『フィールド・オブ・ドリームス』

『フィールド・オブ・ドリームス』

原題:“Field of Dreams” / 原作:W・P・キンセラシューレスジョー』 / 監督&脚本:フィル・アルデン・ロビンソン / 製作:ローレンス・ゴードン、チャールズ・ゴードン / 製作総指揮:ブライアン・フランキッシュ / 撮影監督:ジョン・リンドレー / プロダクション・デザイナー:デニス・ガスナー / 美術:レスリーマクドナルド / 舞台装置:ナンシー・ハイ / 編集:イアン・クラフォード / 衣裳デザイン:リンダ・M・バス / キャスティング:マージェリー・シムキン / 音楽:ジェームズ・ホーナー / 出演:ケヴィン・コスナーエイミー・マディガン、ギャビー・ホフマン、レイ・リオッタ、ティモシー・ハスフィールド、ジェームズ・アール・ジョーンズバート・ランカスター、フランク・ホエーリー、ドワイヤー・ブラウン、アン・セイモア、アート・ラフルー / ゴードン・カンパニー製作 / 配給:東宝東和 / 映像ソフト発売元:GENEON UNIVERSAL ENTERTAINMENT

1989年アメリカ作品 / 上映時間:1時間47分 / 日本語字幕:戸田奈津子

1990年3月3日日本公開

2010年2月3日映像ソフト日本最新盤発売 [DVD Video:amazon]

第1回午前十時の映画祭(2010/02/06〜2011/01/21開催)上映作品

第2回午前十時の映画祭(2011/02/05〜2012/01/20開催)《Series1 赤の50本》上映作品

初見時期不明(たぶん最初の劇場公開時)

TOHOシネマズみゆき座にて再鑑賞(2011/02/17)



[粗筋]

 1987年、アイオワ州でトウモロコシ畑を営むレイ・キンセラ(ケヴィン・コスナー)は、収穫まであと少しという時期、作業中に奇妙な“声”を聞いた。

『それを作れば、彼がやって来る』

 当初はただの空耳かと思っていたが、レイはその後も繰り返し“声”を聴き、やがて彼は畑の真ん中に築かれた野球場と、そこでプレーするシューレスジョー(レイ・リオッタ)の姿を幻視する。

 自分でも馬鹿げている、と思いながら、レイは妻アニー(エイミー・マディガン)の理解もあって、本気でトウモロコシ畑を切り開き、野球場を建造してしまった。収穫量が減ったために収入は減り、破産の危機に夫婦で頭を悩ませていた晩――球場に、ひとりの男が忽然と現れる。それは、かつて八百長疑惑で球界を逐われ、既に亡くなったはずのシューレスジョーであった。

 翌る日から、ジョーは他の名選手たちも従え、レイたちの見守る前で快くゲームに興じるようになった。奇妙なことに、アニーの兄マーク(ティモシー・バスフィールド)には彼らの姿はまるで見えず、マークは早く球場を処分するように諭すが、レイたち一家は一切耳を傾けない。

 だがそんなある日、ふたたびレイはあの“声”を聞いた。

『彼の苦痛を癒せ』

 彼とはいったい誰なのか、理解できずに悩んでいたレイだったが、最初のときと同じようにあるとき突然啓示を受ける。彼とは、60年代に一世を風靡しながら、突如筆を折って隠棲した伝説の小説家、テレンス・マン(ジェームズ・アール・ジョーンズ)である、と……



[感想]

 映画道楽にハマって10年ほどが経過した。それ以前は年に1、2本程度が精々だったが、一時期、ケヴィン・コスナーの出演作だけは、律儀に劇場に赴いて鑑賞していたことがあった。そのきっかけとなったのが、本篇である。

 それだけに思い入れが強い一方で、しかしのちにフィクションに触れ、ミステリやホラーなど企みに満ちた作品に強く惹かれるようになると、その“感動作”というイメージ故に、敢えて再鑑賞することは無くなってしまった。想い出の作品であるために、DVDが初めてリリースされたときは確保もしたが、いちども通して観ていない。恐らく、10数年はご無沙汰していたはずだ。

 そういうわけで今回、非常に久しぶりに鑑賞したのだが――驚いたのは、本篇の文法がいわゆる“感動作”のイメージとはまるで異なっていたことである。

 上の粗筋をご覧になっても解ると思うが、本篇の展開はかなり奇妙だ。いきなり、得体の知れない声を聞き、具体的な指示もないのに、直後に幻視した野球場を作りはじめてしまう。主人公レイがそういう行動に及んだモチベーションは明示されているものの、状況もその後の展開も特異と言うほかない。同じような序盤をホラーやミステリを好んで手懸ける製作者が着想したとしたら、よほどの大災害か、血腥い罠の待ち受ける展開にしそうだ。

 以降も決して、現実にあり得そうな展開は皆無に等しい。ふたたび謎の声を聞き、いきなり伝説の小説家を訪ね、そこで更に意想外の出来事がレイを待ち受ける。最後までこの調子で、およそ我が身に起きるとは思えない、普通なら共感など覚えそうもない話なのだ。

 にもかかわらず、不自然さをほとんど実感させないのは、不可思議な展開に、しかしちゃんと筋道が立っているからだ。まずレイの幻聴と幻視があり、実現したことできちんと一風変わった“奇跡”が訪れる。次の、小説家を訪問するくだりでは、レイと同じ体験を妻がすることで彼の背中を押し、小説家との邂逅では更なる不可思議な出来事に発展する。段階的に異様さは増していくが、この順番だからこそ“なるほど”と思わされる。特に、レイと小説家が連れ立って訪れた先での出来事は、もし冒頭に据えられていたら“お伽噺”と軽く決めつけてしまいそうな、あまりに幻想的すぎる出来事なのだ。この順番だからこそ非現実的でも、物語の上ではあり得る、と受け入れられる。基礎をきちんと築いているからこそ、本篇は成立しているのだ。

 この伏線の巧みな張り巡らせ方は、とりわけ後半でレイが逢いに行ったアーチボルト・グレアム医師(バート・ランカスター)を巡る部分が出色だ。未見の方のために詳述は避けるが、他の“過去の人”とは明らかに異なる位置づけが一連の出来事で果たした役割は、振り返ると非常によく考え抜かれていて唸らされる。その緻密な構成こそ、非現実的な物語に自然な説得力を付与し、作品全体の“感動作”というイメージのほうを強めた理由なのだろう。その幻想性がほとんど意識されないまでに研ぎ澄まされている。

 本篇は野球映画の傑作、という言い方をされることもままあるが、しかし主題は決して野球ではない。むしろ本篇は、アメリカという国がかつて求めていた情熱や家族の絆を、堅牢なファンタジーの上に実現しようとした物語であり、野球という題材は、それがアメリカの夢を語るのに格好のモチーフだったが故に大きく採りあげられているだけ、と考えられる。頓挫した夢や、誰もが欲して止まない平穏なひととき、子供のようにはしゃぐことの出来る一瞬を、アメリカらしくスクリーンの中に描き出すために、トウモロコシ畑の中の野球場、という舞台を用意した。

 浮き世の憂さを忘れ、ひとときの夢に戯れる、という、かつて人々が映画に対して求めていたものが、この物語にはしっかりと詰まっている。ただ“感動作”と素直に受け止めるのもいいが、しかし非常に特異なシチュエーションと語り口でそれを実現した、稀有な傑作であることにも注目すべきだろう。

 ――そして、数年振りに観直して、改めて本篇は私にとって大切な作品だったのだ、ということを実感した。世界観も、その構成も、そして結末の齎す情感も、愛おしくてたまらない。



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