『ヒューゴの不思議な発明(3D・字幕)』

『ヒューゴの不思議な発明(3D・字幕)』

原題:“Hugo” / 原作:ブライアン・セルズニック / 監督:マーティン・スコセッシ / 脚本:ジョン・ローガン / 製作:ジョニー・デップ、ティム・ヘディングトン、グレアム・キング、マーティン・スコセッシ / 製作総指揮:デヴィッド・クロケットジョージア・カカンデス、エマ・ティリンガー・コスコフ / 撮影監督:ロバート・リチャードソン,ASC / プロダクション・デザイナー:ダンテ・フェレッティ / 編集:テルマ・スクーンメーカー,A.C.E. / 衣装:サンディ・パウエル / メーキャップ:モラグ・ロス / 機械人形制作:ディック・ジョージ / ステレオグラファー:ディミトリ・ポーテリ / キャスティング:エレン・ルイス / 音楽スーパーヴァイザー:ランドール・ポスター / 音楽:ハワード・ショア / 出演:エイサ・バターフィールドクロエ・グレース・モレッツベン・キングスレーサシャ・バロン・コーエンレイ・ウィンストンエミリー・モーティマークリストファー・リー、ヘレン・マックローリーマイケル・スタールバーグフランシス・デ・ラ・トゥーアリチャード・グリフィスジュード・ロウ / GKフィルムズ/インフィニィタム・ニヒル製作 / 配給:Paramount Pictures Japan

2011年アメリカ作品 / 上映時間:2時間6分 / 日本語字幕:桜井裕子

第84回アカデミー賞撮影・美術・音響効果・音響編集・視覚効果部門受賞(作品・監督・脚色・編集・衣裳部門候補)作品

2012年3月1日日本公開

公式サイト : http://www.hugo-movie.jp/

TOHOシネマズ有楽座にて初見(2012/03/01)



[粗筋]

 ヒューゴ・カブレ(エイサ・バターフィールド)はパリ駅の壁のなかで暮らしている。

 ヒューゴの父(ジュード・ロウ)は優れた時計職人だった。手伝っている博物館で、ほとんど放置されていた機械人形を、ヒューゴとともに修理していたが、博物館の火災に巻き込まれて亡くなってしまう。父ひとり子ひとりだったヒューゴを引き取った伯父のクロード(レイ・ウィンストン)はパリ駅の時計を調整する仕事をしており、酒に溺れてろくに働かない伯父に代わって働くようになった。

 公安官の目を盗んで、食事などをくすね、父が遺したノートを頼りに機械人形の修理を続けていたヒューゴだったが、ある日、オモチャの修理をしている店でネズミのオモチャを盗もうとしたところ、店主であるジョルジュ氏(ベン・キングスレー)に見咎められてしまう。ポケットの中身をすべて見せなければ公安官に引き渡す、と言われ、ヒューゴはこれまでにくすねたものに加え、ノートまでジョルジュ氏に渡さざるを得なくなってしまった。

 後日、ノートを燃やした残骸であるという灰を突きつけられたが、ヒューゴはどうしても諦めきれなかった。ジョルジュ氏の名付け子であり、ジョルジュ夫妻に引き取られて育てられている少女イザベル(クロエ・グレース・モレッツ)にも励まされ、ヒューゴがもういちど懇願すると、ジョルジュ氏は店を手伝うように命じる。これまで盗んだ分を働いて返せば、望みを叶えてやる――もしノートが手許に残っていれば、だが。

 一縷の望みを託し、ヒューゴはジョルジュ氏の店に通い詰めた。得意の修理の腕前を活かして、きちんと職人として役割を果たす傍ら、ヒューゴは余った部品を用いて、機械人形の復元に引き続き挑む。

 どうやら機械人形の修復はほとんど終わったが、動かすために必要なハート型の鍵が見つからなかった。だがある日、その鍵は意外なところから発見されることとなる……



[感想]

 マーティン・スコセッシ監督の作品を幾つか観たことのある人なら、粗筋を読んでも驚くだろうし、実際に観れば更に意外の念に囚われるはずだ。およそこれは、スコセッシ監督らしからぬ物語である。

