『マチェーテ』

『マチェーテ』

原題:“Machete” / 監督:ロバート・ロドリゲス、イーサン・マニキス / 脚本:ロバート・ロドリゲス、アルヴァロ・ロドリゲス / 製作:エリザベス・アヴェラン、アーロン・カウフマン、イリアナ・ニコリック、ロバート・ロドリゲス、リック・シュウォーツ、クエンティン・タランティーノ / 製作総指揮:アーラン・バーノン、アンソニー・グダス、マイルズ・ネステル / 撮影監督:ジミー・リンゼイ / プロダクション・デザイナー:クリストファー・ストゥル / 編集:レベッカ・ロドリゲス、ロバート・ロドリゲス / 衣装:ニナ・プロクター / 特殊効果スーパーヴァイザー:ロバート・ロドリゲス / キャスティング:J・C・キャントゥ、メアリー・ヴァーニュー / 音楽:ジョン・デブニー、チンゴン / 出演:ダニー・トレホジェシカ・アルバロバート・デ・ニーロスティーヴン・セガールミシェル・ロドリゲスジェフ・フェイヒードン・ジョンソンシェー・ウィガムリンジー・ローハンチーチ・マリン / オーヴァーナイト・フィルムズ/トラブルメーカー・スタジオ/デューン・エンタテインメント製作 / 配給:Sony Pictures Entertainment

2010年アメリカ作品 / 上映時間:1時間45分 / 日本語字幕:松浦美奈 / R-18+

2010年11月6日日本公開

公式サイト : http://www.machete.jp/

ユナイテッド・シネマ豊洲にて初見(2010/11/06)



[粗筋]

 メキシコ連邦捜査官の通称マチェーテ(ダニー・トレホ)が故国を離れるに至ったきっかけは、ひとりの女。3年前、組織に囚われた彼女を救いに乗り込んだが、罠に嵌り、妻子を殺害され、自らも焼き殺されかかったが、辛うじて生き延び、国境を越えアメリカ・テキサス州で不法移民の労働者となり、文字通りの“汚れ仕事”をして食いつないでいた。

 高級車の中から呼び止められ、乗せられたときも、汚水槽の掃除を頼まれるのだろう、程度のつもりだった。だがその男がマチェーテに頼んだのは、比喩としての“汚れ仕事”――暗殺であった。

 テキサス州選出の上院議員ジョン・マクラフリン(ロバート・デ・ニーロ)は移民に対する強硬策を主張していることで知られており、最近は国境に高圧電流を流したフェンスの建設を訴えている。このまま放置しておけば、アメリカで働くメキシコ人たちに不幸が繰り返されると男は言い、前金として15万ドルをマチェーテに渡すと、演説の際にライフルで狙撃するよう命じた。

 断る方法もなく、マチェーテは移民を支援する組織に関与する女ラズ(ミシェル・ロドリゲス)に15万ドルを託すと、軽く脅すだけのつもりで指定の場所へと赴く。だが、スコープの位置をずらしたそのとき、彼は自分の方へと銃口を向ける男を見つけ――次の瞬間、マチェーテの肩に銃弾が突き刺さった。

 実は、マチェーテに暗殺を依頼したのは、マクラフリン議員の側近を務めるマイケル・ブース(ジェフ・フェイヒー)であった。彼は議員も知らない、ある思惑によりマチェーテを暗殺犯に仕立てようとしていたのである。

 だが、ブースにとって不運だったのは、マチェーテの素性に関心を持たなかったことだ。マチェーテはブースの思惑通りに死んで汚名を被せられるほど、ヤワな男ではなかった――



[感想]

