『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』

『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』

原題:“The Iron Lady” / 監督:フィリダ・ロイド / 脚本:アビ・モーガン / 製作:ダミアン・ジョーンズ / 製作総指揮:フランソワ・イヴェルネル、キャメロン・マクラッケン、テッサ・ロス、アダム・クーリック / 撮影監督:エリオット・デイヴィス / プロダクション・デザイナー:サイモン・エリオット / 編集:ジャスティン・ライト / 衣装:コンソラータ・ボイル / 特殊メイク:マーク・クーリエ、J・ロイ・ヘランド / 音楽:トーマス・ニューマン / 出演:メリル・ストリープジム・ブロードベントオリヴィア・コールマン、ロジャー・アラム、スーザン・ブラウン、ニック・ダニング、ニコラス・ファレル、イアン・グレン、リチャード・E・グラント、アンソニー・ヘッド、ハリー・ロイド、アレクサンドラ・ローチ、マイケル・マロニー、ピップ・トレンス、ジュリアン・ワダム、アンガス・ライト / DJフィルムズ製作 / 配給:GAGA

2011年イギリス作品 / 上映時間:1時間45分 / 日本語字幕:戸田奈津子

第84回アカデミー賞主演女優賞・メイクアップ部門受賞作品

2012年3月16日日本公開

公式サイト : http://ironlady.gaga.ne.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2012/03/21)



[粗筋]

 イギリス初の女性首相にして、11年半という長い在任期間に様々な政策を実現、“鉄の女”と呼ばれたマーガレット・サッチャー(メリル・ストリープ)は、だが政界を退いたあと、認知症に苦しめられていた。ときおり意識は明瞭になるが、既に他界した夫デニス(ジム・ブロードベント)の幻覚にしばしば翻弄される。長いこと夫の遺品を整理することを拒絶していた彼女は、ようやくクローゼットに手をつけながら、自らの来歴を思い起こしていた。

 食料品店を営む家の娘だったマーガレット・ロバーツ(アレキサンドラ・ローチ)は、保守党に所属してグランサムの市議会議員から市長にまで登りつめた父アルフレッド・ロバーツ(イアン・グレン)の影響で政治の道を志した。庶民にとって極めて狭き門だったオックスフォード大学に合格、卒業したのちに地元から下院に立候補するも落選するが、間もなく夫となったデニス・サッチャー(ハリー・ロイド)の支えもあって、2度目の選挙で無事に当選、本格的に政治の道に進んでいく。

 圧倒的な男社会である政治の世界で、しかしマーガレットは毅然と振る舞い、じわじわと頭角を顕していった。教育相として閣僚に加わったのち、“保守党を変えたい”という一心で、マーガレットは党首選に立候補することを決意する。彼女を理解していたとはいえ、あまりに家庭を顧みない邁進ぶりに、デニスや娘のキャロル(オリヴィア・コールマン)の不興を買いながらも、マーガレットの決意は揺るがなかった。

 はじめはそもそも当選することなどマーガレット自身信じていなかった。だが、サポートを担当した人々の指導で、ルックスを変え、以前から批判されていた金切り声を威厳のある喋り方へと変えたことで、マーガレットの支持層は拡大、見事に党首に選出される。そして1979年、彼女は遂に首相へと登りつめた……



[感想]

 メリル・ストリープがすべてを支配した作品である。と同時に、彼女の存在感にいささか振り回されすぎた作品、と感じる。

 原題は“The Iron Lady”、邦題には更に大々的に『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』と銘打っているぐらいで、稀代の政治家であったサッチャーに関する映画であるのは間違いない。だが、率直に言って、サッチャーを語る映画としては、焦点がぶれすぎているのだ。

 本篇は引退後、認知症を煩い、ときおり意識が明瞭になることはありながらも、既に亡くなった夫デニスの幻影に悩まされ、しばしば国の元首であったころの自分に戻ってしまう彼女の回想、という体裁で綴られる。その考え方自体は決して悪くないが、しかし序盤で幻覚と対話したり、そんな自分に苦しんだり、というサッチャーの姿を丁寧に描いたことで、まるでその懊悩が主題のように映ってしまう。

