『SUPER8/スーパーエイト』

『SUPER8/スーパーエイト』

原題:“Super 8” / 監督&脚本:J・J・エイブラムス / 製作:スティーヴン・スピルバーグ、J・J・エイブラムス、ブライアン・バーグ / 製作総指揮:ガイ・リーデル / 撮影監督:ラリー・フォン / プロダクション・デザイナー:マーティン・ホイスト / 編集:マリアン・ブランドン,A.C.E.、メアリー・ジョー・マーキー,A.C.E. / 衣装:ハー・ウィン / 視覚効果&アニメーション:インダストリアル・ライト&マジック / 音楽:マイケル・ジアッチーノ / 出演:ジョエル・コートニー、エル・ファニングカイル・チャンドラー、ライリー・グリフィス、ライアン・リー、ガブリエル・バッソ、ザック・ミルズ、ロン・エルダード、ノア・エメリッヒジェシカ・タック、ジョエル・マッキノン・ミラー、グリン・ターマン、リチャード・T・ジョーンズ、アマンダ・フォアマン、デヴィッド・ギャラガー、ブレット・ライス、ブルース・グリーンウッド、デイル・ディッキー、ジャック・アクセルロッド、ダン・カステラネタ / アンブリン・エンタテインメント/バッド・ロボット製作 / 配給:Paramount Pictures Japan

2011年アメリカ作品 / 上映時間:1時間51分 / 日本語字幕:岸田恵子

2011年6月24日日本公開

公式サイト : http://www.super8-movie.jp/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2011/06/24)



[粗筋]

 1979年、オハイオ州

 その晩、ジョー・ラム(ジョエル・コートニー)はチャールズ(ライリー・グリフィス)たちとともに、駅の構内にいた。間もなく開催される、スーパー8映画祭に出品するゾンビ映画のワンシーンを撮影するためである。現場には新顔のアリス・デイナード(エル・ファニング)もいる。ある経緯ゆえに、ジョーと彼女はぎこちない間柄だったが、秘密を共有するような感覚が、いつしか彼らのあいだに一体感を生んでいた。

 折しも、夜更けにも拘わらず電車が轟音を蹴立てて入線してきた。場面に説得力が出る、と喜んでカメラを回していた一同だったが、直後、電車は踏切に侵入してきた乗用車と衝突し脱線、大破、そして大爆発する。

 必死で走り、どうにか助かったジョーたちが、電車に立ちふさがった乗用車に近づいてみると、何と乗っていたのはジョーたちの学校で社会科を教える教師だった。心配して近づくと、先生はどういうわけか拳銃を向けてジョーたちを威嚇し、彼らを追い払う。わけも解らないままジョーたちは事故現場をあとにした――撮影に用いたカメラを回収するのを忘れることなく。

 翌日から小さな街は、この“事故”の話題で持ちきりとなった。どういうわけか警察ではなく、軍が出張って調査を行っていることも、人々の関心を掻き立てている。だがその一方で、ジョーの父親ジャック(カイル・チャンドラー)が勤める保安官事務所では、何故か奇妙なトラブルの報告が相次いで、息をつく暇もない状態に陥っていた――



[感想]

 評価の軸は人によって異なるので、本篇を認められない、という人も恐らく少なからずいるだろう。ただ、映画に対して何らかの愛着を抱く人が、この作品を心底嫌うことはたぶん出来ないと思う。

 パニック映画として、端整なジュヴナイルとして完成された作品であることも間違いないが、しかし本篇の魅力の何よりも大きな範囲を占めているのは、映画への愛なのだ。

 そもそも自主制作映画の撮影中に“事故”を目撃したことで、中心となる少年たちは思いがけず“事件”の核心へと引きずり込まれていく形となるのだが、何故そういうことになったかと言えば、わざわざ現場まで機材を回収に赴いたからなのだ。ホラー映画で、怪しい場所にわざわざ踏み込んで命を危険に晒す人間がいるのはお定まりのパターンだが、彼らは危険や謎に対する好奇心からそうしたわけではなく、撮った映像が惜しいから危険を冒しているのである。この感覚、映画ばかりでなく、創作に携わっている人なら理解できるのではなかろうか。

 そしてその後も、街が非常自体に突入しているというのに、彼らは終始“映画”に拘って振る舞っている。自身の作中の、軍が介入している場面を撮る際に、ちょうど家宅捜索をしているからと、本物の軍人たちがうろつき廻る中でしゃあしゃあとカメラを回す。住人たちが避難しなければならないと慌ただしく動き回る中で、現像したフィルムを引き取り試写してみるあたりなど、直後に重大な事実が判明しているから感じないが、ほとんどギャグと言っていい。だが、その生態がまさに映画好きそのものであるだけに、妙に好感が持ててしまうのだ。

 あまつさえ、最後の最後に、ジョーたちが撮った映画の恐らく全篇がエンドロールと共にお披露目されるのだが、これが真っ当なゾンビ映画なのだ。固有名詞に“ロメロ”という単語を組み込んでしまうあたりなど、心底映画が好き、という空気が滲み出ている。この徹底ぶりは、ゾンビ映画が嫌いな人であっても脱帽するほかないだろう。

 無論、映画に対する情熱だけが売りの作品などではない。情報が出て来る前までは、監督が以前に携わった『クローバーフィールド/HAKAISHA』に類するモンスター映画ではないか、と推測されていたが、本篇はむしろ製作に名前を連ねるスティーヴン・スピルバーグが初期に手懸けた『E.T.』や『グーニーズ』のようなジュヴナイルを目指した作品であり、本篇はその様式に必要な描写を、ほとんど余すところなく詰めこんでいる。自らを見舞う重い出来事に、友情と恋愛。そして、そんな中で繰り広げられるひと夏の冒険。映画好きならずとも憧れる世界が、矢継ぎ早に展開していくスクリーンに、誰もが惹きつけられるはずである。

 そうした定番の要素を単純に組み立てるだけなら誰にでも可能だが、本篇はそこに不自然さをあまり感じさせないのが巧みだ。クライマックス近く、ジョーたちが軍に先駆けて手懸かりを掴むくだりは、冷静に考えると御都合主義なのだが、そのきっかけになる人物のエピソードを絡めることで、事態に重みを与えている。その重量が、御都合主義よりも使命感のようなものを観客に実感させている。

 普通なら助かっていそうにない人物が終盤で救出されるくだりも、別の伏線を用いて説得力を付与している。決して自己満足でジュヴナイルらしい要素を連ねているのではなく、それを観る側がどう捉えるか、という点に配慮していることが、このあたりからもはっきり窺えるのだ。オマージュを捧げられている張本人であるスピルバーグが製作に加わっていることも貢献しているのだろうが、もともと脚本家としてのキャリアも備えたJ・J・エイブラムス監督らしい丁寧さが、本篇をより端整なものにしている。

 あまりにも独自性を追い求めすぎて歪になったクリーチャーをはじめ、引っ掛かる点もいくつかある。それ故に、世評ほど高く評価出来ない、という人も多いことも理解は出来る。ただ、そういう人であっても本篇が、少年時代の憧れをぎっしりと詰め込んだ、世代を超えて楽しむことの出来る作品であることは認めるほかないはずだ。

 まさに、少年少女のための冒険物語である。いま現在、ジョーたちと同じ年代である彼らにも無論のこと、かつて少年少女であった人の心もざわめかせ、ときめきを誘わずにいられない、良質の娯楽映画である



関連作品:

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