『ステキな金縛り』

『ステキな金縛り』

英題:“Once in a Blue Moon” / 監督&脚本:三谷幸喜 / 製作:亀山千広、島谷能成 / 企画:石原隆、市川南 / 撮影監督:山本英夫 / 美術:種田陽平 / 照明:小野晃 / 装飾:田中宏 / 編集:上野聡一 / 衣装:宇都宮いく子 / VFXプロデューサー:大野哲男 / キャスティング:杉野剛 / 音楽:荻野清子 / 出演:深津絵里西田敏行阿部寛竹内結子浅野忠信草なぎ剛中井貴一市村正親小日向文世小林隆、KAN、木下隆行山本亘山本耕史戸田恵子浅野和之生瀬勝久梶原善阿南健治近藤芳正佐藤浩市深田恭子篠原涼子唐沢寿明 / 制作:シネバザール / 配給:東宝

2011年日本作品 / 上映時間:2時間22分

2011年10月29日日本公開

公式サイト : http://www.sutekina-eiga.com/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2011/11/29)



[粗筋]

 速水法律事務所に所属する弁護士・宝生エミ(深津絵里)は、だが生来のドジが祟って失敗ばかりしている。先だっては被告人から「頼りにならない」と担当替えを要求されてしまった。

 ボスの速水悠(阿部寛)はそんな彼女にラストチャンスとして、ひとつの案件を提示する。依頼人にかけられた容疑は、妻殺し。エミが被告人である矢部五郎(KAN)を拘置所に訪ねると、彼は自らが無実である証拠として、とんでもないアリバイを語っていた。

 事業に失敗した矢部は、自殺を考え、山中を彷徨っていたのだという。けっきょく死ねず、鬼切村にあるしかばね荘という民宿に泊まり、犯行時刻はそこで金縛りに遭っていた、というのだ。落ち武者らしき男にのしかかられ、ひと晩身動きがかなわなかったという。

 裁判前の打ち合わせで、エミは被告のその証言を説明するが、当然のように菅裁判長(小林隆)も担当検事小佐野(中井貴一)もまともに取りあわない。まして、ちょうど犯行時刻、偶然に客室を覗き見た宿の女将(戸田恵子)は、矢部が部屋にいなかったと証言しており、それが何よりもネックとなっている。とにかく何とか手懸かりを得るべく、山深い場所にあるしかばね荘へと、エミは自ら赴いた。

 調査の結果、どうやら矢部は間違った部屋に入っていた可能性があることを発見するエミだったが、確固たる証拠はない。だが、宿を出るのが遅れたエミは、成り行きで宿に泊まることになり、そこで決定的な“証人”と遭遇する。

 事件当夜、矢部を金縛りにした落ち武者の幽霊が、本当に出没したのだ――!



[感想]

 三谷幸喜監督が、ビリー・ワイルダー監督に憧れている、という話は、知る人も多いだろう。かく言う私自身、かなり以前に耳にしており、ちょうどこの1年ほど、古い映画を鑑賞する機会を増やし、そのなかで初めてビリー・ワイルダー監督作品を何本か実際に目にし、如何に三谷監督が強く影響を受けているのか、肌で実感するような気分を味わってきた。

 だがその一方で、やはり微妙にスタイルが異なる、というべきか、日本とあちらの文化の違いが出てしまった、と捉えるべきか、両者の手触りにはどうしても埋めがたい差違がある、ということも感じていた。ワイルダー監督は下世話な出来事を扱っても洒脱なイメージを醸していたが、三谷作品にはそれを補いきれず、どぎつさが滲んでしまっているように思うのだ――無論、まるっきり同じ作風を実現する必要は微塵もないし、その違いこそ個性と評価も出来るが、時としてワイルダー監督のスタイルが持つ良さも、三谷監督流のアクがやや殺している感もあるのが悩ましいところだった。

