『一命(3D)』

『一命(3D)』

原作:滝口康彦『異聞浪人記』 / 監督:三池崇史 / 脚本:山岸きくみ / プロデューサー:坂美佐子、前田茂司 / エグゼクティヴプロデューサー:中沢敏明、ジェレミー・トーマス / ラインプロデューサー:小松俊喜 / 撮影監督:北信康 / 美術:林田裕至 / 装飾:坂本朗、籠尾和人 / 照明:渡部嘉 / 編集:山下健治 / 衣装:黒澤和子 / 殺陣:辻井啓伺 / 音響効果:柴崎憲治 / 音楽:坂本龍一 / 出演:市川海老蔵瑛太満島ひかり竹中直人青木崇高新井浩文、浪岡一喜、天野義久、大門伍朗、平岳大笹野高史中村梅雀役所広司 / 配給:松竹

2011年日本作品 / 上映時間:2時間6分

2011年10月15日日本公開

公式サイト : http://www.ichimei.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2011/10/29)



[粗筋]

 時は、徳川の政治が安定し、太平の世となった頃。

 江戸にある井伊家の門を叩く、初老の浪人がいた。その男、津雲半四郎(市川海老蔵)は浪々の果てに食い詰めた己を嘆き、玄関先で切腹する許しを求めたのである。その話を聞いた家老・斎藤勘解由(役所広司)は嘆息した。

 この頃、江戸では“狂言切腹”と呼ばれる行いが、大名屋敷での悩みとなっていた。食い詰めた挙句に切腹を覚悟し、玄関先を借りたい、という申し出に感銘を受けた藩主が、その侍に役を与えて救ったことから、この行為を真似る者が続出していたのである。

 ひとまず半四郎を座敷に通し、面会した斎藤は、相手に身の上を尋ねた。そこで半四郎が口にした、“福島家家臣”という言葉に、斎藤は眉根を寄せる。およそ二ヶ月前のこと、やはり同様に井伊家の門を叩き、切腹の解釈を願い出た若者がいたのだ。その男に心当たりはあるか、と問われた半四郎は首を傾げ、斎藤は一部始終を語りはじめた。

 二ヶ月前に現れた若者は、名を千々岩求女(瑛太)という。やはり食い詰めた果てに、潔く命を絶ちたい、と切腹を申し出たが、折から大名屋敷を悩ませていた“狂言切腹”について知っていた井伊家家臣たちは、手際よく切腹の段取りを整えてしまう。いざ切腹、という場になって、求女は猶予を求めたばかりか、必ず腹を切るから三両を工面していただきたい、と浅ましい願いまで申し出た。しかし、取り囲む家臣たちの圧力に屈し、遂に求女は既に竹光となっていた自らの脇差切腹に至ったのである。

 話し終えたあとも、だが半四郎は動じなかった。浪人は身分に似合った装いで死ぬべきだ、と衣裳の用意も拒み、求女と同じ純白の敷物に端座した半四郎に、斎藤がなにか願いはないか、と問うと、彼は介錯を務める者を名指しした。

 武名の聞こえた人物ゆえ、ともっともらしい理由をつけていたが、やがて列席していた家臣たちはざわめきはじめる。半四郎が最初に名指しした者は、前夜に出かけたまま自宅に戻っていなかった。代わりに名指しした者も、次の者も同様だった。彼らはすべて、求女の目論見を見抜き、動揺する男に切腹を迫った者であった。

 目的は何だ、と斎藤は大声で詰問する。半四郎は、静かに己の過去を語りはじめた……



[感想]

 時代劇初の3D方式での制作、という点が大きく喧伝された作品である。それ故に、3Dの特性を活かした演出が為されるのでは、という期待があったが、その意味では若干拍子抜けだった。決して立体感や奥行きを強調するような設定、構図を採用はしていない。