 この序盤での迷走が、中盤以降、政治の世界での様子を描く部分とバランスが取れず、サッチャーのどういう部分を、リアルに描きたいのか、フィクション的に膨らませて描きたかったのか、明瞭にならないまま終わる結果を招いている。序盤で尺を取り過ぎたために、たとえばサッチャーが具体的にどのような政治的難局に遭遇し、如何に解決してきたのか、どんな批判を浴びたのか、という部分はフォークランド紛争や晩年の税制についての議論、といったごく僅かな面に集約されすぎて食い足りないし、家族との関係性に至っては更に断片的で、ドラマとしての奥行きを生み出すところに至っていない。

 そもそも、認知症を患って以降のサッチャーがどのようなものを目撃し、どんな感情を抱いていたのか、という部分はフィクションと思われるが、ここをいたずらに膨らませて描いてしまったのが本篇のいちばんの問題点ではなかろうか。この部分に尺を割き、かつ夫デニスとの葛藤があったような描き方をしているのだから、のちの政治にまつわる場面でも、夫がどのように支えたのか、或いはサッチャーがどのように家族を捉え、政治家としての自分と、妻として、母としての自分と折り合いをつけていたのか、という面を掘り下げていくべきだったのではないか。

 つまるところ本篇は、サッチャーという人物をどう扱うべきか、最後まで態度が不明瞭なままで終わってしまっている。多面的に描くにはバランスが悪く、特定の側面を充分に掘り下げているわけでもない。どういう角度から探っても、充分な満足を得られる仕上がりではないのだ。

 穿った見方をすると、こういう形になってしまった原因は、メリル・ストリープの演技が圧倒的すぎたことにある、と考えられる。本篇における彼女は、若い頃のマーガレットを除き、議員となったあとから政界引退後の年老いて幻覚に惑わされるようになった時期まで、大半を演じているが、その表情、立ち居振る舞いの完成度はあまりに素晴らしい。

 政治家になった当初、理路整然としながらも甲高い声ゆえに揶揄されていたサッチャーは、党首選に打って出るにあたり、発声や喋り方を変えるのだが、メリル・ストリープはこの違いを完璧に演じきっている。それまでの、あくまで主婦という立ち位置で政治家になっていた、という趣のあった女性が、宰相に相応しい貫禄を身につけるさまを短時間で表現してしまっていることに、ひたすら圧倒される。

 そして後年、年老いた姿で、現実と妄想の狭間を彷徨う演技も出色だ。夫が既に亡くなっている、という事実を認識しながらも幻覚に翻弄されているかと思えば、当たり前のように受け入れている瞬間がある。時として過去に踏み込み、当時の激情を再現する姿も、そして最後に描かれる“別れ”のシーンも、物語のなかでの構成はあまりうまくいっていないにも拘わらず説得力を備えているのは、すべてメリル・ストリープの名演があってこそなのだ。

 極端な解釈をすると、メリル・ストリープの多彩で重厚な表現力を存分に織りこむことを大前提にして構成してしまったがために、サッチャー首相の伝記、或いはその内面を掘り下げるドラマとしては破綻した結果に終わってしまった、とも捉えられる。恐らく、そこをきっちり割り切って、焦点を絞って編集する、纏めなおす、というところまで踏み込んでいれば、結果は違ったはずだ。

 まとまりが悪いなりに話運びのテンポはいいし、サッチャーの変化を象徴する要素の統一など、細かな部分では光る趣向もある。全体を通せば、意欲的な内容であるにも拘わらず、トータルでは失敗と言わざるを得ないことが、逆に興味をそそるのも事実だ。ただ、題名や題材から、普通に期待されるものが得られず、そしてそれぞれのテーマも充分に抉ることが出来ていない以上、傑作と呼ぶことは難しいし、安易に人に薦めるのも躊躇われる。良くも悪くも、メリル・ストリープという俳優に振り回された作品、と言わざるを得ない所以である。



関連作品:

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