 だが、そう思うのは最初だけで、よくよく考えれば、映画としての表現に真摯であったスコセッシ監督らしさが漲った作品であることに気づくはずだ。それは冒頭のシーンだけ切り取っても明白である。壁のなかで生活するヒューゴ少年が、修理屋の店先にあるネズミのオモチャに気づいて、壁のなかの迷宮を辿って外の世界へと赴くこのシーンを、本篇はワンカットで描いている。恐らくCGの助けを大いに借りていることは間違いないが、ヒューゴという少年が暮らす、現実と非現実との狭間の世界を覗かせるこのひと幕がもたらす昂揚は得がたいものがある。

 この場面に限らず、本篇でスコセッシ監督は、物語空間の距離感、立体感を意識させる演出を随所で試みている節がある。本篇を観ていると、駅構内の構造がいつの間にか把握出来る気がするし、駅からジョルジュ氏の自宅までの位置関係もたやすく飲み込める。天井から吊された大時計から工具を取り落としたときの描写、公安員に見つかりそうになったときの立体的なカメラワークなど、そうした明瞭な駅の構図を活かしたドラマ、アクションを緻密に組み込んであり、まさに「作品世界に入り込む」という感覚が味わえる。恐らく2D形式で鑑賞してもその雰囲気に浸ることは出来るだろうが、この醍醐味を堪能するには3Dで鑑賞するほうがいいだろう。

 しかし、そうした立体表現以上に、そもそも扱っている題材、そのなかで行動する人々の姿に、映画に対する強い想いが溢れている。細かいことは実際に物語のなかで知ったほうが感激が強い、と思うので伏せるが、作中で登場する一部のモチーフは現実に存在しているものであり、それを物語に綺麗に組み込んでいること自体が、敬意の深さを感じさせる。基本的に3Dで見せることを前提にした物語のなかで、本来2Dで描かれたものを、本来の魅力そのままに盛り込んでいる。中盤以降に繰り広げられる映像世界は、まさに映画というものの魔力を体感させるが如きだ。

 本篇に物足りなさを感じるとすれば、従来のスコセッシ作品にあった暴力性が乏しいこと、冒険映画のムードを濃密に醸しだしながらも実際にはさほど大きな動きがない点あたりが挙げられるが、しかしそれは翻って、そうしたショッキングな要素の乏しさ、活劇的な側面の弱さを感じさせないほど巧みに観客を引っ張り、昂揚させる語り口の素晴らしさを証明しているとも言える。

 実際、このドラマティックな舞台設計に対して、実のところ派手な事件というのはほとんど起きていない。にもかかわらず、登場人物たちは確かに迷い、壁にぶつかり、彷徨っていることが解る。だから、そこから一縷の光を掴む終幕がどうしようもなく愛おしく快いのだ。

 ささやかながらひとり一人、それぞれに役割があることを見出すさまは実に美しいが、実のところ本篇で最も巧みに描写されているのは、公安官ではないか、と感じる。駅を徘徊し犯罪に手を染める子供たちを容赦なく捕縛し、身寄りがなければ孤児院に叩きこむ彼は当初、非情な悪役のように捉えられるのだが、しかしいざ観終わって振り返ってみると、そうステレオタイプに描かれていたわけではなく、むしろ極めて繊細に描写されていることに気づくはずだ。そして、考えてみれば彼とて、この物語に不可欠であったことに変わりはない。

 現実はこれほど綺麗に収まるわけではない、と斜に構えるのは簡単だ。だが本篇には、観ているあいだそういう世知辛さを忘れさせ、決して優しすぎず、けれど柔らかな世界へ観客を包みこむ懐の深さがある。陳腐な言い回しだが、まさに“映画の魔力”を宿した作品であり、モチーフへの向き合い方に映画へのひたむきな敬意を感じさせる。スコセッシ監督に馴染んでいる大人のみならず、映画というものをよく知らない子供が観てもきっと、胸の高鳴る想いのする珠玉の名篇である。



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