『瞳の奥の秘密』

『瞳の奥の秘密』

原題:“El Secreto de sus Ojos” / 英題:“The Secret in Their Eyes” / 監督&製作&脚色&編集:フアン・ホセ・カンパネラ / 原作&脚色:エドゥアルド・サチェリ / 製作:マリエラ・ベスイエフスキー、ヘラルド・エレーロ / 製作総指揮:ヘラルド・エレーロ、ヴァネッサ・ラゴーネ / 共同製作:アクセラ・クシェヴァツキー / 撮影監督:フェリックス・モンティ / 美術:マルセロ・ポント / 衣装:セシリア・モンティ / 音楽:フェデリコ・フシド / 出演:リカルド・ダリン、ソレダ・ビジャミル、パブロ・ラゴ、ハビエル・ゴディーノ、カルラ・ケヴェド、ホセ・ルイス・ジョイア、マリアーノ・アルジェント、ギレルモ・フランチェラ / 配給:Longride

2009年スペイン、アルゼンチン合作 / 上映時間:2時間9分 / 日本語字幕:佐藤美香 / PG12

第82回アカデミー賞外国語映画部門候補作品

第82回アカデミー賞外国語映画部門受賞作品

2010年8月14日日本公開

公式サイト : http://www.hitomi-himitsu.jp/

TOHOシネマズシャンテにて初見(2010/08/14)



[粗筋]

 2000年、裁判所書記官から引退し年金生活を始めたベンハミン・エスポシット(リカルド・ダリン)は、手慰みに小説を綴り始めた。題材は、約25年前に彼が遭遇し、その後の人生を大きく歪めた、忘れられない事件。

 新しい上司であるイレーネ・メネンデス・ヘイスティングス判事補(ソレダ・ビジャミル)が着任して間もない1974年、銀行員リカルド・モラレス(パブロ・ラゴ)の妻リリアナ・コロト(カルラ・ケヴェド)が自宅で暴行の末に殺害された。本来当番でなかったベンハミンは不承不承現場を訪れたのだが、被害者の凄惨な姿と、打ちひしがれた夫の姿に衝撃を受け、犯人の摘発に尽力することを誓う。

 だが、ベンハミンの同僚ロマーノ(マリアーノ・アルジェント)らは、捜査に徒に時間を費やすことを忌避するあまり、現場付近で作業をしていた職人ふたりを拷問し、自白を強要して無理矢理決着を図った。すぐに事情を察知したベンハミンはふたりを釈放、ロマーノを告発する。

 業を煮やしたベンハミンは、自ら周辺を探ることにした。モラレスの自宅を訪ねたベンハミンは、リリアナ・コロトのアルバムのなかにヒントを見出す。リリアナ・コロトの想い出を刻んだポートレイトの数々のなかに、レンズに向かって屈託のない笑みを浮かべる彼女を、常に横目で窺う男が写っていたのだ。

 男の名は、イシドロ・ゴメス(ハビエル・ゴディーノ)。ベンハミンはそのとき、直感が閃くのを感じた――この男こそが犯人だ、と。

 しかし、滞在先を訪れたときには、既にゴメスは何処へともなく立ち去ったあとだった。ベンハミンの話から気持ちを逸らせたモラレスが、親元に連絡を取ったことで、危険を察知して逃亡したらしい。

 ひとたび切れた手懸かりの糸をふたたび手繰り寄せようと、ベンハミンは強引な策に打って出る。だがそれが、彼らをますます迷宮の深みへと誘っていったのだ……



[感想]

 ミステリ映画であるのは間違いない。だが恐らく、そのつもりで映画館に足を運ぶと、中盤で幾分戸惑いを覚えるはずだ。

 というのも、中盤の時点では大きな謎が存在していないように思えるのである。むしろ、自明の結論に辿り着くのを、裁判所の上司や同僚たちが妨げているように映り、謎解き以外のところで迷走していることに苛立ちを覚えるかも知れない。

 しかし本篇の傑出しているのは、そういう混沌とした筋書きの中に、終盤における衝撃的なひと幕への布石を用意するのみならず、感情を揺さぶるドラマの種子をも植え付けていることだ。

 個々を掲げていくと、肝心の衝撃に繋がる伏線へのヒントを与えてしまいかねないので詳述は避けるが、1つだけ指摘しておくと、事件の難しい展開と併走するようにもつれていく、ベンハミンとイレーネの関係性の描写が出色だ。

 あとでプログラムを読んで知ったのだが、本篇のストーリー展開には、舞台であるアルゼンチンの社会情勢が強く影響している。事件の始まりである1974年から75年はちょうど大きな政変が起こっており、その流れの中で、本篇に描かれているような理不尽な成り行きが実際にあったようだ。作中、そうした社会背景についてはいっさい説明がないので、知識がないと戸惑いそうなものだが、さほど違和感を覚えさせないのは、心理的な外堀を丹念に埋めているからだろう。物語には、こんな不条理が起きそうな空気が充満しているし、それに対するジリジリとした恐怖に晒されているのが、登場人物たちの表情からも伝わってくる。

