『キャリー』

キャリー (特別編) [DVD]

原題:“Carrie” / 原作:スティーヴン・キング / 監督:ブライアン・デ・パルマ / 脚本:ローレンス・D・コーエン / 製作:ポール・モナシュ、ブライアン・デ・パルマ / 撮影監督:マリオ・トッシ / 美術:ジャック・フィスク、ビル・ケニー / 衣裳:ロザンナノートン / 編集:ポール・ハーシュ / 音楽:ピノ・ドナッジオ / 出演:シシー・スペイセクパイパー・ローリー、ウィリアム・カット、ジョン・トラヴォルタ、エイミー・アーヴィング、ナンシー・アレンベティ・バックリー、P・J・ソールズ、シドニー・ラシック、プリシラポインター / 配給:日本ユナイテッド・アーティスツ / 映像ソフト発売元:20世紀フォックス ホーム エンターテイメント

1976年アメリカ作品 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:菊地浩司 / R-15+

1977年3月5日日本公開

2008年10月24日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series2 青の50本》上映作品

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2011/10/13)



[粗筋]

 キャリー・ホワイト(シシー・スペイセク)に居場所はなかった。学校では同級生たちのイジメに遭い、自宅では過剰なまでにキリスト教に傾倒した母マーガレット(パイパー・ローリー)がキャリーの一挙手一投足に目を光らせている。彼女にとっては、教師のコリンズ(ベティ・バックリー)が唯一の味方だった。

 そんなキャリーの身に変化が起きたのは、体育の授業のあとのことだった。シャワーを浴びているときに訪れた、遅い初潮に動揺した彼女は同級生たちにからかわれる。そのとき、更衣室の照明が音を立てて弾けた。家に帰り、“女”になった罪を咎められたあと、部屋でキャリーが己の顔を見つめていると、今度は鏡が勝手に割れた。自分なりに本を調べたキャリーは、自分がいわゆる“念動力”に目醒めた、ということを悟る。

 その頃、キャリーをいじめた女子生徒たちは、コリンズ先生による1週間の補習を受けさせられていた。前々からキャリーに対する仕打ちをやめさせたかったコリンズは、欠席した場合は停学とプロムへの参加権を剥奪する、という条件を提示して従わせたが、ひとりクリス(ナンシー・アレン)だけはコリンズに反発して補習をボイコットする。一連の経緯によって、キャリーに対する嫌悪感を却って膨張させたクリスは、ボーイフレンドのビリー(ジョン・トラヴォルタ)に、あることを頼む。

 高校生にとって卒業前の一大イベントであるプロムだったが、相手のいないキャリーは本来、出席できないはずだった。しかし、そんな彼女に思いがけない人物が声をかける。更衣室の1件にも絡んでいた同級生スー(エイミー・アーヴィング)のボーイフレンド、トミー(ウィリアム・カット)だった――キャリーは何か思惑があるのでは、と勘繰り、最初は拒絶したが、トミーは根気強く誘いを繰り返してきた。ごく普通の青春に憧れを抱いていたキャリーは結局、トミーに対して首を縦に振る。

 そして、事件は起きた。



[感想]

 モダン・ホラーの巨匠スティーヴン・キングの作品は多数映画化され、ハリウッドではすっかりお馴染みの名前となっているが、最初に映画化されたのが本篇である。

 一見したところ地味で、大きな見せ場に乏しい作品だ。クライマックスにキャリーを見舞う悪意と、壮絶な“復讐”のくだりはいっそ荒唐無稽と言ってもいいほどのインパクトだが、それまでは何が起こるのかも不明瞭なまま、不穏なムードだけが積み重なっていく印象である。クライマックスが、中盤までのモヤモヤを吹き飛ばしてしまうほどの迫力なので、実際にはあまり気にならないが、それでも全体での紆余曲折の乏しさをマイナス材料に捉える人は少なくないだろう。