 大袈裟ではなく、これこそ映画ファンによる、映画ファンのための映画だ。

 本篇より遡ること3年前(マチェーテの雌伏の時間とほぼ同じ長さだ)、ロバート・ロドリゲスは盟友クエンティン・タランティーノとともに、企画もの『グラインドハウス』を制作した。通常は低予算、エログロ満載のB級C級作品を2本立てにし、途中で1巻紛失していても平然と上映してしまうような非常に無頓着な営業もざらだった、というある意味自由だった映画館を“グラインドハウス”と呼び、その雰囲気を再現することを狙いとしたものだ。全体で4時間近い長尺がアメリカでは受け入れられず興行的に失敗、他国へ輸出の際はタランティーノ監督作とロドリゲス監督作が別々に公開されることとなったが、イベントとしてオリジナル版が上映されると、本篇以上に話題を攫ったのが、2作品の前に挿入された予告篇だった。

 B級作品専門映画館の雰囲気を出すため、実在しない、無茶苦茶かつ興味をそそる映画の予告篇を挿入していたのだが、これが一部で非常な話題を呼んだ。辻褄など気にせず、見せ場だけを詰めこんだ映像なので、面白そうに映るのも当然と言えば当然なのだが、今ではあり得ないナチスをテーマにしたエログロホラーに何故かニコラス・ケイジが登場していたり、何をしても酷い目に遭うホラー映画があったり、と実に面白そうなのである。中でも特に、「これは観たい」「本当に作ってくれ!」という声が多く挙がったのが、本篇の原型となる『マチェーテ』だったわけだ。

 ロバート・ロドリゲス作品の常連俳優であり、いちど観たら忘れられない印象的な容貌の持ち主で、まさに味のある脇役の代表格とも言うべきダニー・トレホを主役に据えている、という時点でとんでもないが、あの風貌で女にモテ、そのふたつ名のもとになった鋭器を振り回して敵を切り刻み、そしてバイクで跳躍しながら機関銃をぶっ放す、こうしたシチュエーションを連ねられては、そもそも好きこのんでお遊びめいっぱいの映画を観に行くような輩からしてみれば、実現を望まずにはいられない。

 恐らくは作ったロバート・ロドリゲス自身が「こういう映画を観たい!」と思いつつ遊び心をふんだんに盛り込んだからこそ観客を惹きつけたのだろうが、ファンからの熱烈な声に後押しされる形で、フェイクの予告篇から逆行して本篇が製作される運びとなったわけだ。こういう経緯自体、製作陣からしてみれば興奮を禁じ得ないだろう。

 もともとロバート・ロドリゲス監督は、狙いを過たないタイプの監督である。『デスペラード』のような壮絶なアクションでマニアを存分に楽しませるかと思えば、『スパイ・キッズ』シリーズなどの子供向けを企図した作品では、大人が愉しむ必要はない、とばかりに子供が喜ぶ映画作りに徹して成果を上げている。そういう人が、ファンの要望に応えて作った映画なのだから、当然のように、フェイク予告篇から期待される要素はすべて詰めこんでいる。予告篇の中で描かれた魅力的な場面をきちんと物語に織りこむことは無論、容赦のない残酷描写に、狂気と紙一重のユーモア、無駄なお色気に、訳の解らない興奮をもたらすクライマックス――いわゆるB級映画に期待されるものは、ひとつとして省くことなく盛り込んでいるのだ。映画ファンのために作られた、という以外に表現はあるだろうか。

 徹頭徹尾、ファンの要望に応えることを優先して作られた本篇は、そのせいで物語としてはかなり粗い作りだ。背後の陰謀がこんがらかり、多くの個性的な登場人物とシチュエーションを共存させようとした結果、様々な思惑が入り乱れクライマックスは混沌としてしまっている。フェイク予告篇のとおりではあるのだが、マチェーテがプールで美女ふたりと絡みあうくだりなど、どーすればあんな簡単にモノにできるんだ、と苦笑いしたくなる。

