『アメリカン・グラフィティ』

アメリカン・グラフィティ 【Blu-ray ベスト・ライブラリー プレミアム】

原題:“American Graffiti” / 監督:ジョージ・ルーカス / 脚本:ジョージ・ルーカス、グロリア・カッツ、ウィラード・ハイク / 製作:フランシス・フォード・コッポラ / 共同製作:ゲイリー・カーツ / 撮影監督:ロン・イヴスレイジ、ジョン・ダルクイン / 美術監督:デニス・クラーク / 衣裳:アギー・ゲラルド・ロジャース / 編集:ヴァーナ・フィールズ / キャスティング:マイク・フェントン、フレッド・ロス / 出演:リチャード・ドレイファスロン・ハワード、ポール・ル・マット、チャーリー・マーティン・スミス、キャンディ・クラーク、シンディ・ウィリアムズ、ウルフマン・ジャック、ボー・ホプキンス、ハリソン・フォード、ケイ・レンツ、マッケンジー・フィリップス、キャスリーン・クインラン、スザンヌ・ソマーズ / 配給:CIC / 映像ソフト発売元:GENEON UNIVERSAL ENTERTAINMENT

1973年アメリカ作品 / 上映時間:1時間50分 / 日本語字幕:戸田奈津子 / PG12

1974年12月21日日本公開

2011年8月3日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazonBlu-ray Discamazon]

第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series2 青の50本》上映作品

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2011/11/09)



[粗筋]

 1962年、カリフォルニア卒業式が終わり、高校の体育館でダンス・パーティが催されている夜。

 奨学金を受け取り、大学に進むはずだったカート(リチャード・ドレイファス)は、だが出発を翌朝に控えて、いまさら迷っていた。曖昧な物云いをする彼に、やはり進学を決めているスティーヴ(ロン・ハワード)は苛立ちを顕わにする。ジョン(ポール・ル・マット)のようになってもいいのか、というスティーヴの問いかけに、カートははっきりとは答えられなかった。

 妹ローリー(シンディ・ウィリアムズ)の運転する車で移動している最中、カートは並走する車から微笑みかけてきた女性に、心惹かれるものを感じる。どうにかして声をかけたいと思ったが、同乗する女性達はカートの言葉に耳を貸さなかった。どうせ、去っていくのだから、と。

 カートよりも積極的に外に出て行くことを望んでいるスティーヴは、恋人であるローリーに対して、ひとつの提案を持ちかけた。彼が町を離れているあいだ、互いに束縛せず、自由に日々を謳歌しよう。異性と遊ぶことを躊躇う必要はない、と。ローリーはスティーヴの提案を受け入れた、と言いつつ、一気に機嫌が悪くなる。パーティでスティーヴに誘われても乗らず、ふたりのあいだには緊張した空気が流れる。

 カートたちの友人で、町に残るテリー(チャーリー・マーティン・スミス)は、スティーヴから愛車を預かって欲しいと頼まれ、浮かれていた。スクーターしか持っていない彼にとっては、一時的とはいえ車を所有できることが嬉しくてたまらない。さっそく町を流しはじめたテリーは、偶然見つけた魅力的な少女、デビー(キャンディ・クラーク)を誘うことに成功する。だがこの娘、テリーの予想以上に手強かった。

 ドラッグ・レースの猛者で知られるジョンは、常に挑戦者につけ狙われている。この夜も、ボブ・ファルファ(ハリソン・フォード)という男が彼の所在を訪ねてまわっていたが、ジョンは気にも留めず、並走する車の女性をナンパしようとする。だが、ようやく捕まったのは、まだ幼さの残る少女キャロル(マッケンジー・フィリップス)だけ。妙に大人ぶりたがる彼女に、ジョンは手を焼く羽目となった……



[感想]

 これ以降に製作された青春映画は、基本的に本篇の影響を受けている、などと言われるほどの作品である。そういう予備知識のみで、ストーリーなどろくに知らないまま鑑賞したのだが、なるほど確かに、いま青春映画と言えばどんなものを想像するか、と問われて思いつく要素があらかた詰まっている。

