『映画に愛をこめて アメリカの夜』

『映画に愛をこめて アメリカの夜』 映画に愛をこめて アメリカの夜 特別版 [DVD]

原題:“La Nuit Americaine” / 監督&製作:フランソワ・トリュフォー / 脚本:フランソワ・トリュフォージャン=ルイ・リシャール、シュザンヌ・シフマン / 撮影監督:ピエール=ウィリアム・グレン / プロダクション・デザイナー:ダミアン・ランフランチ / 編集:マルティーヌ・バラーク、ヤン・デデ / 音楽:ジョルジュ・ドルリュー / 出演:ジャクリーン・ビセットジャン=ピエール・レオ、ジャン=ピエール・オーモン、アレクサンドラ・スチュワルト、フランソワ・トリュフォー、ナタリー・パイ、デヴィッド・マーカム、ヴァレンティナ・コルテーゼ / 配給:Warner Bros.

1973年フランス、イタリア合作 / 上映時間:1時間57分 / 日本語字幕:高瀬鎮夫

1974年9月14日日本公開

2008年10月8日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

第1回午前十時の映画祭(2010/02/06〜2011/01/21開催)上映作品

第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series1 赤の50本》上映作品

TOHOシネマズみゆき座にて初見(2011/11/10)



[粗筋]

 フランスの撮影所で、フェラン監督(フランソワ・トリュフォー)の新作『パメラを紹介します』の撮影が始まった。フランスの青年がイギリスの女性・パメラと結婚、両親に引き合わせるべく郷里に連れて帰るが、父親と恋に落ちてしまう、という愛の悲劇である。

 製作が始まった直後は夢と意欲に溢れているのが常だが、いざ製作が始まると、悩ましい事態が頻発するのも常だった。作中で夫婦を演じるアレクサンドル(ジャン=ピエール・オーモン)とセヴリーヌ(ヴァレンティナ・コルテーゼ)はもと恋仲、ヒロインであるパメラを演じるジュリー(ジャクリーン・ビセット)は神経を病んでいちど映画界を退いており、担当医であるネルソン博士(デヴィッド・マーカム)との結婚を経てようやく復調、復帰第1弾がこの作品なのである。

 はじめから波乱含みであったが、問題は別のところからたびたび噴出した。ラッシュを行おうとしたところ、ジュリー到着以前に撮った群衆のシーンのフィルムが現像所の失敗でダメになり再度の撮影が必要になったり、父親の秘書を演じているステイシー(アレクサンドラ・スチュワルト)に初登場の場面で水泳をさせたところ、何と妊娠していることが発覚する。契約の都合で代役を立てられず、面倒な構図を要求される羽目になった監督はさっそく頭を抱えてしまう。

 とはいえ、各人の性格の違いを乗り越え、呼吸が合うようになると、一気にペースは上がってくる。細かなトラブルは絶えず、いつしか監督は当初の理想を実現することよりも、とにかく何とか完成させることだけを願いはじめる。

 だが、ようやく完成しようかという時期に至って、撮影は最大の障害に遭遇してしまうのだった……



[感想]

 名作映画、と呼ばれるものを手繰っていくと、案外頻繁に巡り逢うのが、“内幕もの”である。映画を含むショー・ビジネスの、表向きの華やかさとは裏腹なドロドロ、滑稽な駆け引きといったものを題材とした作品が、けっこう多い。よそに題材を求めるよりも実感的に描けるから――という意地の悪い見方も出来るが、外面の華麗さと内面の醜さ、というドラマになりやすい二面性を、最もストレートに描きうるモチーフである、という部分もあるのだろう。

 本篇はそんな中でも、特にリアル志向で映画製作の裏側を活写しているように思う――内側を熟知しているわけではないので断言するのはちょっと躊躇われるが、漏れ聞く情報、推測される裏事情と比較して、ほとんど違和感なく受け入れられる内容になっているのだ。

 全体を貫く筋、というものはないのに惹きつけられるのはひとえに、その悩みや苦しみに、決して映画製作に携わったことのない、ただの観客としての映画好きであっても、共感し同情させられるからだろう。特に本篇の場合、作中で製作される映画はどうやらハリウッド資本らしく、先方の望む作品を期日内に完成させねばならない、というプレッシャーが必要以上に働くことで、ドタバタ劇の様相を呈している。物語の中盤あたりで、監督がひっきりなしにスタッフから指示を仰がれたり質問されたり、というのに対応しているのが何ともおかしい。特にその監督を演じているのが他でもない、実際にこの映画を監督しているフランソワ・トリュフォー自身である、というのが興味深いところだ。

 内幕ものではヴェテラン俳優がやたら高圧的な人物に描かれたり、やたらと物言いのギラギラした若手が登場したりしてギスギスしたムードを醸しだすことが多いが、本篇は基本的にはみな好人物、として描かれているのも特徴的である。かつて恋仲だったというアレクサンドルとセヴリーヌは、その交流で周囲に緊張感を齎すものの、どちらも大人の態度に徹して、基本的に波風は立てない――とはいえ、アレクサンドルは別の素行でちょっとした波紋を起こし、セヴリーヌは生活態度の面が悪い影響を及ぼしているので、まるっきり無害ではないのだが、少なくとも愛される人物像は守っている。

 面白いのは若手ふたりの成り行きだ。後半の大きな波乱にも繋がっているので詳述はしないが、序盤で提示される彼らのプライヴェートからすると意外な、しかしその設定をうまく活かした混乱ぶりに、観るこちらまでが翻弄されてしまう。たとえば特定の人物に絞ってドラマを構築し、感動や衝撃を齎そうという組み立てをしていないのに、気づけば惹きこまれてしまう。

 結局のところ、本篇が映画好きにとって魅力的に感じられるのは、主役はひたすらに“映画”そのものだからなのだろう。どれほど遠まわりし、終盤のゴタゴタで「映画から離れる」と宣言したところで、最終的には映画を完成させるために力を注ぎ、決着してみれば物語が始まったときとさほど違わない立ち位置にいる。作中、セヴリーヌが映画製作という仕事を、たった1本の映画を作るためだけに生まれた家族、と表現するが、言い得て妙だ。ひとつの夢物語を完成させるために、元々は縁のなかった人々が集まり、摩擦や軋轢の果てに一体感を築いていく。だがそれも、映画が終わると一瞬で消え失せる。他方で、夫の浮気を心配して撮影現場にずっと張り込んでいる製作補の妻が終盤で吐き捨てる言葉も印象的だ。この両者が本篇の魅力、面白さを見事に凝縮している。

 実は作中、大きな不幸がひとつあるために、まったく曇りのないハッピー・エンドというわけではないのだ。にもかかわらず、不思議と余韻が爽やかなのは、何はともあれ、ひとつの大仕事をやりおおせた、という感慨を、観る側も共有できるからだろう。映画製作の現場が持つ空気を、観客が存分に堪能できる、“内幕もの”といえど珍しい味わいのある1本である。製作現場そのものには興味はありません、とか、もっとチープな作品を撮る現場に興味がある、といった人はともかく、映画全般に関心のある人ならきっと、心地好いハラハラ感に浸れるはずだ。



関連作品:

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さよなら、さよならハリウッド