としているゴードン市警本部長の姿。前2作の描写を踏まえ、或いは対比させたモチーフが後から後から繰り出され、いちいち唸らされずにいられない。製作の成り行きを思えば、そんなはずはないのだが、はじめからこの“クライマックス”を想定して構築していったかのような描写に、序盤から圧倒される。

 それでも、最初の1時間で既に緊張感が頂点に達し、以降まったく落ちることがなかった『ダークナイト』と比較すると、どうしても序盤は穏やかすぎるように思えるが、しかしクライマックスに向けて着実に布石を置いていく過程がもたらす緊張感、随所で閃く過去の記憶が呼び起こす“熱さ”は秀逸だ。

 そして、それらの布石が中盤以降、畳みかけるように結実していく。ルール無視、不条理そのものであったジョーカーと比較すると、ベインは明白すぎる目的意識がどうしても衰えたように感じられるが、しかしその反面、ベインという男の強靱な意志は、そのままブルース・ウェインに改めて“覚悟”を問いかけることとなる。中盤の衝撃的な出来事、ベインの意図が明らかになってから描かれる出来事のいちいちが、『バットマン・ビギンズ』から描かれてきたブルースの過去、それぞれの事件と共鳴しあい、経験した出来事、乗り越えたはずの壁をふたたび巨大なものとして彼の前に立ちはだからせる。

 本篇を観ると、実のところこの“ダークナイト・トリロジー”は、バットマンが真のヒーローとなるまでの過程を追った作品のように思える。その使命感故に、『ダークナイト』では嘘を背負い、汚名を被せられる格好となったブルース・ウェインは、長年に亘るバットマンとしての活動によって疲弊した自らの心身を鍛え直すのと同時に、そうした欺瞞と対峙することとなる。そのために必要な通過儀礼が、終盤で見事なまでに構築されている。あの無数の関門を乗り越えたあとだから、ふたたび立ち上がったブルース・ウェインバットマンの姿は雄々しく、そして清々しい。

 ベインが用意した慄然たる計画や、ベインの意図とバットマンの存在とのあいだで揺れるカリーナ・セイル=キャットウーマンの立ち位置、一連の描写のなかに隠した“秘密”のもたらす効果も素晴らしいが、本篇を『バットマンが真にヒーローとして覚醒する物語』として捉えたときのカタルシスは、まさに“壮絶”だ。

 確かに、伝説はここで終結した。しかしそれは、すべての物語の終わりを意味するものではない。本篇は、というより本篇に至る3作は、クリストファー・ノーラン監督とクリスチャン・ベールのコラボレーションによる“バットマン”が真にヒーローとして完成されるまでの過程を、圧倒的な筆致で描きだした作品群なのだ。

 恐らく今後も、シリーズ最高傑作の称号は前作『ダークナイト』に捧げられるだろう。だが、あの作品を踏まえた上で、シリーズを見事なまでに総括した本篇も、間違いなく歴史的傑作である。



関連作品:

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