『魔法使いの弟子』

『魔法使いの弟子』

原題:“The Sorcerer's Apprentice” / 監督:ジョン・タートルトーブ / 原案:マット・ロペス、ローレンス・コナー、マーク・ローゼンタール / 脚本:ダグ・ミロ、カルロ・バーナード、マット・ロペス / 製作:ジェリー・ブラッカイマー / 製作総指揮:トッド・ガーナー、ニコラス・ケイジ、マイク・ステンソン、チャド・オマン、ノーマン・ゴライトリー、バリー・ウォルドマン / 撮影監督:ボジャン・バゼリ,ASC / 視覚効果スーパーヴァイザー:ジョン・フレイジャー / プロダクション・デザイナー:ナオミ・ショーハン / 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ,A.C.E. / 衣装:マイケル・カプラン / 音楽:トレヴァー・ラビン / 出演:ニコラス・ケイジ、ジェイ・バルシェル、アルフレッド・モリーナ、テリーサ・パーマーモニカ・ベルッチ、トビー・ケベル、ジェイク・チェリー、グレゴリー・ウー、ニコール・インガー、ジェームズ・A・スティーヴンス、オマー・ベンソン・ミラー、アリス・クリーグ、ペイトン・リスト / サターン・フィルム/ブロークン・ロード製作 / 配給:WALT DISNEY STUDIOS MOTION PICTURES. JAPAN

2010年アメリカ作品 / 上映時間:1時間50分 / 日本語字幕:石田泰子

2010年8月13日日本公開

公式サイト : http://www.disney.co.jp/deshi/

TOHOシネマズ日劇にて初見(2010/08/13)



[粗筋]

 今を遡ること1000年以上も前、イギリスで魔法使い同士の抗争が最高潮を迎えた。人間を屈服するべく、死霊をしもべとする秘術を用いようとしたモルガナ・ル・フェイ(アリス・クリーグ)に大魔法使いマリーン(ジェームズ・A・スティーヴンス)が3人の弟子と共に戦ったが、弟子の1人マクシム・ホルヴァート(アルフレッド・モリーナ)の裏切りによりマリーンは命を落とす。残るふたりの弟子が尽力し、モルガナとホルヴァートを封印することに成功はしたが、モルガナの魂を共有することになったもうひとりの弟子ヴェロニカ(モニカ・ベルッチ)も共に封印せざるを得なかった。残された最後の弟子バルサザール・ブレイク(ニコラス・ケイジ)は師匠が言い残した、やがて復活するモルガナを倒す運命にあるマリーンの後継者を捜し、世界中を彷徨った。

 ……そして、2000年。場所はアメリカ、ニューヨーク。

 学校の遠足のあいだ、デイヴ・スタットラー(ジェイク・チェリー)は同級生ベッキー・バーンズの気を惹くことに必死だった。先生の話を聞いている最中に、“僕は友達? それとも恋人?”と記したメモで問いかけると、ベッキーは何かを書き付けてベンチの上に残してくれた。先生の話が終わり、デイヴが胸を高鳴らせてメモを手に取ろうとしたとき――メモは風に煽られ、飛んでいってしまった。

 やがてメモは謎めいた古道具屋の中に飛び込んでいく。そこの店主は、デイヴが偶然に入ってきてしまった、と告げると目の色を変えた。そしてデイヴに、龍をかたどったアクセサリーを見せる。気に入ったなら、君にあげよう。

 そのアクセサリーは、デイヴが手に取った途端、動き出して彼の指に巻き付いた。それを確かめると、店主――バルサザールは彼に告げた。

「君には魔法使いの資質がある。早速修行を始めよう」

 だが、このふたりの邂逅は皮肉な形で幕を下ろす。長い幕間が終わったのはそれから10年後――成長したデイヴ(ジェイ・バルシェル)が、ひとりを好む科学オタクに変貌してからのことだった……



[感想]

 ディズニーのアニメーションに、『ファンタジア』という歴史的傑作がある。クラシック音楽に合わせてアニメーションで物語を綴っていったこの作品のなかでも、特に印象的なのは、ディズニーの看板キャラクターであるミッキーマウスが“魔法使いの弟子”となり、モップやホウキを自在に動かして掃除を楽に済ませようとしたところ、掃除道具が暴走して大騒ぎになる、というアレだ。本篇はあの短い作品で描かれた世界観を膨らませて製作されたものだという。

