『ダーク・シャドウ(字幕)』

TOHOシネマズ渋谷、エレベーター前の案内板。

原題:“Dark Shadows” / オリジナル脚本:ダン・カーティス / 監督:ティム・バートン / 原案:ジョン・オーガスト、セス・グラハム=スミス / 脚本:セス・グラハム=スミス / 製作:リチャード・D・ザナック、グレアム・キング、ジョニー・デップ、クリスティ・デンブロウスキー、デヴィッド・ケネディ / 製作総指揮:クリス・レベンソン、ナイジェル・ゴストゥロウ、ティム・ヘディントン、ブルース・バーマン / 撮影監督:ブリュノ・デルボネル,A.F.C.,A.S.C. / プロダクション・デザイナー:リック・ハインリクス / 編集:クリス・レベンソン,A.C.E. / 衣装:コリーン・アトウッド / 音楽:ダニー・エルフマン / 出演:ジョニー・デップミシェル・ファイファー、ヘレナ・ボナム=カーター、エヴァ・グリーンジャッキー・アール・ヘイリージョニー・リー・ミラークロエ・グレース・モレッツベラ・ヒースコートガリー・マクグラス、イヴァン・ケイ、スザンナ・カッペラーロ、クリストファー・リーアリス・クーパー / 配給:Warner Bros.

2012年アメリカ作品 / 上映時間:1時間53分 / 日本語字幕:石田泰子 / PG-12

2012年5月19日日本公開

公式サイト : http://www.darkshadow.jp/

TOHOシネマズ渋谷にて初見(2012/05/19)



[粗筋]

 18世紀、英国・リヴァプールからアメリカのメイン州に渡り、水産業で街を隆盛に導いたコリンズ一家。だが、ともにアメリカに渡り、幼いころから仕えてきたアンジェリーク・ブシャール(エヴァ・グリーン)が魔女であったことが、一家の運命を悲劇に導いた。コリンズ家の跡継であるバーナバス(ジョニー・デップ)は一時期アンジェリークと交際していたが、やがてジョゼット(ベラ・ヒースコート)と恋に落ち、婚約する。しかしバーナバスに執着したアンジェリークは、まずバーナバスの両親を呪殺すると、ジョゼットを自殺へと導く。バーナバスはジョゼットを救うため、ともに崖から投身したが、岩場に叩きつけられても彼は死ななかった――呪いにより彼は、不死身のヴァンパイアへと変貌していたのである。

 やがてアンジェリークは街の者たちを味方につけ、バーナバスを“怪物”として告発、捕らえられたバーナバスは棺に入れられ、地下に封印される。

 バーナバスの棺がこじ開けられたのは、それから200年以上を経た、1972年のこと。自分を“発掘”した人々を食らって渇を癒し、バーナバスは懐かしい屋敷を訪れた。

 コリンズ家の一族は、辛うじて命脈を保っていたが、すっかり凋落しきっていた。現在、一家の当主であるエリザベス(ミシェル・ファイファー)が、ヴァンパイアとして蘇ってきた先祖に驚きながらも話すところによると、コリンズ家は未だ事業は行っているがもはや衰退しきっており、街は遥か以前からエンジェル・ベイという会社が牛耳っている。やがてその会社を代々経営している、という女社長と対面したバーナバスも驚愕することとなった――エンジェル・ベイの経営者は、あのアンジェリークその人だったのだ。

 エリザベスの協力のもと、バーナバスは親族のふりをして屋敷に居座ると、隠し扉の奥に仕舞いこんであった財宝を売却、それを元手にコリンズ家の事業再興を試みた。だが、未だにバーナバスに対する強い感情を滾らせたアンジェリークが、黙ってそれを見過ごすはずもなく……



[感想]

 もともとはアメリカのソープ・オペラ――日本で言う“昼ドラ”に類する人気番組がもとになっているという。本篇の監督ティム・バートンや主演のジョニー・デップも含む熱狂的なファンが一部にいたそうだが、日本では放送されておらず、手軽に観る方法もなさそうなので、どの程度忠実なのか判断はしづらい。だから、私に限らず、ほとんどの日本人は先入観や予備知識なしに本篇に触れることになるはずだ。

