『ラブリーボーン』

『ラブリーボーン』

原題:“The Lovely Bones” / 原作:アリス・シーボルト(Villagebooks・刊) / 監督:ピーター・ジャクソン / 脚本:フラン・ウォルシュフィリッパ・ボウエンピーター・ジャクソン / 製作:キャロリン・カニンガム、フラン・ウォルシュピーター・ジャクソン、エイメ・ペロンネ / 製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、テッサ・ロス、ケン・カミンズ、ジェームズ・ウィルソン / 共同製作:フィリッパ・ボウエン、アン・ブリューニング、マーク・アシュトン / 撮影監督:アンドリュー・レスニー,ACS,ASC / プロダクション・デザイナー:ナオミ・ショーハン / 編集:ジャベツ・オルセン / 衣装:ナンシー・スタイナー / キャスティング:ヴィクトリア・バロウズ、スコット・R・ボランド、アンディ・カウフマン、ジナ・ジェイ、リズ・ミュレイン / 音楽:ブライアン・イーノ / 出演:シアーシャ・ローナン、マーク・ウォルバーグ、レイチェル・ワイズスーザン・サランドンスタンリー・トゥッチマイケル・インペリオリ、ローズ・マクアイヴァー、クリスチャン・トーマス・アシュデイル、リース・リッチー、キャロリン・ダンド、ジェイク・アベル、ニッキー・スーフー、トーマス・マッカーシー、アンドリュー・ジェームズ・アレン / ウィングノット・フィルムズ製作 / 配給:Paramount Pictures Japan

2009年アメリカ作品 / 上映時間:2時間15分 / 日本語字幕:戸田奈津子

2010年1月29日日本公開

公式サイト : http://www.lovelyb.jp/

TOHOシネマズ西新井にて初見(2010/01/29)



[粗筋]

 私の名前はスージー・サーモン(シアーシャ・ローナン)。お魚みたいな名前でしょう? 会計士のパパ、ジャック(マーク・ウォルバーグ)と読書家のママ、アビゲイル(レイチェル・ワイズ)のあいだに生まれた、3人きょうだいの長女。いろいろ我慢しなくちゃいけないことはあるし、弟妹のお手本にならないといけない無言のプレッシャーはあったけれど、それなりにハッピーな日々を送ってた。

 だけどそれはある日突然、ぶち壊された。憧れていた上級生のレイ・シン(リース・リッチー)からデートに誘われ、浮かれていた帰り道、ショートカットに利用していたトウモロコシ畑で、私はご近所のハーヴィーさん(スタンリー・トゥッチ)と出逢ったの。あの人は、子供たちのための隠れ家を造ったから見せてあげる、と私に言った。

 あとになってみれば解る。それはとても解り易くて、狡猾な“罠”だった。危険を感じて、隙をついて逃げだそうとしたけれど、無駄だった。私の心は、私よりトウモロコシ畑を突き抜けて街道を歩いていた同級生のルース・コナーズ(キャロリン・ダンド)を追い越し、帰らない私を街で捜し回っていたパパのもとに辿り着いた。けれど、パパは私の存在に気づくことはなかった。

 1973年12月6日。それが私の死んだ日。そして、たくさんのものが変わっていく、始まりになった日。



[感想]

 原作付きの映画が公開されると知り、内容に強く惹かれたときや、監督やキャストに関心があって必ず観る、と決めたとき、もしその原作が入手可能な状況にあるなら、なるべく予め読むよう心懸けている。原作など読まなくとも味わえるのが優れた映画だ、と考えているが、比較して鑑賞することで、発見することも多いが故である。

 映画化されるほどだから、評価が高いかよほど人気が強いかなので、こういうときは基本的につまらない作品には当たらない――と思っていたのだが、本篇の原作は率直に言って、私にはあまりしっくり来なかった。殺された少女の視点による叙述で、随所に“天国”の描写を盛り込みながら、周囲の人々の変化を綴っていく、という発想はユニークだが、いまひとつストーリーが見えてこず、多くの人々を無秩序に追っていくため話運びが散漫としており、締め括りも爽快感を欠いて、終盤のごく僅かな部分以外はあまり引っ張られるものを感じなかった。ただ、中心となるアイディアが映像として美しくなりそうな予感があったので、映画版には却って期待できる、と思った。

 そうしてようやく日本に届いた本篇であるが、そういう意味では期待通りであった――いい意味でも、悪い意味でも。

 原作は多くの人々の心情やエピソードを盛り込みすぎて煩雑の嫌いが否めなかったのを、映画では尺の制約に合わせてうまく整頓しており、だいぶ綺麗にまとまっている。そこはさすがの手際なのだが、基本的なストーリーは同じなので、原作にある収まりの悪さもそのまま受け継いでしまっている。

 また、あまりにエピソードを整理しすぎたために、美点も削られてしまっているのも残念なところである。娘を失う、という悲劇のために少しずつ家族が崩壊していき、その事実を受け入れ、新しい生活を築きあげることで再生していく、という過程が、大幅な省略のために伝わりにくくなり、ドラマとして薄くなってしまった。作中、実はけっこうな時間が経過するのだが、それが解りづらくなってしまったことも一因だろう。

 もともと説得力の乏しかった結末の趣向も、伏線が少なくなっているために、直感的に受け入れられるような観客でないとあまり感銘を受けないものになってしまっている。原作のストーリーを語るうえではうまい省略なのだが、その分原作の感動を誘う要素がかなり描き込みの浅いものになってしまったのが残念だ。

 しかし、映像は期待通り、むしろ期待を凌駕する、創造性に富んだ美しさを堪能させてくれる。まだ死を自覚していない段階でのスージーの、霧の中をさまようようなヴィジュアル、天国と現世の境に初めて踏み込んだときの描写、そして多くのモチーフが乱舞する映像の華麗さは、そこだけでも一見に値する。しかも、単なるイメージの羅列に終わらせず、映画ならではのアイディアを組み込んだ点も特筆に値するだろう。原作を特徴付けている死後の世界の描写を、更に豊かなものにしたことは本篇最大の功績である――ただこれも結末で、どうも肩透かしの扱いをしてしまったことが惜しまれるのだが。

 もうひとつの美点は、俳優陣である。ヒロインの父親を演じたマーク・ウォルバーグは、少しずつ常軌を逸し、娘を奪った犯人を捜すことに執着する姿を静かに、しかし鬼気迫る佇まいで演じている。スーザン・サランドンは原作でも陽気な彩りとして登場する破天荒な祖母を見事に体現してみせた。何よりも、主人公を演じたシアーシャ・ローナンが素晴らしい。彼女はイアン・マキューアン原作の文芸作品『つぐない』で13歳にしてアカデミー賞にノミネートされたことで一気に注目を集めたが、本篇でもその瑞々しい才能を遺憾なく発揮している。ところどころ筋が通っていないように感じられる本篇の表現に、まがりなりにも説得力をもたらしているのは、監督の特徴的な表現や構成の巧さもさることながら、彼女の好演に依るところが大きい。

 表現の整合性や一貫性、結末で快くとも苦くとも明確な余韻を求めると、どうも期待外れという印象は拭えない仕上がりだが、映像の美しさや過程の面白さを味わうつもりでいれば、充分に応えてくれるだろう。



関連作品:

キング・コング

つぐない