 ただ、3Dにしたからこそ感じられる趣はちゃんと存在する。主な舞台を井伊家の屋敷と千々岩求女の借家に絞ることで、両者の雰囲気が従来の時代劇以上に伝わりやすくなっている。四方を囲む侍たちの眼差しを感じる井伊家の庭の厳しい緊張感、広さはあるがそれ故に調度の乏しさ、朽ちた様が明白な千々岩家のもの悲しさ。特に後者、ぼろぼろになった蚊帳越しに佇む人の姿を映す場面は、奇妙な感慨を齎す。時代劇だからこその情景、空気をこれまで以上に力強く感じられることが解るだけでも、この作品を制作した意義はあっただろう。

 本篇は3Dであるなしに拘わらず、実に上質のドラマに仕上がっている。冒頭は、“狂言切腹”という、現代の私たちの感覚を基準にしても眉をひそめたくなるような詐欺行為に悩まされるがゆえに、井伊家の人々が立て続けに現れた2人目の切腹志願者の真意を訝るさまが、そのままミステリのような雰囲気を湛えて観客を惹きつける。そのあとに、井伊家の家老・斎藤の口から語られるという体裁でいちど千々岩求女の切腹の様子が描かれると、ふたたび現在に戻り、半四郎の口から一連の出来事の背景が語られる。この盛んに現在と過去を行き来する構成が芝居に奥行きを持たせており、見応えがある。

 ひとつ引っかかるのは、半四郎の回想部分がいささか長すぎる印象を与えることだ。極論すれば、ここは実際の光景を観客に披露せずとも、半四郎の口から言わせるだけでも、主題は成立する。ただ、3Dで制作しているからこそ、贅を尽くした井伊家の邸宅のみならず、半四郎が暮らしていた長屋の様子や、前述した千々岩家の荒廃したさまをきちんと捉え、その対比を描く必要はあったし、何よりこの痛ましいほどの“不幸の連鎖”を叩きつけるくだりは、『十三人の刺客』で暴君の慰みものにされた女の証言を導き出すくだりの凄惨さを、尺の積み重ねで再現するかのようであり、暴力描写のインパクトで世界的に名を知られるようになった三池崇史監督の本領を感じさせる。

 三池監督の本領、というなら、求女の切腹の場面や、クライマックスにおける半四郎の立ち回りの壮絶さもまた秀でている。いずれも時代劇では見慣れたシチュエーションながら、ある特異な設定をひとつ加えたことで、異様な空気、両者が見せる悲愴な覚悟が際立ち、忘れがたいひと幕となっている。

 しかし、この作品の何よりも優れている点は、武士の矜持や誇りといったものを、他の時代劇よりも遥かに掘り下げて問い質していることだ。既に戦国の世は終わり、井伊家に連なる武士たちも、ほとんどは戦を経験していない者ばかりになった。かつて戦場で武名を挙げた一家であろうと、生計を得る手段を失い、食い詰めて汲々とした生活を余儀なくされている。そういう社会のなかで、武士が守るべき矜持とは何なのか、本当の誇りは何なのか――凡百の時代劇のなかでは安易に語られている感のある精神性の意味を、真摯に問うている。

 この物語では、非常に明確な象徴がいくつも用いられている。求女と半四郎の共通項もさることながら、饅頭を分け合うくだりや、貧しさゆえにどんどん減っていく蔵書の様子など、単純であるがゆえに彼らの逼迫した境遇や苦しい胸のうちがひしひしと伝わってくるのだが、本篇の主題において特に重要なのは、井伊家に飾られた鎧兜であろう。一見、何もかもを無に帰すような最後のひと幕でも登場するこの小道具は、だが他の何よりも、彼らの主張する矜持や誇りの虚ろさを象徴し、嘲笑っている。

 3Dであることを抜きにしても優れた時代劇である、が、時代劇に馴染みのない層にその豊饒な物語性を実感させ、3D作品に親しんでいない層にこの手法に接する機会を齎す、という意味で、やはり3Dで制作される意義はあった、と言えるだろう。そして、その完成度は充分にその使命を果たす水準にある。時代劇を観た経験の少ない人たちにも、3D映画ではあまり好みの作品にお目にかかれない人たちにも、この機に触れていただきたい。





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