『サラの鍵』

『サラの鍵』

原題:“Elle S'appelait Sarah” / 原作:タチアナ・ド・ロネ / 監督:ジル・パケ=ブランネール / 脚本:ジル・パケ=ブランネール、セルジュ・ジョンクール / 製作:ステファーヌ・マルシル / 撮影監督:パスカル・リダオ / 美術:フランソワーズ・デュペルテュイ,ADC / 編集:エルヴェ・シュネイ,ACE / 衣装:エリック・ペロン / 音楽:マックス・リヒター / 出演:クリスティン・スコット・トーマスメリュジーヌ・マヤンス、ニエル・アレストリュプ、エイダン・クインフレデリック・ピエロ、ミシェル・デュショーソワ、ドミニク・フロ、ナターシャ・マスケヴィッチ、ジゼル・カサドシュ、ナターシャ・マシュケヴィッチ、アルベン・バジュラクタラジ、サラ・バー、カリーナ・ヒン、ジョージ・バート、シャーロット・ポートレル / 配給:GAGA

2010年フランス作品 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:齋藤敦子

2011年12月17日日本公開

公式サイト : http://sara.gaga.ne.jp/

銀座テアトルシネマにて初見(2011/12/30)



[粗筋]

 2009年、フランス、パリ。

 アメリカ人のジャーナリストであるジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)が新たに取材を始めたのは、つい最近になってシラク大統領が公式にその過ちを認めたことで話題になった、屋内競輪場(ヴェルディヴ)へのユダヤ人隔離事件である。現在は内務省の荘重なビルが佇むその土地は、1942年7月16日、フランス政府によって一斉に検挙されたユダヤ人たちが、トイレさえ閉鎖された不衛生な状態のなか放置された、フランス史の暗部を刻んだ場所でもあった。

 同じ頃、ジュリアはフランス人である夫ベルトラン(フレデリック・ピエロ)が幼少を過ごしていたアパートを、夫の祖母マメ(ジゼル・カサドシュ)から譲られ、近々転居することになっていた。だが、病床にいるマメを訪問したジュリアは、彼女の話に微かな疑問を抱く。マメたちがくだんのアパートに転居したのは1942年8月のことだったというのだ。よりによって、戦争のまっただ中に、何故越してきたのか?

 のちにホロコースト記念館を訪れたジュリアは、館長のパソコンに当時検挙されたユダヤ人に関する情報がすべて記録されている、と聞かされ、夫の実家があるアパートのアドレスを検索してもらう。案の定、あのアパートには、マメたちが転居する直前まで、スタルジンスキというユダヤ人一家が暮らしていた。

 ――時は遡って、1942年7月16日。そこに、サラ・スタルジンスキ(メリュジーヌ・マヤンス)という少女がいた――



[感想]

 一種、謎解きの映画のような語り口を備えた作品である。

 だがしかし、本篇の興味は決して謎解きを描くことにも、意外性を追求することにもない。だから、そうしたカタルシスを期待すると物足りなさを覚える可能性はあるが、恐らく観ているうちにそんな期待は忘れてしまうだろう。

 ユダヤ人迫害、というとドイツでのナチスによる一連の事件を思い出す人がほとんどだと思われるが、本篇で描かれるのは、パリのど真ん中、しかもフランスの警察の手によって行われた民族虐待の様子である。何も知らないままに屋内競輪場に連れて行かれた少女が目撃する一部始終の壮絶さに、まず言葉を失うはずだ。

 だがこの作品は、その歴史的事実を描くこと以上に、ひとりの“女性”の半生を、ジュリアと共に追体験させることに焦点を絞って描いているように感じる。

 一斉検挙から始まるサラの経験を描く過去のパートは、どこか突き放したような表現に徹しており、ジュリアが視点人物となる現代篇でもその距離感は保ち、全体に登場人物たちの感情をストレートに窺わせる場面はない。しかし、少しずつ過去を炙り出すジュリアの周囲では、取材を通して夫やその親族との関係が変化し、彼女自身にも大きな変化が訪れる。それが過去の出来事と、共鳴するようでいて微妙に距離を保ちながら、並行して綴られる。重厚で壮絶だが雑音のない過去と比べ、様々な雑音の混じるジュリアの視点に、自然と観客が巻き込まれていくような語り口になっている。

 そうして少しずつ紐解かれていく、サラという少女の辿った運命に、いつしか魅せられてしまっている。そのこと自体が、終盤でジュリアが周囲の人物たちと交わす会話と相俟って、物語の奥行きを深めている。

 終盤で感じさせられるのは、真実を知る、ということの重さだ。過去を知りながらも敢えて口を塞いでいた人々、自らの知る過去に別の側面があるというジュリアの話に耳を塞ぐ者。真実であれば知らなければならない、というのはその実、物見高い第三者の発想で、本当に悲劇の近くにいた人ほど、極力核心から遠ざかろうとする――だからこそ、陰謀が絡まずとも秘密は生まれ、謎が作られる。そこに切りこむことの難しさを、本篇はシンプルに、だが怜悧に抉っている。

 そのうえで、知ったことで生まれる感情や、未来があることをも描いているから、本篇の結末が齎す感慨は優しく力強い。必ずしも何もかもが丸く収まったわけではないのに、確かに何かを克服しつつある、という想いを抱かせるのは、細かなモチーフが緩やかに共鳴しあったがゆえだろう。

 最も象徴的なモチーフは、邦題にもあるとおり、過去の出来事の主人公・サラの持つ鍵である。題名にまで用いたわりにはあっさり片付けられた、と捉える人もいるだろうが、改めて振り返って欲しい。彼女がその鍵を開くことで見つけたものは何だったのか。結果として歩んだ人生はどう終結したのか。そして、その結果として閉ざされたのは、なんの扉だったのか。

 真実を知ることの重さ、と記したが、それは“過去や、己の来歴と向き合うこと”と置き換えてもいいかも知れない。そこには悔恨や懊悩が隠れているかも知れないが、向き合ったからこそ得られる新しい道標もある。

 本篇は2010年に開催された第23回東京国際映画祭にて上映、監督賞と観客賞とを受賞している。本当ならそれからほどなく公開されることが望ましかったのだろうが、東日本大震災から9ヶ月を経たあとで劇場公開となったのは、むしろ絶好の機会だったかも知れない。観たあとにきっと、何かが拓けたような感覚を得られるはずだから。



関連作品:

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