 だが、そういう混沌とした空気、終始無軌道に映る展開が、作品自体に異様な熱気と、小綺麗にまとまりがちな昨今のアクション映画とは別物の、“いかがわしい”としか言いようのない魅力をもたらしている。理性では「どうしてこうなる」「なんかおかしくないか」と首をひねりながらも、こういう派手さや過激さを欲するような観客は、最初から最後まで興奮を押し留められなくなるはずだ。

 実物を観たい、という要望に応えて映画を作る、という製作陣の心意気が呼び寄せたとしか思えない豪華な出演者たちが、また彼らが他の作品では見せないような顔を嬉々として演じているのも、本篇の魅力を増幅している。スティーヴン・セガールが麻薬密売組織のボスという悪役で出演しているのも驚きなら、アジア系の美女をはべらせるという特徴も、その引き際も彼の人となりを知っていると笑えるし、リンジー・ローハンが最初は薬物中毒の娘として登場した上に、クライマックスにはあまりに冒涜的な服装と振る舞いを見せつける。こと後者は、彼女のスキャンダラスな私生活について多少なりとも知識があると、よくもまあここまで自分をさらけ出したものだ、と却って賞賛したくなるほどだ。惜しげもなくヌードを晒したジェシカ・アルバ、久々にアウトロー的な貫禄を示したミシェル・ロドリゲスらも気を吐いている。

 そんな中で、なかなかに興味深いのはロバート・デ・ニーロの役柄である。彼ほどの名優がいまさらこんなファン・サービスのみで成り立っているB級映画に出演してくれることに敬意を表したものか、他がわりと欲望優先の見せ場や位置づけで光っているなかで、彼の役柄はちょっとした諷刺や、他のロバート・ロドリゲス監督作品と比較したときに意味合いを感じさせる位置づけになっている。詳述は避けるが、私が思い浮かべたのは『レジェンド・オブ・メキシコデスペラード』の大統領だ。

 ほぼファンが望むであろうことを優先して組み立てつつも、だが通すべき筋はきちんと通そうとしているのも快い。全体を通して絶対的な意味合いがあるかどうかは微妙でも、こういうモチーフが登場する必然性や伏線はきちんと用意しているのだ。前述の、マチェーテがプールにて美女ふたりと絡む場面にしても、その美女がマチェーテを罠に嵌めたブースの妻と娘であり、意趣返しとして機能しているし、ひいてはブースの娘であるエイプリルの、クライマックスにおける豹変の伏線ともなっている。全般に無理矢理ではあるが、だからこそニヤリとさせられる、という点も、本篇のユニークな魅力と言えよう。

 それでも、個人的には不満が幾つかある。映画のキー・ヴィジュアルとして用いられている、ジャケットの内側に隠した凶器を見せつけるシーンがタイトルバックのみに使われていて本篇ではお披露目されずじまいだったことや、ダニー・トレホ同様にロバート・ロドリゲス監督作品の常連であるチーチ・マリン活躍の場が思いの外少なかったことだ――が、正直それはやむを得ないことだろう。なまじ、可能な限り観客の要望に応えようとしているからこそ、取り漏らしも出てしまうのが実際だ。そうは言いながらも、チーチ・マリンの位置づけはロバート・デ・ニーロに匹敵するぐらいの存在感があるので、不満ばかりでなかったことも付け加えておきたい。

 ――何にせよ、ここまでファンに望まれ、そしてファンの要望に隅々まで応えようとした映画は、恐らくそうは存在しないし、今後もそうたくさんは現れない。来歴のユニークさにおいても、それに匹敵するほど練り込まれ、強烈な情熱を感じさせる仕上がりまで含め、映画史に特異な足跡を刻んだ1本としていつまでも記憶されるはずだ。僅かでも琴線に触れる部分があったのなら、是非ともこの“お祭り”に参加するべく、劇場に足を運ぶことをお薦めする。

 そして、多分今度もスタッフは冗談のつもりでエンドロール手前に添えた“次回作”がいつか制作されることを、けっこう本気で願いたい。



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