 しかし、三谷幸喜監督にとって長篇映画5作目となる本篇は、これまで以上に、彼が憧れるビリー・ワイルダー監督の作風に肉迫した、と感じる。

 題材が、幽霊という奇想を組み込みつつも、ワイルダー監督の代表作のひとつ『情婦』と同様に法廷を舞台とし、中心となって振る舞うのは、どこかジャック・レモンシャーリー・マクレーンを彷彿とさせる男女の組み合わせ、とモチーフ自体がどこかしら意識しているように見える、というのもあるだろう。

 だが最大のポイントは、プロットと伏線の妙にある。まださわり程度しか鑑賞していないが、私の観る範囲では、ワイルダー監督作品の秀逸さは、取っかかりのユニークな発想もさることながら、そこからどんどん予想外の方向へと逸脱しつつも、決して芯を外さない、牽引力に富んだプロットにあると思われる。本篇は、この“芯を外さずに、意外な展開を繰り出す”という技を、見事に成し遂げているのだ。

 粗筋では本当に序盤のみ記したが、西田敏行演じる落ち武者の幽霊・更科八兵衛が登場して以降の奇想天外さは素晴らしい。前作『ザ・マジックアワー』ではアドリブを禁じられていた、という西田敏行がアドリブ全開で演じた幽霊のユーモラスな振る舞いも愉しいが、やはり仕掛けられたシチュエーションが効いているのである。見える、見えない、という人ごとの違いや、どうやって見えない幽霊の存在を認識させ、その証言を裁判において有効なものとして扱わせるか、という試行錯誤の醸しだす笑いが終始作品を彩っている。

 しかも、こうした幽霊をめぐるやり取りが、きちんと裁判および物語の進行と、不可分に結びついている。最初は見える、見えないという議論にはじまり、どうやって証言を得るか、という試行錯誤。見える人と見えない人との違いがそのままストーリーに新しい波を起こしたかと思うと、“幽霊”という非現実のモチーフが絡んでいるからこその、意表をついた展開もあれば、それは当然だろう、と納得のいく驚きも仕掛けてくる。幽霊を裁判に登場させる、というあまりに魅力的なモチーフの、魅力的である部分を徹底的に活かした話運びには、何度も笑わされつつ唸らされるしかない。

 評価する上で引っかかる部分もあるのだが、それは物語の出来不出来、というよりは、観る側の価値観によるところが大きいものばかりだ。個人的には、幽霊が見える人間の条件設定があまりに恣意的すぎるように感じたし、話が終盤に進むに従って、“死”というものがひどく軽いもののように扱われることが気にかかった――後者については、作品の世界観がそうなっているのだから決して問題ではない、と思うのだが、現実がこう綺麗にはまとまらない、という点に執着する人や、逆に独自の死生観を持つ人は、それだけで受け付けない可能性もある。だが、そんな観客それぞれの価値観にまで気を遣っていては、面白くはなるまい。そこを割り切ってルールを設定し、その枠の中で可能な限りの趣向を凝らして物語を転がして、最後に爽やかなドラマを生み出した手管は素晴らしい。

 そして、このクライマックスの味わいは、見事にビリー・ワイルダー監督に肉迫している――それでもなお、最後はちょっとウエットにしすぎた感もあるし、エンドロールのお遊びは行きすぎた感は否めない。その周辺を含め、ワイルダー監督と比べてどうもどぎつく、世俗的すぎる印象はある。

 だが、そんなことは大した問題ではない、というより、それはもはや三谷監督の味わいとして認めるべきだろう。ひとりの映画監督に対して敬意を払い、その作風に倣った映画を撮り続け、自身のスタイルを築きつつも見事に肉迫した作品を完成させた、情熱に頭が下がる。

 ……と、ビリー・ワイルダー監督作品と絡めて語ったものの、そういう知識を抜きにしても面白い映画であることは確かだ。優れた着想、紆余曲折の著しさ、際立ったキャラクターたち、そして独自のルールに則った、鮮やかな結末。三谷幸喜監督の作品はすべて観てきたが、最高傑作、という惹句は嘘ではない。



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