『ヤング≒アダルト』

『ヤング≒アダルト』

原題:“Young Adult” / 監督:ジェイソン・ライトマン / 脚本:ディアブロ・コディ / 製作:リアンヌ・ハルフォン、ラッセル・スミス、ディアブロ・コディ、メイソン・ノヴィック、ジェイソン・ライトマン / 製作総指揮:ネイサン・カヘイン、ジョン・マルコヴィッチ、ステーヴン・レイルズ、ヘレン・エスタブルック / 撮影監督:エリック・スティールバーグ / プロダクション・デザイナー:ケヴィン・トンプソン / 編集:デイナ・E・グローバーマン,A.C.E. / 衣装:デヴィッド・C・ロビンソン / 音楽:ロルフ・ケント / 音楽監修:リンダ・コーエン / 出演:シャーリズ・セロンパットン・オズワルトパトリック・ウィルソン、エリザベス・リーサー、コレット・ウォルフ、ジル・アイケンベリー、リチャード・ベキンス、メアリー・ベス・ハート、ルイーザ・クラウス / 声の出演:J・K・シモンズ / ミスター・ムード製作 / 配給:Paramount Japan

2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間34分 / 日本語字幕:戸田奈津子

2012年2月25日日本公開

公式サイト : http://www.young-adult.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2012/04/09)



[粗筋]

 ミネアポリスの高層マンションで暮らしているメイビス・ゲイリー(シャーリズ・セロン)は37歳にして人生の岐路に立たされていた。表立って名前は出ていないが、人気ヤングアダルト小説『花のハイスクール』の実質的な執筆者として成功していた――かに見えたものの、ドラマ化までされた小説の人気は落ちこみ、次巻で終了が決定している。親しい友人も少なく、酒に溺れては行きずりの関係を結んで自己嫌悪に陥るような日々に、そろそろ辟易しつつあった。

 そんな彼女のもとに、郷里のミネソタ州マーキュリーにいた頃に付き合っていたバディ・スレイド(パトリック・ウィルソン)から、子供の誕生を告げるメールが届いた。当初は、別れた相手に自分の幸せを知らせる感覚が理解出来ずに困惑するメイビスだったが、やがて不意に天啓を受け、いきなり旅支度をして郷里へと愛車を走らせる。

 マーキュリーは、ミネアポリスの暮らしに慣れたメイビスの目には相も変わらぬ田舎町のままだった。健在である両親の元に顔を出すことなく、ホテルに身を寄せたメイビスは、さっそくバディのもとへ電話をかける。留守電のメッセージを受けてかけ直してきたバディは、素直にメイビスからの連絡を喜び、翌日逢う約束をした。

 その晩、バーに出向いたメイビスは、思わぬ人物と再会する。高校時代、隣のロッカーを使っていたというマット・フリーハウフ(パットン・オズワルト)である――在学中にゲイと疑われ、同級生からリンチに遭って下半身に障害を持った彼は、過去も現在もメイビスの関心の対象ではないが、その気安さゆえに酒を酌み交わしたメイビスは、突然帰郷した真の目的を彼に打ち明けた。

 メイビスは、田舎町で旧態依然の暮らしを続けるバディが不幸だ、と思っていた。その彼から届いたメールこそ、いわばシグナルと解釈したのである。メイビスはバディを、妻や子供から掠奪し、マーキュリーという街から解放するつもりでいたのだ……



[感想]

 鑑賞して、まず驚いたのは、ジェイソン・ライトマン監督にしては外連味に乏しい、という点である。

 監督は、好事家から高い評価を受けた長篇第1作『サンキュー・スモーキング』から既にテロップを用いた遊びを仕掛け、続く『JUNO/ジュノ』『マイレージ、マイライフ』でも凝ったオープニングと巧みな音楽の扱いで鮮烈な感性を観客に印象づけてきた。

 それらに比べると、本篇はいちおうVFXこそ用いているが歴然と解るような使い方はしていないし、音楽も全体に抑え加減だ。意識して、落ち着いた演出、表現を心懸けているように感じられる。

 恐らくそれは、“大人になれない”というアイデンティティを持つ主人公メイビスを客観的に描くための趣向である、と思われる。現に本篇においては、先行する作品群ではダイレクトに組み込まれることのあった視点人物によるモノローグがない――代わりに用いられるのは、作中でメイビスが執筆している小説を読み上げたものであり、場面ごとのシチュエーションに合わせ、メイビスの思考や価値観を窺わせるものではあるが、彼女そのものではない。メイビスの感覚に寄り添い、それをそのまま映像や音楽に採り入れていったら、恐らく本篇はもっとスラップスティックに、コミカルになっていただろう。

 だが、そういう手法を避けたことが正しかったのかどうかは、ちょっと私には判断しづらい――というより、結果的に微妙な違和感を残してしまったように思えてならない。確かに客観的になり、ヒロインの人物像が持つ“痛々しさ”を鮮やかに表現しているのだが、そのぶん、脚本が当初備えていた“笑い”の要素を犠牲にしてしまったことが窺えるからだ。

 要素を研ぎ澄まし、描くものを綺麗に絞った本篇は、かなり早い段階から表現の意図が明白なので、メイビスの滑稽さを理解するのはたやすい。ただ、無様さがあまりに実感的すぎて、どうにも笑えない。こちらも観ながら口許は緩むのだが、それは苦笑に近いものだ。随所で除くズレた認識、自己中心的な思考の可笑しさも、なまじ彼女の視点を軸に据えたまま、冷静に描かれているせいで、痛々しさばかりが際立つ。

 ただ、間違っていけないのは、本篇はそういう部分を、決して爆笑を取るために描こうとははなから考えていない、という点だ。むしろ、敢えて“笑えない”出来事として扱うことで、メイビスが感じる生々しい“痛さ”を鮮明にしている。しかし、観客にはそのユーモア自体は感じ取れるだけに、人によっては、最初から最後まで滑っている、と判断する可能性はある。この点を、意図的な演出と解釈するか否かで、だいぶ評価は分かれてしまうし、私自身は意図的だと判断したうえで、そこで評価が大きく二分されてしまうような描き方を選択してしまったのは必ずしも得策とは言い難い、という印象を受けたのだ。

 その部分を除けば、これまで理知的で厚みのある作品を発表してきたジェイソン・ライトマン監督らしく、実に細部まで神経の行き渡った秀作であると思う。メイビスの“標的”となるバディのほかに、容姿も暮らしぶりも正反対だがアイデンティティがメイビスと共通するマットという人物を配置した絶妙さや、場面ごとにガラッと変わる衣装に籠められた意味、愛犬や愛車といった象徴の扱いには唸らされる。結果的に、一種モラトリアムからの卒業を描いた作品、という解釈も出来る一方で、「人間無理に変わる必要はないのだ」という開き直りを描いた作品とも取れる、という二律背反を共存させてしまった、実に風変わりなドラマになっている。

 前述したような理由から、個人的にはライトマン監督の先行作よりも落ちる、と捉えてはいるものの、その曲者っぷりは健在で頼もしいばかりだ。3年振りの映画出演となったシャーリズ・セロンの、『モンスター』とは異なる汚れ役と同時に華麗すぎる七変化まで堪能出来る、という意味でも、見応えは充分すぎるほどに備えている。



関連作品:

サンキュー・スモーキング

JUNO/ジュノ

マイレージ、マイライフ

ジェニファーズ・ボディ

モンスター

あの日、欲望の大地で

インシディアス

卒業

トワイライト〜初恋〜