『風と共に去りぬ』

TOHOシネマズ錦糸町 オリナス、スクリーン1入口脇に掲示された紹介文。(※『午前十時の映画祭10-FINAL』当時) 風と共に去りぬ [Blu-ray]

原題:“Gone with the Wind” / 原作:マーガレット・ミッチェル / 監督:ヴィクター・フレミング / 脚本:シドニー・ハワード / 製作:デヴィッド・O・セルズニック / 撮影監督:アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン / プロダクション・デザイナー:ウィリアム・キャメロン・メンジース / 美術監督:ライル・ウィーラー / 衣裳:ウォルター・プランケット / 音楽:マックス・スタイナー / 出演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲイブル、レスリー・ハワード、オリヴィア・デ・ハヴィランド、トーマス・ミッチェル、バーバラ・オニール、ハティ・マクダニエル、ジェーン・ダーウェル、ウォード・ボンド、エヴリン・キーズ、アン・ラザフォード、ランド・ブルックス、キャロル・ナイ / 配給:MGM / 映像ソフト発売元:Warner Home Video、他

1939年アメリカ作品 / 上映時間:3時間53分 / 日本語字幕:木原たけし、森みき

1952年9月4日日本公開

2011年2月15日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon|DVD Video廉価版:amazonBlu-ray Discamazon]

第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series2 青の50本》上映作品

TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2011/04/21)



[粗筋]

 1860年ジョージア州。タラと呼ばれる農園地帯を仕切るオハラ家の長女スカーレット(ヴィヴィアン・リー)は、輝くような美しさと快活さから、一帯の若い男達の心を虜にしている。彼女自身、様々な男から盛んに言い寄られることを愉しんでいた。

 しかし、スカーレットが本気で想いを寄せていたのはただひとり、アシュリー・ウィルクス(レスリー・ハワード)だけだった。彼も自分を愛している、と思っていたスカーレットだったが、しかしウィルクス家でバーベキュー・パーティが催された日、アシュリーがスカーレットの従姉妹メラニー・ハミルトン(オリヴィア・デ・ハヴィランド)と婚約したことを知り、愕然とする。それでも、自分から愛を打ち明ければ翻意する、と軽く考えていたスカーレットは、当人から拒絶され、衝撃のあまりメラニーの兄チャールズ(ランド・ブルックス)からの求婚を受け入れてしまう。

 折しもアメリカは奴隷制度維持を主張する南部と、奴隷解放を訴えるリンカーン大統領を中心とした北部の対立が激化、遂に開戦に至り、南部の男達は意気揚々と戦地に赴いた。そして、その戦地でスカーレットの新郎は、合併症を患い呆気なく他界してしまう。

 結婚早々未亡人となり、喪中の暮らしに嫌気が差したスカーレットは、母の薦めを受け、メラニーたちが新居を構えたアトランタに身を移す。戦争のための寄付金を募る役割を装いパーティに参加したスカーレットは、そこでレット・バトラー(クラーク・ゲイブル)と再会する。

 レットはかつて、スカーレットがアシュリーから袖にされたあの晩、偶然からその一部始終を目撃していた男だった。あのときから彼女に対し、自分とよく似た利己的な逞しさを見出していたレットは、スカーレットが未亡人となったことを知るとさっそく言い寄り始める。依然としてアシュリーに対し心を残していたスカーレットは拒絶するが、女にだらしないと噂されるレットは、意外なほどしつこかった。

 その一方で、開戦当時の南部人たちの楽観的な観測を大幅に裏切り、戦況は刻一刻と悪化の一途を辿っていった。前線は急速に南下し、気づけばスカーレットたちの暮らすアトランタにまで、砲弾が降り注ぐようになっていたのである……



[感想]

 映画好きでなかったとしても題名ぐらいは聞いたことのある作品であるが、ごくシンプルに、過去の時代を舞台にしたロマンス、程度に捉えている人は多いのではなかろうか。そのわりに長く感じられる4時間近い尺も手伝って、映画好きでもはなから敬遠している人、或いは早いうちに観るのを諦めてしまった人も多いのではないか。

 だが、映画史に語り継がれるほどの傑作に共通することで、観ているあいだほとんど尺の長さは意識することがない。正直に言えば、さすがに終盤1時間ほどは観ている方が疲れてくるのだが、そのあたりまでの牽引力は凄まじい。