 しかし、本篇はそうして穏やかに綴られるなかに、必要な伏線がすべてちりばめられた精緻さにまず価値がある。プロローグ、遅い初潮の訪れが、イジメだけでなくキャリーの超能力までも招いた、という必然的な流れ。そのあとはキャリーの家庭の事情と自らの能力の本質を知る道程と並行して、物語の中心となる同級生ふたりの行動が点綴されるが、それらがクライマックスで齎す衝撃に結びつく手管は逸品だ。

 キャリーをいじめたことで罰せられた生徒たちの中で、彼女に対する更なるいやがらせを企図するのは実のところクリスひとりでしかない。中盤で細かな仕込みが施されるが、最も衝撃的な出来事に関与しているのはクリスとそのボーイフレンドだけであることに気づくはずだ。しかし、他の生徒たちの無関心と、真意を知らぬままの協力が、実際以上の悪意を以てキャリーに突き刺さるよう、巧みに物語を転がしている。

 もうひとり、キャリーを巡って行動するスーという少女の真意をなかなか明瞭にしないところがまた絶妙だ。補習のあと、思い詰めた表情でボーイフレンドに懇願し、わざわざキャリーを誘わせたのは何故だったのか。彼女の意図はクリスとは違うように感じられるが、それをぼかしたまま綴ることで、静かな中に緊張感が否応なしに高まっていく。なまじ、普通に明朗快活な少年であるように映る少年が彼女の頼みで動いているだけに、その疑念は深い。

 そうした描写が、ずっとキャリーを苛んでいた状況と相俟って、クライマックスの惨劇をある意味で骨太なものにしている。疑いようもなく彼女の味方であったはずの人物まで容赦なく巻き込む狂気の渦は、それまでが穏やかであるからこそいっそう衝撃的なのだ。全体に気配を醸しだす描写ばかりで具体的な事件のあまり起きない作品にも拘わらず、いちど観て忘れがたいのは、その積み上げの絶妙さによるものである。

 しかしこの作品、単に恐怖や異様な重々しさの表現が巧み、というだけではない。実は全篇で統一して、女性を戯画化、象徴化するような描写が繰り返されていることも、単なるホラー映画に留まらない存在感の源泉になっているようだ。

 冒頭、体育あとに更衣室にてあられもない姿ではしゃぐ少女たちの姿や、わざと剥き出しの足や身体のラインを意識したような撮し方をする体育の様子などは、ホラー映画にありがちな扇情的な描写のようにも映るが、それは女性の生々しい感情、彼女たちを束縛する社会観を織りこむうえでの導入、という意味合いが強いと考えられる。決して男性客の目を惹きつけようとする姑息な戦略――というのも多少あるだろうが、それだけではない。

 クリスとスーの振る舞いにしても、女性同士の関係の中でしばしば濃厚に顕わになる嫉妬や、対照的な気遣いを象徴するものだし、互いを見張っているような言動も、気取った文芸作品では感じられない生々しさがある。

 特に、随所で仄めかされるキャリーの母マーガレットの思想背景や言動などは、キリスト教における女性の立ち位置をあからさまなほどに戯画化している。初潮の訪れを邪な感情の表れと解釈して娘を糾弾する一方で、キャリーを身籠もった己の過去について嘆く様などは、原理主義的なキリスト教観の歪みを一身に背負ったような趣さえある。最後にこの親子を襲う出来事にしても、悲劇に終わった出産、を象徴するかのようだ。

 本篇はエピローグにおいて、一連の惨劇を目撃した人物の心に深い傷を残した様子を描いて幕を下ろす。それは、物語を凄惨な悪夢として彩った出来事の締め括りとしても相応しい一方で、女性に生まれたことへの苦しみを顕わにしているようにも映り、“女性の物語”の結末という意味でも見事だ。

 スティーヴン・キングの小説が陸続と映画化されるきっかけとなった本篇だが、それはキング作品が単純にホラーとして優れているというだけでなく、作品世界に充分な奥行きがあることを証明した作品でもあったからなのだろう。



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