『ずっとあなたを愛してる』

『ずっとあなたを愛してる』

原題:“Il y a longtemps que je t'aime” / 監督・脚本・台詞:フィリップ・クローデル / 製作:イヴ・マルミオン / 製作総指揮:シルヴェストルガリノ / 製作補:アルフレッド・ユルメール / 撮影監督:ジェローム・アルメラ / 美術:サミュエル・デオール / 衣装:ジャクリーヌ・ブシャール / 編集:ヴィルジニ・ブリュアン / 録音:ピエール・ルノワール / 音楽:ジャン=ルイ・オベール / 出演:クリスティン・スコット・トーマス、エルザ・ジルベルスタイン、セルジュ・アザナヴィシウス、ロラン・グレヴィル、フレデリック・ピエロ、リズ・セギュール、リリー=ローズ、ジャン=クロード・アルノー、ムス・ズエリ、スアッド・ムシュリク、カトリーヌ・オスマラン、クレール・ジョンストン、オリヴィエ・クリュヴェリエ / 配給:Longride

2008年フランス、ドイツ合作 / 上映時間:1時間57分 / 日本語字幕:丸山垂穂

2009年12月26日日本公開

公式サイト : http://www.zutto-movie.jp/

銀座テアトルシネマにて初見(2009/12/26)



[粗筋]

 フランスの空港で、ジュリエット・フォンテーヌ(クリスティン・スコット・トーマス)は妹レア(エルザ・ジルベルスタイン)と再会した。リュック(セルジュ・アザナヴィシウス)という伴侶を得て、10年前にレアが移り住んだナンシーに、一時的に身を寄せるためである。

 レアはおよそ15年のあいだ、姉を存在しないものとして育ってきた。数ヶ月前、福祉事務所からの連絡で、突然ジュリエットの記憶を蘇らせることとなった。ある想いからレアは姉の受け入れを認めるが、夫のリュックは妻に対してあからさまに「迷惑だ」と告げる。

 ジュリエットは2週間にいちど、地元の警察に出頭し、担当である警官フォレ(フレデリック・ピエロ)のもとを訪れて書類にサインすることが義務づけられていた。その一方で、ジュリエットは自らが歓迎されざる存在であることをよく承知し、早く妹の家を出るために仕事捜しを進める。だが、面接のために訪れた会社で、彼女がこの15年、世間を離れていた理由を語ると、即座に追い返された。

 レアは人間関係を失ったジュリエットのために、勤める大学の友人たちを積極的に紹介し、休日に催されたパーティにも、娘達とともに伴っていった。しかしそこでも、レアが長い間ジュリエットという姉の存在を隠していた、或いは姉が消息を絶っていた理由について、無邪気に、無神経に詮索をする者はいる。ジュリエットが淡々と告げたその訳は、だが華やかな場であるからこそ、ほとんどの者は真に受けなかった――事情を知る、或いは薄々察知していた者以外は。

 ジュリエットは殺人の罪で、15年間獄中にいた。手にかけたのは、実の息子。



[感想]

 本篇の監督フィリップ・クローデルは小説家として順調にキャリアを構築している人物だ。以前は短篇映画を製作し、日本では公開されていないが、自身の小説の映画化で脚色に携わるなど、映画の世界にも関わってきたとのことだが、長篇映画を監督するのは初めての経験だという。しかも今回は自らの小説を脚色したものではなく、映画オリジナルである。

 初めて尽くしの作品のはずなのだが、しかし一見してそうとは思えないほど堂々とした、洗練された仕上がりを示している。

 まず、構図が驚くほどに美しい。風光明媚な土地を舞台にしているわけでも、意識して美しい場所をロケーションに選んでいる様子もないのに、印象に残る場面、カットが非常に多い。ただ映像を眺めているだけでも、見応えのある作品だ。

 ギターを中心にした、一貫性のある音楽も秀でている。要所要所で響くシンプルな演奏が、ヒロインであるジュリエットの孤独と心の揺れとを、より膨らませている。

 しかし何より優れているのは、語り口の平明さと、物語の豊かな奥行きとのバランスだ。

 本篇には、ほとんど説明らしい説明がない。ナレーションの類は一切用いていないし、登場人物の会話のなかにも説明的な表現はあまり出て来ない。にも拘わらず、ジュリエットが抱えている秘密、その背景はじわじわと理解できる。巧みに情報を示すタイミングを調整し、観客の理解が及んでから次の段階へと進む話運びが完璧に出来ているからだ。

 それでいて、かなり遅い段階まで、ジュリエットが我が子を手にかけた本当の理由は示されない。多少鋭い人なら、設定や彼女の言動から推測は出来るが、解りやすさは問題ではない――むしろ、解り易いからこそ、じわじわと解きほぐされていく彼女の孤独、苦悩が深く沁みてくる。彼女が選んだ仕事の内容や、日常の何気ない場面で覗かせた表情、仕草に重みを感じさせる。

 彼女のそんな罪業に共鳴するかのようなモチーフのちりばめ方も秀逸だ。ジュリエットが2週間にいちど訪問することになっている警官フォレは、自らの身の上話を積極的に語り、ジュリエットに強い印象をもたらすが、途中で思わぬ結末を迎える。源泉の定かでないオリノコ川に対する彼の憧れは、まさに象徴的である。

 しかし、際立って存在感を発揮しているのは、レアと娘達を巡るエピソードの数々だ。レアとリュックの夫婦に実子はなく、ベトナム出身の子供をふたり引き取っている。その理由からしてまず重いものだが、長女プチ・リス(リズ・セギュール)の存在、言動は、物語の流れにも解釈にも極めて強く影響している。プチ・リスの関わり方がジュリエットの心を柔らかにし、当初頑なであったリュックがジュリエットを受け入れるきっかけともなっているし、プチ・リスと妹エメリア(リリー=ローズ)の位置づけはそのまま、15年の断絶と、親子、ひいては姉妹の絆の意味合いを問いかける役割をも果たしている。

 本篇の描写は基本的にシンプルで平明だが、同時にとても繊細だ。秘密は解き明かされなくとも、触れ合ううちに本質は理解できる。次第に打ち解けていくプチ・リズの姿に、過去の表層的な事実からは窺うことの出来ないジュリエットの“母性”を感じ取ったリュックが、ジュリエットを受け入れる瞬間を象徴するワンシーンなどその最たるもののひとつで、さり気ない日常のひとコマであるにも拘わらず、清々しい感動を滲ませる。

 ほとんどが淡々とした日常描写に終始する本篇だが、レアが真実を突き止めたあとだけは、彼女もジュリエットも感情を剥き出しにする。そこで顕わになる悲しみと絶望、深い諦念と、それを受け入れるために必要だった凶暴性に観るものは打ちのめされるが、しかし直後に真実を共有しあうふたりの姿は、すべてをさらけ出したあとだからこそ、より重みがある。特にこの場面は、それまでに点綴された事実のひとつひとつが噛み合ってくるだけに、衝撃は鮮烈だ。

 だが、最後はふたたび、ある意味唐突に日常のひと幕に立ち戻る。感情の奔出したあとを残しながら口にしたごく有り体のひと言が、しかし一瞬で闇を拭い去り、快い余韻を醸し出すラストシーンは、さり気なくも極上だ。

 語り口はとても平明、映画のことを熟知した構成と構図はそれだけで見応えがあるのに、切り口が無数にあって捉え方もひととおりではない。シンプルさと奥行きを兼ね備えた、風格の漂う逸品である。



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