 物語の期間も長く、そのなかで極めて多くの出来事を扱っているため、重要な場面と場面のあいだをテロップで補うという昨今は珍しい手法を用いざるを得なくなっているが、しかし直接的に描いている部分とテロップで語る部分の匙加減が巧みで、古めかしくはあっても作品の方向性とは合致している。何より、テロップで綴られている部分は概ね中心人物であるスカーレットが関わらない場面であるから、そういうところまで丁寧に描かなかったのは、どれほど長尺であっても十数時間を費やすことなど出来ない映画というスタイルを取る以上致し方のないところだろう。

 しかし、本篇の何よりも特徴的なのは、人物像がいずれも特異である点だろう。

 まずヒロイン、あまりにも有名なスカーレット・オハラからして、率直に言って好人物とは表現しがたい。極めて我が儘で、他人の感情を斟酌しない、という序盤の描写で、予備知識を持たずに見た人間は度胆を抜かれるはずだ。恋愛が成就しなかった腹いせに勢いで他の男からの求婚を受け入れ、その夫が死ぬとろくに悼むふりもせずに享楽を求める。物語の牽引役としては完成されているが、恐らく現実にそばにいればこれほど迷惑な人物もいない。

 そんな彼女の岐路に何度も現れるレット・バトラーという男も風変わりだ。周囲の南部男達が戦争に意気軒昂となるなか、ひとり冷静に状況を分析する様子からその聡明さは察せられるが、立ち居振る舞いが如何にもいけ好かない。冷笑的に、打算的に振る舞う姿は、どれほど知的であってもあまり好感を与えるものではない。終盤、彼がスカーレットに対して抱いている感情が明らかになってくると共感を覚えさせるが、それまでの描写はロマンスの相手役としてはかなり風変わりだ。

 もし本篇を別の切り口で描き直すとしたら、ヒロインにいちばん相応しいのはメラニーであるかも知れない。作中、最も謎の多い人物像だが、しかし少なくとも表面に見えている彼女の言動は、さながら天使のようだ。最愛の男を奪った女として胸の内では憎んでいるスカーレットの表面的な友情を疑うことなく、アトランタが襲撃された際にはスカーレットの行動に全幅の信頼を寄せる。見ようによっては単純、あまりに純粋すぎる人物像だが、しかし彼女もまたレット同様、終盤において単純ではない側面を示す。その心情については様々に解釈は可能であり、最後まで謎を留めているのだが、いずれにせよスカーレットよりも魅力的だ。観終わって彼女を憎悪できる人はいないだろう。

 今だからこそそう感じるのだが、そもそも選ばれたのが南部であるのも意外なのだ。南北戦争において南部の州は奴隷制度を守るために戦争に打って出ている。現代の感覚では明らかに不幸を招く制度を、だがそれを受け入れている人々にとっては決して悪いものではない――そうあからさまに主張はしていないが、一種のユートピアのように描いていて、しかも恐らくそうした知識なしに鑑賞すれば大きな疑いを抱かせない程度に成功している。

 そして、そういう特徴的な舞台と人物像の噛み合わせのなかで何よりも強く描き出されているのは、スカーレットという大きな“子供”が、ようやく本物の愛に目醒め、“大人”として立ち上がる瞬間であったように、私には感じられた。そこに焦点が合わせられているからこそ、物語の随所で触れられる、オハラ家の郷里タラに対する愛着が、クライマックスで重要な役割を果たしているのだから。

 無論、ほかにも様々な読み解き方があるはずだ。極めて独創的なロマンスとして捉えればその複雑な感情の交錯から多くのものを読み取れるはずだし、前述のように現代では珍しい奴隷制度維持の立場からの描写に、製作当時のハリウッドの空気を推測したり、敷衍して現在の映画製作もある種の制約を免れないことに思いを馳せることも出来るだろう。

 人物像にしても社会背景にしても、そして尺や製作に要した予算にしても、まさにこの当時だからこそ可能だった意義や力強さが感じられる。観て好きになるとは限らないし、実際私も決して最愛の作品とは呼ばないが、しかし映画を愛するなら是非ともいちどは観ておくべき、偉大な高みに達した作品であることは間違いない。



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