 但し、あのイメージそのまんまを期待すると少々辛いかもしれない。主役はミッキー・マウスではなく如何にもオタクっぽい少年だし、舞台は現代のアメリカだ。まして製作がジェリー・ブラッカイマーとなれば方向性は想像がつくだろう。

 しかしその辺をあらかじめ期待に織りこんでおくか、或いはほとんど予備知識を持たない――『ファンタジア』のなかの1篇も、ジェリー・ブラッカイマーという製作者の方向性も知らない――状態で鑑賞すれば、恐らくは充分に楽しめるし、満足も出来るはずだ。子供を遠ざけるような暴力描写やエロティックな表現もなく、それでいてある程度すれっからしの大人であっても唸らされるようなアイディアが仕込まれている。

 アイディアの軸は明確で、科学技術が著しく進んだ現代を舞台に魔法大戦を描くにあたって、魔法と科学の価値観をうまく協調させることで独自の発想を築きあげている。魔法を用いるに際して、分子の単位から現象を想像できる知識が必要であることから、優れた魔法使いは優れた科学者にもなり得る、という論理は妙な説得力があるし、クライマックスのカーチェイスでは、走行中に魔法で車種を変更したり、鏡の中に突っこんでみたり、とこういう設定ならではの見せ場が設けられている。主人公デイヴが拘って研究を続けているのがテスラコイル、というのも、絶妙な着眼だ。

 魔法に関する意匠の多くは基本に忠実だが、そこにも細かなひねりを施し、ユーモアと独特のリアリティを醸している。たとえば、魔法によって不老長寿となり、世界中を彷徨って後継者を捜していたバルサザールは、怪しげな店に拠点を構え、まるで浮浪者のような風体で怪しげな存在感を発揮しているのに、敵対するホルヴァートのほうは、1000年も封印されていたにも拘わらず洒落者然として、よほど現実社会に適応している。普通なら逆にしそうなところだが、実際の年月の積み重ねを考慮すれば、このほうが自然なのだ。

 魔法、という現実では受け入れられない概念に接してしまった少年の変遷も妙に生々しい。異様な争いの過程で浴びた水をおもらしと勘違いされ、そして目撃した事実を語ったことで学校に居場所を失い転校、人を拒絶して科学の勉強に没頭した結果、あり得ないくらいの科学オタクに成長する。バルサザールたちが復活し、10年後にふたたび魔法を目の当たりにしたときの反応も、変に意固地ではなく、好奇心に駆られているのが解って受け入れやすい。魔法の戦いや運命の救世主、といったキーワードを抽出していくと陳腐に思えるが、本篇はそれらをかなり現実的な価値基準で捉えることで、するっと飲み込めるように調整している。基本がシンプルなので苦みや深い味わいには乏しいが、その分素直に愉しめる娯楽作品に仕立て上げているのだ。

 それでいて、原典への敬意も忘れてはいない。デイヴがだいぶ魔法を学んだところで披露するのは、前述の『ファンタジア』のひと幕を彷彿とさせる、魔法による大掃除なのだ。調子に乗って大量に操ったはいいが、水が溢れてくる、というところまでオリジナルを踏まえた上で、現代的なアレンジも施している。正直、デイヴの風体はミッキーほど愛らしくはないのだが、しかし愛嬌はある彼の振る舞いも含め、ニヤリとせずにはいられない。

 細かなところでひねりを施しながらも大枠はストレートを貫いている本篇は、だいたい次にどう話が転ぶのか予想がつく。しかし、だからといって退屈には感じないはずだ。すべてが期待通りだからこそ生まれるカタルシス、爽快感というものが確かにある。

 たとえアクションやファンタジーでも何らかの深みが欲しい、観終わって何かが強く心に残るような映画を、と考える向きにはお薦めしない。しかし、映画に憂さ晴らしを求める人、劇場を出たら何事もなかったかのように日常に戻れるようなさっぱりとした爽快感を求める人ならば、確実に満足を得られるだろう。正しい娯楽映画、である。



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