 だが、そういう比較的まっさらに近い視点で観ると、ちょっと首を傾げる部分が多いように思う。やたら個性的な登場人物や、様々な秘密が隠されているわりには、あまり役だっていないのである。恐らくこれらは原作の設定や要素を引き継いでいるもので、オリジナルの視聴者や、好きで作っているスタッフにとっては愉しいのだろうが、何も知らないと唐突であったり、扱いが勿体なく映る。特に、家庭教師がわりに雇われているジュリア・ホフマン博士(ヘレナ・ボナム=カーター)や、殻に閉じこもり気味の現代っ子であるキャロリン(クロエ・グレース・モレッツ)の人物像や設定は、無駄遣い感が著しい。

 肝心のバーナバスを巡るストーリーにしても、必然性や理路整然とした流れがないことが気にかかる。過去から復活、現代に関わる経緯などは自然だが、コリンズ家再興に臨んだあたりから、ユーモアを優先しすぎていささか恣意的な展開が多いのだ。途中で描かれるヒッピーたちとの“交流”もそうだが、アンジェリークとの関係性の紆余曲折も、衝動に委ねすぎていて、観ていて呆気にとられることが多い。

 ただ、そうして“刹那的”とも言える狂躁に身を委ねているから、なまじ緻密なプロットを組んだ映画、物語では味わえないドライヴ感を備えていることも事実だ。序盤のゴシック・ロマンス的な語り口が、復活を境に一転、奇妙なユーモアの蓄積される物語へと転じる。バーナバスの、融通が効かないのか柔軟なのかよく解らない、そして善良なのか凶暴なのか判然としない振るまいと、そんな彼に振り回され、或いは順応してしまう周囲の表情が、接していて愉しくなってくる。無軌道に近いので、相性が悪い、どうしても評価を割り引いてしまう人――正直に言えば、私もそうだ――もいるだろうが、妙に惹きつけられる世界観を作りだしている。

 とりわけ、一連の物語の中心にいるバーナバス・コリンズという、定石通りのようでいて妙にズレた吸血鬼の“人物像”が魅力的だ。吸血鬼なので血は吸うが、望んでなったわけでもなく、また本質的には善良なので、相手を殺めるときに詫び、そこはかとなく罪悪感を匂わせる。それでも血を吸うのは、彼のなかで明確な優先順位が存在していることも窺わせ、昔の人間だからこその非情さを感じさせるのも面白い。

 そんな彼が接する“現代”を、2010年代ではなく、1970年代に設定したのがまた巧い。これ自体は着想ではなく、原作であるドラマ版が1970年代に製作・放送されていたから、オリジナルのバーナバスが体験する“異世界”に合わせた、というに過ぎないと言える。しかし、開拓時代にアメリカに渡ったイギリス貴族と、文化が爛熟を迎えた1970年代、という取り合わせが、絶妙にユニークな味わいを醸しだしている。バーナバスが現代のパソコンや携帯電話に接したときの反応、というのにもちょっと興味は湧くが、昔ながらのアンテナで受信するテレビの背後に回って、箱の中の小さな女に命令しようとしたり、ヒッピーたちと焚き火を囲んで語り合うくだりなど、当時の匂いを描き出すと共に人物像や独特なユーモアを引き出すための素材としても活かしている手管は巧みだ。

 もしかしたら、ドラマ同様に続篇が作れることを想定しているのか、締め括りに妙な含みを持たせてしまったことで、いちおうエピソードとして決着しているのに、消化不良な余韻を残してしまったのが引っかかる。前述したような、魅力的な設定の無駄遣いともあいまって、カタルシスが乏しいのだ。

 しかし、同じバートン&デップの組み合わせによる先行作『アリス・イン・ワンダーランド』が、このコンビのファンからすると物足りない仕上がりだったことに比べると、風変わりでグロテスクな味わいを取り戻した本篇の映像、モチーフの扱いやユーモアの雰囲気は、遥かに本来の魅力を湛えている。ストーリーに突っ込むと少々惜しまれる内容だが、決してファンを裏切る作品ではない。



関連作品:

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