 物語は一夜のうちに繰り広げられるが、アメリカでは一般的な卒業後のパーティが行われている日であり、そこに顔を出す者もあれば、無縁に町を流してナンパをしたり、不良に絡まれたり、と予想外のトラブルに見舞われる。そんななかで、抱えていた悩みについての答を見出す者もいれば、恋人とのすれ違いを経験する者もいる。当然のように、どうにか女の子と深い関係になろうと必死に身の丈以上の振る舞いをする奴もいる。全体を束ねる明確なストーリーこそないが、点綴される少年たちの言動はリアルであり、夢と現実、希望と失望とが入り乱れる描写は、誰であってもどこかしらに共感を抱くはずだ。

 時代背景は1960年代初頭、ビートルズが成功を収めるより前であるが、現在でもしばしば耳にするようなヒット曲が無数にちりばめられたポップな感覚も、昨今の音楽を多用する映画への影響が窺える――選んでいる音楽が好みに合うか、或いはリアルタイムで味わっているか知識として把握しているだけか、という違いによって受け止め方は異なるだろうが、音楽によって時代性や登場人物たちの価値観を象徴する、という手法は間違いなく通じている。

 そして、一見誰もが自由に動き回っているだけに見えて、きちんと青春ドラマ特有の悩み、迷いを汲み上げ、そこに何らかの結末を与えるように組み立てた構成が絶妙だ。すべてのエピソードが合流して作りだす豪快なカタルシスこそないが、緩やかに干渉しあい、結果として登場人物それぞれの心に齎す感慨は実に味わい深い。

 こと、個人的に感銘を受けたのは、登場人物の多くが聴いているラジオ番組のDJ、ウルフマン・ジャックというキャラクターの扱い方だ。序盤、ほとんど顔を出さないものの、ラジオを通して大半の者が知っている人物だが、その実像はなかなか窺い知れない。すぐ近くに、彼の番組を流している放送局があるというのに、立ち寄って尊顔を拝もう、という者も現れないのだ――誰もが自分のことに夢中になっているせいなのだが、そこへひとりが、切実な理由を携えて、初めてウルフマン・ジャックの番組を流す放送局を訪れる。そうして描かれる不思議なやり取りは、だがこの小さな町で彼らが経験する出来事の意味を、何よりもはっきりと象徴しているように思う。ところどころで語られる、ウルフマン・ジャックという人物についての評判や噂を思い返すと、なおさらに興味深い。

 そしてもうひとつ、この作品の趣向として秀逸なのは、最後にメインである4人それぞれのその後について、テロップの形で軽く触れていることだ。このさり気ない工夫で、4人の存在感がいっそう現実味を帯びるとともに、一夜が象徴した彼らの生き様を、ほろ苦く彩っている。

 監督は、のちに『スター・ウォーズ』シリーズで映画史上に残るヒットを放つジョージ・ルーカスであるが、このときはデビュー作である『THX1138』が興行的に失敗したことを受け、意識的に低予算で仕上げられるように構想をまとめたらしい。だが、そのことが却って奏功したのかも知れない――自らの手の届く範囲で、実感的に、そしてありのままの姿を描き出すことで力や予算を省いたことが、結果的にかつてのどんな映画よりも身近に感じられる世界を生み出したのだから。

 そのうえ、本篇の大成功が、リチャード・ドレイファスハリソン・フォードのような人気俳優にロン・ハワードという名監督も誕生させ、更には監督のジョージ・ルーカスに究極の人工美とも言える『スター・ウォーズ』シリーズに着手するきっかけを齎したのだから、そういう意味でも後世に残した影響が極めて大きな作品だったと言える。

 ――と、ちょっと嫌味な見方をしてしまったが、そういう点を除いたとしても、純粋に青春映画として優れた作品であることは確かだ。続く『スター・ウォーズ』のヒットのお陰で、ジョージ・ルーカスといえば徹底した造形美、のようなイメージが完全に定着してしまった感があるが、そんな彼が映画史に刻んだもうひとつの大きな足跡に、いちど触れておいて損はない、と思う。



関連作品:

スターウォーズ episode II/クローンの攻撃

スターウォーズ episode III/シスの復讐

スタンド・バイ・ミー

ピラニア3D

カウボーイ&エイリアン

バック・トゥ・ザ・フューチャー