『キャタピラー』

『キャタピラー』

監督:若松孝二 / 脚本:黒沢久子出口出 / プロデューサー:尾崎宗子 / ラインプロデューサー:大日方教史 / 撮影:辻智彦、戸田義久 / 照明:大久保礼司 / 特殊メイク:中田彰輝、飯田文江、橘本隆公 / 美術:野沢博実 / VFXスーパーヴァイザー:立石勝 / VFXディレクター:西尾和弘 / 編集:掛須秀一 / 録音:久保田幸雄 / 衣装:宮本まさ江 / 音楽:サリー久保田、岡田ユミ / 主題歌:元ちとせ『死んだ女の子』 / 出演:寺島しのぶ大西信満、吉澤健、粕谷佳五、増田恵美、河原さぶ、石川真希、飯島大介、地曳豪、ARATA、篠原勝之 / 声の出演:小倉一郎 / 配給:若松プロダクション×スコーレ

2010年日本作品 / 上映時間:1時間24分 / R-15+

2010年8月14日日本公開

公式サイト : http://www.wakamatsukoji.org/

TCC試写室にて初見(2010/07/26) ※若松孝二監督による質疑応答つき有料試写会



[粗筋]

 1940年、日中戦争のさなか、戦地から戻ってきた夫・久蔵(大西信満)の姿を見て、シゲ子(寺島しのぶ)は動揺する。顔は半分が焼け爛れ、聴力も衰えている。そして、手足はすべて切断されていた。

 無惨な姿ながら生還した久蔵は忠烈の極みと讃えられ、軍神として崇敬の的となる。だがシゲ子にとって、彼の存在は負担でしかなかった。食事も排泄も自分一人で出来ず、一方で性欲だけは衰えを知らない。日々野良仕事に精を出しながら、シゲ子は折に触れ、真っ昼間から久蔵に肉体を貪られなければならなかった。

 だがいつしかシゲ子は、そんな夫に対して反逆を試みるようになる。ずっと家に籠るべきではない、と理由をつけ、久蔵に軍服を着せ特進で得た勲章をつけさせ、大八車に載せて外に連れ出すのだ。久蔵は方々で村人たちに拝まれ、シゲ子は不随の夫に身を粉にして尽くす妻の鑑だ、と持て囃される。それはシゲ子の虚栄心を満たすとともに、己の姿を他人に見せることを望んでいないらしい久蔵への嫌がらせにもなっていた。

 そんな生活が何年も続いていくうちに、シゲ子と久蔵との関係は、ますます歪なものに変容していった……



[感想]

 ベルリン国際映画祭で日本人として35年振りの最優秀女優賞受賞や、栄冠に輝いた寺島しのぶのヌードなどが話題になった作品だが、基本的にはある意味極めてストレートな反戦映画である。まさかとは思うが、話題性や下心だけで劇場に足を運んだなら、相当なダメージを負うはずだ。

 ストレート、とは表現したが、しかし本篇は作中で戦争を忌避するような言動はほとんど見受けられない。ある意味で戦争の負の面を一身に担ったシゲ子が、表立っては無論のこと、第三者の目がない――あるのは自分の助力なくして生活することもままならない久蔵の目だけ――という状況でも、大本営の胡乱な戦果報告を簡単に信じ込み、あまつさえ軍歌を口ずさんでみる様には、人によっては奇異の念すら抱くことだろう。

 だが、この時代、こういう境遇にある人々は、基本的にお上の行動、齎す情報に疑いを容れないものだ。お国のため、と言われれば招集されるし、僅かな食糧にも耐え、なお軍歌を口ずさみもする。こんな戦争はイヤだ、などと、おおっぴらどころか、他人の目のない場所でさえ口にはしない、それが普通だろう。

 むしろそういう、当時としては標準的だった思想の持ち主であるはずのシゲ子が、確実に現状の歪さを自覚しているのが見て取れるのが、本篇のストレートでありながら突出した一面だ。惨たらしい姿で帰還した夫に絶望しながら、はじめは半ば以上本気で、お国のため、ご奉公のつもりで夫に尽くそうとしている意思が見て取れるのに、夫の生き意地の悪さ、欲望の露骨さに晒されるうちに、夫の手にした名誉を嫌がらせに用いるようになる。そうして自ら価値を貶めていながら、近所から新たに招集された人物の壮行会に、出かけたがらない夫に苛立ち、自分の胸元に勲章をつけて出かけていくシゲ子の姿はあまりにグロテスクだ。

 この作品で描かれる“戦争の醜さ”は大変にストレートだが、あまり積極的て描かれなかった、或いは意識的に取り上げられることの少なかったものが多い。集落に蔓延る、とにかく戦争での勝利が第一で他の一切を蔑ろにする風潮や、婦人たちがバケツリレーや長刀の訓練に励む姿など、実際に戦地に赴いた人々や、空爆などの直接攻撃に晒されるのとは異なる、“戦争”という異常事態ゆえの、一見ごく普通に見える行為に滲む醜悪さがはっきりと実感できる。

 特に強烈なのは、序盤からほのめかされている久蔵の戦地での行状と、シゲ子について伏せられていた出来事だ。これらも格別、特異な出来事とは言えないのだが、久蔵の行いと直後に彼の身を襲った悪夢と重なったとき、別の意味合いを帯びてくる。久蔵の抱え込んだ罪悪感と、シゲ子の鬱積した激情がともに押し寄せてくるクライマックスには、慄然とせずにいられない。そして、一連の出来事の意味を考えずにはいられないはずだ。

 要は戦争とは、共同体すべてを狂気に落とし込むものなのかも知れない。本篇にはそれを象徴するかのような、ひとりの脇役が用意されている。篠原勝之が扮するこの人物は、招集された者を見送る場で過剰にはしゃぎ、かと思うと飽きて関心を失ったかのようにひとり手遊びをしていたりする。恐らく愚かさ故に徴兵を免れたと思われる彼は、だが最後の最後、敗戦の報が轟いた集落で、「戦争が終わった、戦争が終わった」と、しっかりとした服装と歓喜に満ちた表情で、万歳をしながら駆けていくのだ。監督は、この話のなかで彼だけがただひとり、反戦の意思を示している、と語っている。

 あれこれと語ったが、しかしどう感じようとどう捉えようと、基本的に観る者の自由だ。だが、真摯に受け止めようとする限り、間違いなく戦争の愚かさは実感させてくれる。夏の暑い時期、あの時代に想いを馳せるに相応しい良質の、そしてたぶんとても長く観続けられる作品である。



 なお本篇は当初、江戸川乱歩『芋虫』が原作であると言われ、乱歩ファンのあいだで話題となったが、諸般事情から映画化権の取得を取りやめ、“四肢を失って帰還した”という設定のみを取り入れ、別物として製作したという。実際、乱歩を思わせる幻想性や、陶酔するようなエロティシズムはない。そういうことを抜きにしても、優秀な反戦映画であることに変わりはないのだから、こだわる事なく鑑賞する方が無難だろう。

 ……実のところ、私が鑑賞した際の質疑応答で監督はこの点にも非常に率直に回答されており、けっきょくは権利費の問題で取りやめたらしい。その場で挙げた具体的な額はここでは伏せるが、きっとよほど低予算で作られたのだろう、という背景が察せられる額だった。……重ねて申し上げるが、こだわる必要はない。



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