 そして、積み重ねた多くの出来事が、一気に意味を為すクライマックスの重量感はただ事ではない。まず、終盤で解き明かされるひとつの“真実”からして強烈だ。恐らく、かなりのミステリ愛好家でも、この“秘密”は見落とす確率が高いに違いない。考えてみれば確かにこれしか選ぶ道はない、だがいわゆる謎解き映画の類型には当て嵌めにくいこの“真実”は盲点に入っている。そして盲点であるからこそ、突き刺さったときの衝撃は激烈だ。

 もしこのまま放り出されていたら、観客の胸にはやりきれない切なさと哀しさだけが残っただろうが、そこへもうひとつのドラマの締め括りを置くことで、余韻を柔らかに、だがより味わい深いものにしている。25年という時のあいだに積み重ねてきた、登場人物それぞれの想いがじんわりと胸に広がっていくような感覚は、圧巻としか言いようがない。

 本篇の演出は、クラシカルなトーンと、現代的な洗練とが入り乱れた、ありそうで珍しいタッチに彩られている。冒頭からして、ベンハミンが悩みながら書き綴る小説の冒頭部分を映像で再現する、というスタイルで、イレーネと一時的に別れる場面を情緒的に絵画的に綴ったかと思うと、被害者が蹂躙される姿を想像したひと幕が綴られる。そうすることで事件の全貌を垣間見せつつ、描かれた場面がそのあとのストーリーの何処に当て嵌められるのか、という興味を観客に持たせる巧妙な企みを窺わせる。以降も、現在である2000年と過去の1974年から数年の出来事とを繰り返し行き来し、少しずつ事件の全貌を匂わせていくスタイルは現代的ながら、そのカメラワーク、会話のトーンには古典的な親しみやすさが色濃い。その、どちらにも偏らず、それぞれの場面で的確な表現を用いる柔軟さは、幅広い年齢層に訴えかける力を感じさせる。

 その作り方は基本的に娯楽映画の枠を踏み外さない。だが、題材とその掘り下げの深さは生半可でなく、結末の齎す余韻は圧倒的だ。極めて独創的で上質のミステリ映画でありながら、極上の“愛”の物語でもある、傑出したドラマである。ミステリ映画を愛好する方には断然お薦めの1本であるが、ミステリ映画に対してやもするとアイディアが先行してドラマが疎かになる、といったマイナスのイメージを持っている方にも、是非ともいちどご覧いただきたい。



 本篇の監督フアン・ホセ・カンパネラは、長篇映画こそこれが本邦初紹介となるようだが、実は他に日本でも鑑賞可能な作品が存在する。

 カンパネラ監督は90年代からアメリカのTVドラマに携わっており、『LAW&ORDER:性犯罪捜査班』や『Dr.HOUSE』などを手懸けているのである。

Dr.HOUSE』を地上波の放送で観て以来すっかりハマり、シーズン3は発売直後にDVDボックスを購入してしまったほどである私は、プログラムでこのことを知って驚き、いったいどのエピソードを担当していたのか、と調べてみたところ、まさにシーズン3の1篇、前半の締め括りとなる第12話『同室のよしみ』というエピソードを監督していた。

Dr.HOUSE』は日本では馴染みの薄い、謎の症状の原因を特定して治療法を提案する“診断医”のエキスパートであるグレゴリー・ハウス医師を主人公にした一風変わった医療ミステリーである。1話ごとに趣の異なる“症状”を扱い、ただのお涙頂戴ではない、厳格で容赦のない語り口が評判を呼んでいるシリーズであるが、この『同室のよしみ』という話はその中でも更にユニークな立ち位置にあるエピソードだ。

 基本的に『Dr.HOUSE』はどこから観てもある程度は楽しめるものの、ことこの第12話については、シーズン3全体を通してのターニング・ポイントにあるため、ここだけをご覧ください、というのはちょっと躊躇われる。だが、もし機会があるならば、他のエピソードと併せて鑑賞してみることをお薦めする。

 そういう、シリーズ通して重要な位置づけにあるエピソードを、これがシリーズ初参加でありながら、いきなり任されている、という事実が、もともと監督の評価がアメリカのTVドラマ業界で高かったことを窺わせる。そう考えていくと、本篇でのオスカー獲得も決してまぐれではないのだ。

 出来ることなら、未だ日本で公開されていない他の長篇についても、これを機に輸入されることを願いたい。



関連作品:

題名のない子守唄

永遠のこどもたち